41 結界の破壊者は
帰らずにネミッサについていくと、すぐに目的地についた。
帰りたいと駄々をこねるクーファをなだめながら周囲を見渡すけれど、社らしきものはどこにもない。
他と同じように木々が生えていて、地面には雑草が茂っている。
ネミッサは周囲を確認してうなずいた。
「つきましたーっ」
いや、何もないよ。
もしかして結界を壊していると見せかけて修復していると見せかけて実は何もしてない、ありもしない幻覚を見続けているだけのなんかすごい狂気をはらんでいるホラー展開で黒幕に神話生物がいるとかいう流れか。違うか。
「あ、何もないように見えるけど、盗賊や悪意ある人間に荒らされないよう、こうしてカモフラージュしているんです!」
やけに張り切っているネミッサはクォータースタッフを掲げる。
途端に刻まれている文字の一部がほのかに光ると、目の前の風景がゆっくり崩れるように消え失せ、石造りの小さな建物が出現した。
「ほう?」
とこれにはクーファも感心する。
木でできた両開きの扉があるだけの、簡素でこじんまりとした建物だった。
周囲には石柱も建てられている。
「へぇー、社を隠してたのも魔法なの?」
「ですですっ。私の魔法なんですが、これもちょっとした結界なんですよ」
「もっと荘厳としたどでかい神殿を想像してたけど、意外とちっちゃいね」
「結界を形成する社はここだけじゃありません。同じようなのが五つあって、こうして定期的に回ってるんです。昔結界を作った人は大きさでなく数で勝負しようとしたみたいですよ」
ネミッサが木製の扉を開けると、中には魔法陣の描かれた石板が安置されていた。
「ここはまだ立地条件がいい方で、一番面倒なのは川の中にあるんですよ。もう人に見られないようにするのが大変なんです」
「川の中って、あのでっかいクェルセン川?」
「そうなんですよう。まあ川の精霊であるコルさんがいるからなんとかなってますけど」
赤いラインの手前にもあるのか。
しかし獣道の精霊に河川の精霊って、なんでもいるんだな。
いや、でもなんで蛇の奴が川の精霊なんだ。
川に蛇なんていなくない?
ツッコんじゃいけないのかな。
「町じゃみんな結界の力が弱まっているのはネミッサの仕業だって疑ってる」
「それは誤解です……誰もわかってはもらえませんでしたが」
自分自身の立場がわかっているのか、ネミッサは少し悲しげに笑いながら俯いたけれど、すぐに顔を上げる。
「でも結界を元通りに修復できれば、きっとみんなわかってくれるはずです! だからこうして頑張っているのです!」
「ネミッサはな、俺たちの呼びかけに応えてくれて結界の修復なんてでかい仕事を見返りなしで引き受けてくれたんだ」
俺の足元まで這ってきた青いツチノコがふんぞり返る。
「たまたま魔力が強かったので……この国のために、私にしかできないことがあるんじゃないかなって」
照れながら言うネミッサだけれど、指名手配されてること知ってるのかな。
普通なら称えられてしかるべきなんだろうけど……俺みたいに濡れ衣着せられたのだろうか。
「まあ俺たちは人間どもの作る結界なんてどうでもいいんだがな、土地の魔力を外部からの力で乱されるのが我慢ならないのよ。すこぶる居心地が悪い」
ツチノコは腹を立てている様子で言う。
「この社は魔力を乱さないの?」
「土地の魔力を利用して結界を作ってるわけだから乱しているわけじゃないぜ」
「結界に取り入れるための土地の魔力が汚されているからこそ、結界の力が弱まっているんです」
ネミッサは石板の前に持ってきた木の板――木簡を並べる。
木簡には模様のような文字が黒い色で書かれていた。
「では、始めます」
ネミッサが何やら呪文を唱え始めると、棒に刻んである文字と木簡の文字、それに石板の文字が共鳴するように光りだした。
待っている間、俺はツチノコに問いかけた。
「お前ら自ら修復するとかできないの?」
「人間のかけた魔法だからな。一度壊して作り直すってんなら俺らがやったほうがいいんだろうが」
青いツチノコはうねうねと俺の周りを這いずり回りながら言う。
「いや、人間のかけたもの、って魔法ならどれも一緒じゃないの?」
「それが少し違うんじゃ」
とクーファ。
青いツチノコもそれにうなずく。
「俺たちは感覚で魔法を使う。だが昔の人間は言葉の力や文字の力を使って、理屈で魔法を使う。プロセスが違うんだぜ。言葉は普段しゃべってるしなんとなくわかるが、文字を使った魔法ってのがいまいち理解できん。壊すなら力ずくでできるが、修復するってなるとその魔法を理解してないと無理なんだ。人間がやったほうが効率がいいんだぜ」
「社の結界は文字を使った魔法で作られているってこと?」
「そういうことだな」
……そういえばティーロさんが『沼の民』を拘束していたおフダにも、文字が書いてあったっけ。まだ持ってるけど。
『精霊兵器』にも文字が彫られていたな。
王都で騎士団長さんが使っていた魔法陣の石板もそうだけど、ああいったものは昔の技術が現代に残っていたってことなのだろうか。
昔は使い魔を手に入れる以外にも魔法を使えるすべがあったんだな。
「文字の魔法には『術式』っていうロジックが組み込まれていて、それが理解できないとその魔法に介入したりすることは難しいんです」
いつの間にか結界の修復を終えたらしいネミッサが、くるりとこちらを向いて言った。
たしかに、精霊とか幻獣って基本脳筋みたいなところあるからなぁ。難しいことを理解するのは苦手そうだ。
「修復はもういいの?」
「はいっ」
案外簡単に終わるんだな。
終わると、置かれていた木簡は静かに燃えるように消えてなくなった。
「でも私ができるのは、乱れている結界の魔力を正常に戻してあげることだけです。一時的なその場しのぎでしかありません。外部からの魔力の妨害をどうにかしないことには」
「で、その外部からの妨害も、たぶん文字の魔法によるものだ。俺たちが気配を探ることもできねえからな」
ツチノコがうねうねしながらネミッサの補足をする。
「使い魔の気配を探ったりできないの?」
「使い魔は使ってねえよ。使ってたらとっくに俺たちが気づいてるぜ」
介入しにくい忘れられた昔の技術だけで結界を破壊しているというのか。
でも、誰がどこからどうやって結界を壊しているというのだろうか。
「『魔法師』が絡んでおるのじゃな」
「その通りだ。知っていたか白いの」
クーファの言葉にツチノコがうなずいた。
「まほつし?」
「昔は、文字や言葉を使う魔法使いをそう呼んだんじゃ。力が弱まって廃れて滅んだと思っとったんじゃがな」
――敵は魔法師の生き残りってことか。
同じ魔法を使うネミッサも、魔法師の末裔ってことになるのだろうか。
「あの、稀名さん……」
考えていると、ネミッサはもじもじしながら俺に上目遣い。
「ん?」
「えっと、いえ、やっぱりなんでもないです……」
「何? 気になるじゃないか」
「いえ、本当になんでも。きっとまた来てくださいね!」
大仰に首を振ったネミッサは、笑顔で俺を見送ろうとする。
でもその笑顔はどこか寂しげで、距離を置いているのをごまかすための作り笑いであることは容易にわかった。
仲良くしたいくせに、壁を作って閉じこもろうとしている。
一歩踏み込めないでいる。
そんな心を隠すかのような表情。
「その前に、ネミッサ」
俺とネミッサは、少し似ているのかもしれない。
なんとなくそう考えると、自然に口が動いていた。
「なんです?」
「俺と友達になってくれない?」
「え……?」
ネミッサは目を丸くして、言葉を切った。
「だめかな?」
「もっ、もちろんです!」
言われたことをようやく理解した様子で、大きくうなずくネミッサ。
「……私もいますので、どうか忘れないでやってください」
俺の後ろでひょっこり顔を出すウル。
同性でほとんど同世代だからか、ウルも心なしか楽しそうだった。
ネミッサは少し涙ぐみながら、
「私うれしいです! こんなにいっぱいお友達ができるなんてはじめて!」
「いっぱいか……?」
クーファが水を差すけど、
「いっぱいだよ!」
俺は声を大にして否定する。
「いっぱいなんだよ俺たちにとってはぁ!」
「うお、なんじゃ突然叫びおって」
切実なんだよぉ!
なんて怒っていると、ネミッサはクスッと笑った。
「……まあ、そういうわけだから、いつだって頼っていいんだよネミッサ。友達ってそういうもんだからね。たぶん」
断言できるほど友達事情に詳しくないのが悲しい。
「えっと、それじゃお言葉に甘えるんですが……」
「うん」
「私に……協力、してくれませんか? 結界を破壊しようとしている誰かがいます。誰がどこに何人いるかわからないけれど、探してほしいんです」
急に深刻そうに顔を伏せたネミッサ。
「私や精霊たちは結界の修復に精一杯でここを離れられないし、誰にも頼れないんです。稀名さんたちくらいしかいないんです。私みたいな未熟な人間だけじゃ、たぶん持ちこたえられない。いつかウィズヘーゼルの結界は破壊される。なんの関係もない稀名さんに頼むのは筋違いかもしれませんが……」
「うん、まかせて」
俺は即答した。まあもともとそのつもりだったのもあるけど。
「ありがとうございます! あとまた遊びに来てくださいね! 絶対ですよ!」
「……険しい道のりだけどがんばってみる」
すでに陽は沈みかけていた。
俺たちは急いでガルムさんとの合流地点まで戻るために歩を進める。
『結界の破壊者』であり、滅んだと思われた『魔法師』――見当もつかないけど、どこかに潜んでいるはずのそいつを探さなきゃいけないな。




