39 目覚めた先
俺が瞼を開けると、そこはベッドの中だった。
木製のベッドと羽毛の入ったふかふかの布団に包まれながら、漂ってくる新緑の匂いと何かを煮ているおいしそうな匂いに、心が落ち着きを取り戻していく。
「稀名ぁ……」
「ご主人様、気が付かれたんですね。よかったです」
切なそうなチェルトと安堵したようなウルの声が聞こえてくる。
俺が寝ている隣で、俺を食い入るように見つめていた。チェルトもウルも涙ぐんでいる。
「あれ……えっと、俺、どうして倒れて……?」
「稀名ぁっ」
チェルトが泣きながら俺の首に抱きついて顔をうずめてくる。
えっと、何が起こったんだっけ?
――そうだ。なんとなく覚えているぞ。
夢のようなものを見ていたと思ったら、毒キノコを食べまくっていたんだった。
何を言ってるかわからねーと思うが、俺も何が起こったかわからなかった。
どんな夢だったっけ?
……忘れてしまった。悔しい。
なんかすごくムカつく巨大な何かが出てきたような。
だめだ。思い出せない。
でもどうやら死んだわけではないらしい。
けど、なんで生きてるんだ? 猛毒キノコをお腹一杯食べてたのに? クーファもいなかったのに、あんなの死ぬしかなくない?
体はしびれている感じでけだるい。まだ本調子ではないことはわかるが、毒に侵された症状はもう治まっていた。
足のケガも、出血が止まっているどころかもう治っているみたいだ。
相当な深手だったはずなのに、なぜだ。
それにここはどこだろうか。
考えていると、木製の家の外でドゴォッと何か巨大なものがぶつかる音がした。
「――うははははっ、やはりおぬしじゃったかバラム・ガイト・ラシュエート!」
「アホウ、真名を言うな! 声が大きいんだよ客人に聞かれるだろうが! 痛てえ! 爪! 爪立ってるから! 馬鹿なの!? 殺す気なの!?」
「――獣の王(笑)獣の王(笑)」
「それは勝手に人間どもがつけたんであって俺が名乗っているわけではないの!」
一方はクーファの声だった。
もう一方は、かなり上ずった野太い男の声。でも人間のものじゃないことはなんとなくわかった。
たぶん、精霊か幻獣のものだ。
話を聞くにガルムさんが話していた『獣の王』という奴らしい。
「おー、目覚めたんじゃな稀名よ」
窓から竜の姿でこちらを見つめてくるクーファ。声は少し抑えてある。
「わしは心配してなかったぞ。おぬしがその程度で死ぬはずはないからの」
「クーファも、なんでいるの?」
「さっきここにたどり着いたのじゃ。見知った気配を探っての」
見知った気配?
それにさっきたどり着いた?
クーファが俺を助けてくれたんじゃないのだろうか。
ますますわからない。
窓から少しだけ垣間見えるのは、長い鬣を持つ巨大な白い狼のように思える。
「――客人、目覚めたのならさっさと立ち去るがいい。ここはただの人間が立ち入っていい場所ではない」
今さっき聞こえたときは声が上ずっていたのだが、今はドスをきかせた重い声だった。
白い毛並みの中に黒い毛も昆布みたいに混じっているのが特徴的だ。左目はつぶれていて、切り傷のようなものがついている。
クーファよりは小さくとも、少なくとも平屋っぽいこの家よりでかいんじゃないだろうか。
「こいつはバラム・ガイト・ラシュエート。獣道から生まれた珍しい精霊じゃ」
「だから真名をばらすなって言ってるだろが!」
「バラム・ガイト・ラシュエートじゃ」
「やめろよ! やめろって!」
「バラム・ガイト・ラシュエートじゃ」
「やめっ……やめてくださいお願いしますからぁ!」
そんなに本名を知られるのが嫌なのか、次第に涙声になってきたバラム・ガイト・ラシュエート。
獣の王らしさが全くないんですけど。
クーファの言っていた見知った気配とはこの巨大な白い狼のものだろうか。知り合いだったのか。
ていうか、うるさい。
「ごめん、状況がいまいちわからないんだけど」
「よかった、気が付いたんですね!」
今度は奥の台所のような場所から女の子がやってきた。
長い髪を三つ編みのおさげにして両肩に垂らしている女の子だった。
年齢は十六、七歳くらいだ。ベージュを基調としたゆったりしたワンピースを着ている。
足元には、青い色をした小さいツチノコみたいなやつがいる。
「さすがに焦りました! たまたま通りかかったら、必死こいて毒キノコ食べてたって聞いたものですから」
「えっと、もしかして君が看病してくれたの?」
「はい! でもほとんどあなたの精霊のおかげですよ」
女の子はにっこりとほほ笑んで、手に持っている器を俺に差し出す。
おいしそうな匂いがふわりと運ばれてきた。
ハーブとビーンズ……大豆のような豆を細かくして作ったおかゆのようなスープだった。
「コル、飲み物持ってきて」
「あいよ」
足元にいた青いツチノコがうなずいて台所に消えていった。
木で作られたスプーンで、スープを口に運ぶ。
「あ、うまっ」
「おいしいですか? よかったぁ!」
あっさりしているけれど、すごくおいしい。
シンプルだけど、塩っ気とハーブの出汁が豆のうまみを引き立てている。
「ところでチェルトのおかげってどういうこと?」
「使い魔にした精霊由来の場所だと、その地の魔力が味方をしてくれるんですよ。普段より機敏に動けたり、回復力が高まったり……」
「加護ってやつ?」
「そうそう、そうです」
チェルトの加護っていうと、森の中とかだろうか。
「霊樹の加護は、森林の中で発揮されるの」
チェルトは少し申し訳なさそうに説明してくれる。
「森林の中では傷の治りが早まって、消費した魔力も徐々に回復する。集中すればいろんな生物の気配を見分けることだってできるようになるし、精霊の呼びかけも聞こえることがある。そういえば説明してなかった、ごめん」
「『精霊の呼びかけが聞こえることがある』?」
なんだろう、すごく引っかかる。
思い出せない。けど、なんか森の中でそういう呼びかけが聞こえたことがあるような気がする。
いつだったろう、ものすごく最近だ。
でもイラっとしてきたから思い出さないほうがいいような気がする。
「霊樹の加護が、ゲッコウオオタケの毒を中和してくれたんだと思います」
「そっか、チェルトのおかげだったんだね。ありがとう」
俺はそばにいるチェルトの頭をよしよしと撫でた。
「こっ、子どもじゃないんだからやめてよそういうこと!」
チェルトは突き放すように言うと、フードを目深にかぶってぷいっとそっぽを向いた。
「うー……」
チェルトは唇をわなわなと震わせながら、頭に両手を置き顔を赤らめて目を合わせない。
さすがに褒め方が幼稚すぎたか?
「……えっと、さっきの言葉に遡るんだけど」
俺は青いツチノコが頭に乗せて運んできた、水の入った木のコップを受け取って女の子に向き直る。
「はい?」
「たまたま通りかかったらって言ってたけど、こんな危険な森を歩いてたの?」
「はい。このへんに住んでいるもので」
……ん?
このへんに住んでいる?
おかしいな。
ここは獰猛な獣どもが跋扈している危険な森じゃないのか。そこに住んでいる人なんているのか?
当たり前のように精霊を連れてるけど。
「……このへんに、一人で住んでるの?」
そんなわけない。
思いながらも、器を持つ手が震えてきた。
「はい、そうですけど」
「完全自給自足?」
「はい。木の実とお庭の畑でどうにか賄ってます」
「このへんにはきみしかいないの?」
「そうですよ?」
なんでそんな当たり前のことを? って言いたげに首をかしげる女の子。
俺は生唾を飲み込んで深呼吸する。
「えー……お名前は?」
「はいっ、私、ネミッサ・アルゴンって言いますっ。はじめまして!」
彼女は、天真爛漫な満面の笑みで、澄み切った心地のいい声色で、よどみなく、思い切りよく、これでもかってくらい堂々と、ウィズヘーゼルを絶望の底に陥れている魔女の名を口にした。




