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19 マージナル・ゾーン

 からん、と音を立てて『精霊兵器』の剣が石畳に落ちる。


 知覚できる範囲が、広く深くなっていくのを感じる。


 そのたびに集中力が増し、感覚が研ぎ澄まされていく。


 とん、とん、とん。


 つま先で刻むリズムを聞きながら、意識の限界深域まで、心が落ちていく。


 世界が塗り替えられていくような感覚。


 ティーロさんや兵士たちの表情、浮かぶ汗、体の動き、位置、舞い上がる塵芥ちりあくたのひとつひとつまで、鮮明に視界にとらえられる。


「賊め!」

「ティーロ総長、我々も加勢します!」


 階段から、事情を知る兵士たちが五人ほど降りてくる。


 クーファの攻撃を逃れたらしい。


 上からは物音と、兵士たちが狼狽する声がわずかに聞こえる。


 竜になっていないということはたぶん、俺が精霊たちを助け出すまで遠慮してくれているんだろう。


「頼んだぞ!」


 ティーロさんが精霊兵器の剣を取りに行くのと同時、降りてきた兵士から、クロスボウの矢が一斉に放たれる。


 俺は飛来する矢を五本視界に確認して、小太刀と鞘を使って五本すべてを叩き落した。


「何っ!?」

「矢をすべて防いだ!?」


 矢は五本、すべて確認してから正確に叩き落した。


 高まった集中力と動体視力が、高速で飛来する矢の視認さえ可能にしていた。


 ――極限のリラックスは、極限の集中力を生む。


 高められた集中力は限界まで脳の力を引き出し、反射速度や処理能力を飛躍的に上げる。


 おまけに風のおかげで焦りも緊張も取り除かれた体は、余計な力を抜いたまま思い通りに動いてくれる。


 風を使って、超集中状態……いわゆるゾーン体験のようなものを故意的に引き起こした。


 普段の俺なら、きっと脳の処理に体が追いついていかない。


 でも身体能力が強化された状態なら、その力を十二分に活用できる。

 むしろ強化された身体能力に、ようやく脳の処理が追いついたような状態だ。


 体が数倍軽くなったような感覚さえ覚える。


 今ならどんな攻撃にだって反応できる確信があった。


 兵士たちが剣を抜いて一斉に飛びかかってくる。


 俺は格子をつかんで、天井近くまで一気に跳躍。

 鉄の格子に敵の剣のぶつかる音がする。


 よく見ると、ウルはトーマスさんが落としたらしい鍵を拾って、精霊たちを解放していた。

 精霊たちの方は、ウルに任せても良さそうだな。


 檻を利用した立体的な運動は、重そうな鎧を着ている兵たちにはできない芸当だし、そんな発想自体思い浮かばないないだろう。


 虚を突くには十分だ。


 上から下へ、風を吹かせる。

 風を浴びた兵たちは武器を取り落としてその場に倒れた。


 一気に眠らせるくらい、風の深度を調節したのだ。


 着地した瞬間――


「――っ!」


 剣を振る風音がして、俺はとっさに飛び退いた。


 格子を蹴って天井にあったわずかな窪みに掴まる。


 一瞬後、俺のいた場所に炎が走って、石畳が焼け焦げた。


「ティーロさん、もうやめてください。俺はもう、炎の軌道も魔法が発動する瞬間も察知できます。大人しく精霊を解放してください。でないとそのうちすごく怖い人が殴りに来ますよ」

「精霊たちは魔王軍との戦争に必要な戦力だ。せっかくこんなに捕まえられたんだから、むざむざ手放すつもりはねえ」


 ティーロさんは接近して上段に精霊兵器を振るう。


 俺は剣を小太刀で受け止めながら、慣性を利用して後ろに跳んだ。


「どうして、そこまで……」

「俺は故郷を魔族に滅ぼされた。当時の俺は力がなかったら逃げるしかなかった! だが今は違う! この力を利用すれば、魔族を駆逐できる!」

「だからって、それを精霊に無理強いすることないじゃないか」


 ウルみたいに精霊が自分から使い魔になることだってあるんだ。


 こんなやり方をしなくても、きっと戦力は集まるはずだ。


「お前は魔族の力を知らないからそんなことが言えるんだ!」


 ティーロさんは炎をまとわせた剣を振るう。


 風の音。


 コルンヴォルフとやらの魔法のおかげで、炎の乗る風の軌道が変化しているのがわかる。

 紙一重で交わすと、炎はそのままかき消えた。


「いいじゃねえか。お前の力を手に入れられれば、『スプリガン』はもっと強くなれる! まだ遅くねえ、俺とこの町の未来のために犠牲になれ、神無月稀名!」

「いやだ。いくらなんでも勝手すぎだ!」

「なにがいけない!? どうせお前が死んだところで誰も困らないだろ!」

「そうだけど、そうじゃないかもしれないじゃないか!」


 正直ちゃんと否定できないのが辛い。


 剣を振るうために、ティーロさんの腕に力がこもっていくのがわかる。


 動作に入ったと同時に飛び出す。

 また剣を振るう前に受け止め、弾き飛ばした。


「どうせ俺なんて誰にも必要とされてないよ! 仕事もしてないし親にも煙たがられてるし、金もないし恋人も友達もいない、ただ起きてタダメシ食ってネットして寝るような毎日の、生産性のない生活しかしてないよ!」

「お前、意外とどうしようもないやつだな……」

「うっさい! こんな俺でも、何か誰かの役に立つかもしれないって思いながら生きることの何がいけないんだ! 俺だって何かしないとっていつも思ってたんだ。でもできなかった!」

「それが王都襲撃に繋がったってのか?」

「だから誤解だってば!」


 ティーロさんは持っていたもう一本の普通の剣で切りかかってくる。


「何が誤解なものか! 何かしてやりたい衝動を破壊に向けているだけだろう!? このガキが!」


 俺はそれをやや上段で受け止めた。


「俺はただ、チェルトたちを助けたいだけだ! 俺は俺の価値観で、俺の立場でできることをやる! お前らがどう思おうが関係あるか!」


 考え方も社会も全然違う世界に来ようが、俺は俺の心を失うわけにはいかない。


 それはたぶん、一番捨てちゃいけないものなんだ。


 脇ががら空きだった。

 一気に懐に入って――柄部分の頭を使いティーロさんのわき腹を打った。


「ぐあああっ」


 鎧が砕ける音がして、ティーロさんは膝をついた。


 持っていた剣も取り落とし、俺はそれを足で踏んで拾えないようにした。


 だけどティーロさんはまだ戦意を失っていない。


「ぐっ、くそ、まだだ」


 拳を握り、俺に殴りかかろうと立ち上がった。


 そのところで――


「うごっ!」


 不意に飛んできた羽の生えた丸太が、ティーロさんの後頭部を直撃した。


 捕らわれていた『沼の民』たちが、檻から出てきて俺たちを囲んでいた。


 ……俺は敵じゃないからね?


「おい人間、よくも俺たちをこんな目に遭わせてくれたな」


 どこからしゃべっているのか、低い声の丸太がティーロさんに言った。


「精霊族を馬鹿にした人間がどうなるか、わからないわけじゃあるまいな?」


 ひょっこりと精霊たちの後ろから、ウルが顔を出して俺に目配せをした。


 俺はうなずく。


 うん、解放できたのはいいんだけど、ちょっと元気になりすぎじゃないか?


 姿かたちがどう見ても河童の奴が、前に出てきて言った。


「ウルっちみたいにいい奴はいるのによぉ、最近の人間ってのはわかんねえな」


 そして何でもうあだ名がつくくらい仲良しになっているんだい?


 ウルも、ちょっと所在なさげだ。


 蔦のようなものが、ティーロさんの体に絡み付いてくる。


 怒りの表情のチェルトが、ティーロさんを見据えていた。


「このまま絞め殺すわ」

「やめろ、くそ、はなせ!」


 首に、チェルトの蔦が巻き付いていく。


「まあ、それくらいでいいんじゃないかな」


 俺はチェルトに言ったけど、チェルトは俺を一瞥しただけだった。


 蔦がティーロさんの首を絞めていく。


「やめろ、やめろおおおっ!」


 俺は小太刀の風をチェルトに向けようとしたけど、やめた。


 ティーロさんが泡を吹いて気を失うと、チェルトはティーロさんを放してあげたのだ。


「……殺してないんだよね?」

「殺してないわよ、別に」


 チェルトは、恥ずかしげに目をそらして言った。


「ありがと……あと、ごめん。ちょっとあんたのこと疑ってた」

「まあ無理もないよね。クーファにお礼言わないと」


 俺は言ってから、ティーロさんが使っていた精霊兵器の剣を持ち上げる。


 目玉がぎょろりとこちらを向いた。

 正直かなりキモい。


「どうしよう、これ」

「よこしまな人間が使う邪法みたいなやつじゃねえのか? 解く方法だってあるだろう?」


 丸太が俺に聞いてきた。


 しかもなんていうか、高級ななめし革を思わせるような滑らかなバリトンの、すごく良い声だった。


「融合しているのを元に戻せるてこと? そういうのがあるのかもわからないんだけど」

「気味の悪い儀式とかやってる教団とか昔はいたもんだがな」

「そうなんだ」


 丸太が言葉話すとかかなりシュールなんですけど。


 やっぱりこいつら妖怪じゃないの?

 河童もいるし。


「とりあえず、こういうの一通り持っていこう」


 精霊兵器について、クーファなら何か知ってるだろうか。


 魔法陣の描かれたおフダや、『レシピ』とやらが書かれた古い羊皮紙も拝借して、俺は小太刀をしまった。


 どっと、疲労が押し寄せてくる。


 さすがに反動がきついな……。


「とりあえずここから出よう」


 クーファと合流して、できるだけ早く逃げよう。

 でなければ、また俺にいらぬ罪状がついてしまいそうだ。


 『スプリガン』の事情を知っている人間が、これで全員だと思いたいんだけど。

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