119 レソビィーク・カンパニーとその活動(2)
「私も先生やりたーい!」
ポニーテールを揺らしながら勢いよく入ってきたのはレルミットだ。
後ろから、白目をむきそうな表情の隊長さんがよろよろと入ってくる。ため息まじりに眉根をもんでいるところを見ると、レルミットが原因の心労が嵩んでいるらしい。
「あ、そうだ。稀名君お風呂ー」
レルミットは思い出したように俺の手を握って、期待を込めたまなざしで俺を見つめる。
当然だがそのまま自分をお風呂に入れてくれという意味で頼んでいるわけではない。
「レルミット」
「ん?」
「『天国の露』をお風呂代わりに使おうとしないでくれる? 確かに汚れが取れるどころか髪さらさら肌つやつやになるけども、一応あれ傷治す魔法だから」
「だってお風呂入るのめんどくさいんだもん」
俺が断ると、レルミットはふくれっ面でソファに寝そべった。意地でも風呂は入りたくないらしい。
「あ、ネミッサ、僕も文字の読み書きや剣術なら教えられるよ」
先生をやりたいというレルミットに、アシュリーも便乗する。
「わっ、じゃあお二人にお願いすればいいですね!」
ネミッサは納得するが、いいのか? アシュリーはともかく、レルミットだぞ。
「まあネミッサがそれでいいならいいんだけど」
「いっそ、そのまま永久に転職してくれ」
隊長さんはドライな口調でレルミットに告げた。
「隊長さん、久しぶりですね」
「ああ。名前、隊長ではなくてルパンデュだがな」
「それも偽名でしょう? ……例の件の首尾はどうです?」
「人員は集まってきている」
あまり詳しいことを知らせていないアシュリーやネミッサたちに気を配りながら、隊長さんは答えた。
ビルザールは労働力に奴隷を使うことがよくある。
問題は、他国からの難民も奴隷として半ば公然として市場に流れていたことだった。
国中がめちゃくちゃに荒れた今も、それは一部で続いている。
四、五人一束で売られ、老人や六歳以下の子どもは労働力にならないから殺され、病気のものは安く売られている。大半は農奴にさせられるが、前線で魔族――バディと戦わせるために騎士に大量に買われたりもした。
今までに隊長さんたちが現場を調査していてわかったことである。
隊長さんたちは、そういった不当な扱いを受けている祖国の民たちを解放するように命が出たらしい。奴隷解放運動に向け、例によって結社も一枚噛ませてもらっているというわけだ。
「きみには感謝してもしきれないな。引き続き支援を頼む」
「それはもちろん。隊長さんのところは羽振りもいいから結社としても大歓迎ですよ」
大きな案件になりそうで、隊長さんの国から十分すぎる報酬がでている。結社としてはがんばらないわけにはいかない。
「しかしタイミングがよかったな」
「なにがですか?」
「レソビィーク・カンパニーの設立だ。先に起こった『教団蜂起』の混乱のおかげで、今や結社はこの大陸の裏社会を支配しつつある組織として成長している」
「そのへんは隊長さんの暗躍があってこそでしょう」
「きみもなかなか板についてきたんじゃないか?」
俺は苦笑しながら返す。
「悪役面なんて似合うのはごめんですよ」
「指名手配はまだ消えていないみたいじゃないか。十分悪人だ」
「それも迷惑な話だなあ」
ただ、本部に隠れ住んでいることもあって俺を捕まえようと襲ってくる人間はいない。
「まあ騎士たちも大規模な捜索は行っていないようだしな。代わりに命知らずの賞金稼ぎたちが組合を作ってきみの首を狙っているみたいだが」
「まあそれくらいなら。騎士が……いや、ヘルムートさんたちが出張ってこなければどうにかなりますよ」
賞金稼ぎが出てきたところで、結社の持つ戦力も充実している。万一にも俺が捕まることはないだろう。
もう少しほとぼりが冷めたらヘルムートさんにも接触してみよう。あの人とのパイプがつながれば、ビルザール国内での活動がよりやりやすくなる。
何より、あの人との戦いはいろいろトラウマを背負うことになるので、早めに和解しておきたい。
「まだまだやることは山積みだな」
「本当、死にそうです」
俺はごろごろして食っちゃ寝したいだけなんです、と愚痴ると、隊長さんは笑った。いや全然冗談じゃないんですよ。
「あとで正式に結社の幹部たちに報告に行く。ところで外の入り口の近くにこんなものが落ちていたぞ」
隊長さんは手に持っていた紙切れを俺に渡してくれる。
文面は、ビルザールの言葉で、殴り書きのような字で、
『恋しくば訪ねてきてみよ』
とそれだけ書かれていた。
「またか。いないと思ったら……」
間違いなくクーファの書き置きだった。
どこにも行かないとか言ってたくせに、クーファは何日かに一回はこうして書置きを残していなくなる。
とことん天邪鬼というか、話は聞かないし自分が言ったこともすぐ忘れるクーファらしいが、わかっていておもしろがってやっているんじゃないかというきらいもある。自由すぎる。
一度死んでそれを俺が連れ戻して以来、クーファの中で突然いなくなるのがちょっとしたブームになっているようだった。
本部かその周囲に隠れているクーファを探して俺が連れ帰るまでがテンプレだ。
最初はいなくなってしまったと焦ったりしたが、何度もこれを繰り返していると気持ちがマヒしてくる。
「信者達に探させますか?」
とウルは言ったが、俺は首を振った。
「いや、ほっとくと『なんで探さないんじゃ!』って言いながら出てくるから放置しておこう」
というか、最近は本当に忙しくて探している暇がない。
「誰か俺の代わりに働いてくれればいいんだけど……」
「やー、稀名さんの代わりを務められる人はいないでしょう」
ネミッサに言われて、俺はがくっと肩を落とした。
「諦めなさい」
チェルトも俺にトドメを刺しにくる。
さらに肩を落としてため息をついていると、
「そうだ、レルミット」
隊長さんはレルミットの肩に手を乗せて言った。
「お前仕事引退して神無月君の嫁にしてもらえ」
「嫁ー?」
「嫁!?」
俺とレルミットの言葉が重なった。
いきなり何を言い出すのかと思えば。
「というか今日はその提案をするために来たようなものだ。神無月君もほら、そろそろ嫁を貰いたい頃だろう。歳もそんなに違わないしちょうどいい」
隊長さんは俺に同意を求めてくる。
いや、同意を求められても困るんですが。
あんたもうレルミットの世話したくないだけでは?
「いや、俺はあまりそういうのは考えていないというか……」
「稀名君が養ってくれるならいいよ!」
笑顔で言われたけど、レルミット軽いなおい。養うとかそういう問題なのか?
「稀名さん、そ、それなら私も……!」
ネミッサも便乗して、恥ずかしげに手を上げた。
「ネミッサまで」
「や、約束してくれたじゃないですか! 私じゃだめですか!?」
「いや、だめっていうわけでは……」
あれは約束といえるのか、どうなのか。そういう根本的なところまでさかのぼらなくてはいけないのだが、ネミッサはそれでいいのだろうか。
迫るネミッサとレルミットの前に、
「だ、だめー!」
チェルトが立ちはだかるようにして入ってきた。
「稀名にお嫁さんなんていらないの!」
「だめだ。早くレルミットから解放されたい……いや、神無月君の世間体も考えなければならない。結社の幹部がずっと独身なんておかしいだろう」
隊長さん本音漏れてますよ。
「モテモテだね、稀名」
「私は、ご主人様が幸せなら、どなたがお嫁さんでもいいですよ」
アシュリーとウルは、ほほえましく俺たちを見守っている。
「いや、ちょっと待って。ウルさんはそれでいいのかい?」とアシュリーは驚いたようにウルに食い下がる。
「私はおそばに置いてもらっているだけでも十分幸せですので」
誰も助けてくれなかった。
隊長さんはさらにレルミットに耳打ちする。
「もうここで子作りしとけ。既成事実を作ればさすがに神無月君も認めるだろう。私は出ていくから」
「どうやるの?」
無邪気に訊くレルミットに、隊長さんは即答した。
「押し倒して服を脱ぐんだ」
「隊長さーん!」
隊長さんの言葉を聞くや否や、レルミットは目にも止まらない速さで俺の懐に入り足を引っかけて床に押し倒した。
「ぐおっ」
隙も無駄もない動きだった。背中を強く打ってうめいている間に、レルミットがのしかかって服を脱ぎ始める。
あっという間に上着を脱いで、レルミットはそのまま停止した。こぼれるような二つの丘にレルミットの長い髪が絡みつく。
「……これでいい?」
「まだだ。これは神無月君もがんばらなければならない。では私はこれで」
「隊長さーん!」
「ほら稀名君がんばって! やる気になって!」
俺にまたがったまま、レルミットは俺の肩をゆする。前傾姿勢なので目の前にはたいへんまぶしい光景が広がっている。
つーかこんな状況でがんばれるかい! 羞恥プレイか!
「私も裸で恥ずかしいんだから! 早く!」
羞恥プレイか!
「ちょっ、ちょっと待ってください! レルミットさんばっかりずるいです……!」
便乗してテンションが上がったネミッサもいそいそと四つん這いで迫ってくる。
「僕もそろそろ帰るね。ウルさんも加わったら?」
「私のようなものが、みなさんと肩を並べるなんて恐れ多いです」
アシュリーに言われたウルは、首を振って否定して、
「でも、ご主人様がよろしければ……」
すがるような潤んだまなざしで俺を見た。
「じゃ、じゃあ私も――」
さっきまで味方でいたチェルトも俺に迫る。
あれ……!? もしかしてこれハーレム作れる……!?
うまいことかわしてもいいがここで受け入れてしまったらどうなるのか。
重大な問題に差し当たってしまったが、しかし一歩間違えば全員に嫌われそうだ。
ここは『限界深域』で脳の処理能力を限界まで高めて慎重に判断を下さねば。恋愛経験の乏しい俺がこの状況の切り抜けるにはこれしかない。
俺がこっそり小太刀を出そうとしたその時、ドアがノックされ、外で待っていたメイドさんが中へ入ってきた。
「失礼します…………失礼しました」
「失礼しないでいいよ! どうしたの?」
すぐに部屋を出ようとするメイドさんを俺は引き止める。なんか恥ずかしくなってきた。
「……レーシィ様、稀名様、じつは今妙なお客様がいらっしゃっています」
「妙な客?」
メイドさんは、少し焦り気味に頷いて答える。
「はい。どなたのアポイントも取られず、『門』も使わずに、ここにたどり着いた方のようで」
「!」
にわかに胸がざわつく。
それは、まずい。
本部の詳しい場所は一部の幹部以外は知られていないはずなのだ。ここまでの移動は『門』で行うから、道のりがどこかのタイミングで流出することもない。
そもそも本部自体も霊符で見えなくしていて、そうそう見つかりはしないはずなのである。
偶然はもちろん、狙ってたどり着くのも至難の業。
普通なら不可能な所業のはずだ。
町などにいくつかある支部が知られるのはまだしも、本部の場所は知られてはいけない最重要機密である。
それが第三者に漏れてしまった。
非常事態だ。
「人数は?」
「お一人様です」
「浮浪者とかではなく?」
「賊や浮浪者の類には見えませんでした。……話を聞くに、どうやら目的があって、この本部へやって来られたようです」
「ますますまずいな……」
本部とその周囲に施してある魔法師による守りが看破され、ここまで侵入を許したのは結社設立以来初めてだ。
誰か知らないが、とんでもない人もいたものだ。
「そのお客様はここの代表――レーシィ様にお会いしたがっています」
「まずは俺が対応する。ウルは安全なところで待機していてくれ」
ウルが頷いたのを確認して、俺は黒竜としゅわちゃんを呼び出した。
「しゅわー(我々の出番か)」「今日は殺してもいいのか?」
「くれぐれも殺さないように!」
物騒なこの二人の精霊は、俺のボディガードに最適だった。
俺は乗っかる半裸のレルミットをどかして、ローブを羽織って部屋を出る。
イレギュラーは、今に始まったことじゃない。むしろ毎日のように問題は起きている。今回もどうにか対応してみよう。
しかし俺が求める安息の日々は、まだまだ訪れて来てはくれないようで非常にがっかりである。
※まだもう少し続きます




