111 白竜迎撃戦
時間は稀名たちが言霊を解放した少し前に遡る。
稀名たちと別れたあと、白竜――クーファは感慨深げに息を吐いて、作った銀細工たちを広場へ導いていた。
あの広場は、初めて稀名と会った場所だった。
自分の勘違いで王都を襲撃していたところに、心の安らぐ変な風を見舞われて、説得させられた。
不思議な雰囲気を持った、異世界の少年。
「妙な因果じゃ」
くつくつと一人笑いながら、白竜は広場に足を踏み入れる。
――瞬間、面積のある広場全体に刻まれた文字の魔法陣が一斉に浮かび上がり、銀細工で作った稀名をはじめとした集団を一網打尽に拘束した。
「――!」
白竜は身をすくめるようにして、首を沈ませ、その場に立ち止まった。
「よし! 白竜および神無月稀名を捕らえたぞ!」
家々に隠れていた白いローブを身につけた魔法師たちが姿を現し歓声を上げる。
だがその様子がおかしいことに、一拍置いて気づいた。
「……な、なんだ!? 神無月稀名じゃない!?」
黒いローブを着ていた神無月稀名と思われる人物が、どろどろに溶けていた。
見ると、集団は同じように銀色の液体のようになり、やがて消え失せる。
残ったのは、伏せるように身を低くした白竜のみ。
だがそれも、不気味に笑ったような表情をしたあと、ロウソクのように溶けて地面へ染み込んでいき、瞬く間に消え去った。
魔法師たちは騒然となる。顔を見合わせ、口々に「どういうことだ」「これは罠か?」自分たちの置かれている状況を談じる。
「ふむ」
広場の外から呑気に歩いていくる、幼い少女がいた。
逃げ遅れた少女――ではない。明らかに、普通の女の子とは異質の空気を放っている。
さらさらした銀髪を揺らしながら、翡翠のような透き通った瞳を驚く魔法師たちに向け――
「やはり広場全体に罠を張っておったな。おお怖い怖い」
嘲るように囁いた次の刹那には、少女――クーファの周囲に無数の魔法陣が展開し、銀で作られた剣やら槍やら数え切れないほどの武器が、魔法師たちに向けて鎌首をもたげていた。
「ぼ、防御だ! 霊符を展開しろ――」
誰かが叫んだのとほぼ同時か、無数の武器は広場へ、横殴りの雨に似た激しさで突っ込んでいった。
銀の剣たちは次々に広場に刻まれた文字を削り取り、魔法師たちを切り刻んでいく。いくつもの悲鳴が重なった。
「ま、生きていればあとで治してやるからのー」
破壊された広場の魔法陣と倒れ伏す魔法師たちを確認して、クーファは堂々と広場へ足を踏み入れた。
「ば、化け物……」
運良く霊符でクーファの魔法を防いだ魔法師が一人いたが、腰を抜かして震え上がっていた。
「ぐえっ」
とりあえずそいつを殴り飛ばして、クーファは周囲を見回す。
これですべて片づけただろうか?
あまりに手ごたえが薄いというか、まだ暴れたりなかったのだが。
「うおおおおっ!」
突然背後から飛び出した男に、クーファは裏拳を放った。
男はとっさに筋張った腕を出して防御し、しかし衝撃で後ろへ後退する。
男――アデルバートは舌打ちすると、拳を構える。
「こんなかよわい少女に暴力とはまったくこの国の騎士は人間の程度が知れるわ」
「……神無月稀名はいないようだな」
アデルバートはクーファの軽口に取り合わず言った。
「今更じゃな。もう遅いのじゃ」
「そのようだ」
アデルバートはじりじりと距離を取る。クーファは動かない。
「もうこちらに戦える戦力はほとんど残っていない。この戦争は終わってしまうようだ。だが――」
アデルバートは懐から何か手のひら大の塊を取り出した。
「それは、稀名の持っていた――」
「そうだ。雷侯が封じられていたものだ」
クーファは記憶をめぐらせる。
確か、『こんとろーらー』とか言ったか……?
「これを取り戻した。すでに目的は達した。だからこの戦いは、我々の勝ちだ!」
アデルバートは持っていた塊を勢いよく地面に叩きつけた。
『こんとろーらー』が砕け散ると、溢れるように汚泥のような液体が周囲に広がった。
そしてその液体の一部は騎士パトリック・ラザフォードの姿に形を変える。
「私、復活ゥ」
パトリックと思われる人物は胸を張りながら狂ったように笑った。
「なんか自分の性格忘れておらんか?」
精霊兵器本体の破壊が伴う過程で精神が壊れたのか……クーファの記憶にあるパトリックとは別人のようだった。
まあ、どんな性格だろうと関係はない。すぐに、今度は跡形もなく消し去る。
「――であればまたこの前のやつを食わせてやるのじゃ」
クーファは再び白竜の姿に戻った。
『白銀の細工師』による巨大な銀の塊が出現し、白竜の顎が開いて高熱の息を吹き出す。
「だがそれはダメッ」
パトリックが叫ぶと、広場は再びほの明るく輝きだした。
「――破壊したはずの魔法陣が!?」
「私の泥で魔法陣を修復したんご」
いつの間にか、クーファの穿ち削った広場の文字が、パトリックの濁った液体で埋まっていた。
直った文字は文字として機能し、魔法陣が発動する。
「――ぐうっ!?」
クーファは、竜の巨体を地面にくっつけるようにして突っ伏した。
動くことができなかった。身体中が重い。魔法も使えないどころか、少女の姿になって素早く逃れることもままならない。
「これは魔力と重さで拘束する特別な魔法陣だ」
パトリックとともに広場の外に逃れていたアデルバートは、クーファに説明する。
「重さ、じゃと……?」
「魔力の阻害とともに、自重を増やして体を普段よりずっと重くさせる状態を付加している」
「なんで、それだけでこんな苦し――」
クーファの目が見開かれた。「――げほっ、がはっ」派手に咳き込む。唾液と一緒に血反吐が飛び散った。息もできない。地獄のような苦痛しか感じない。
「普通の人間なら、お前ほど影響は受けないだろう。これは体が重いほど負担が増える。内臓への負担だ。いくら筋肉で体を支えられていても、臓腑が自重に耐えられなくなって潰れる。巨大なものほどよく効くのだ。加えて、お前は図体相応に内臓が強くないようだ。自身の重みがたやすく身を滅ぼす危うさを秘めていたことに、今まで気づかなかったのか」
クーファはまた咳き込んで血を吐いた。
重さが自分の弱点? そんなことずっと生きていて思いもしなかった。
魔法で回復することもできない。もしできたとしても、治るそばから潰れていき生き地獄を味わうのだろうが。
「そして私は救世主!」
「あなたは救世主ですとも。さあ、私たちを導いてください」
「オッケー!」
油断していた、わけではない。十分に気を配っていた。それでもなすすべがなかった。
「――がはっ」
おびただしい量の血を吐いた。
次第に意識が薄れていく。
自分は死ぬのだろうか。
視界が霞んでいく。
「言ってくれた……」
「?」
「命が危うくなったら助けてくれると」
「なんのことだ?」
「稀名が、言ってくれた」
希望はある。自分は絶望なんてしていない。
クーファが危ない時は助けに行ってあげるよ。
彼はそう言っていた。
絶対に来てくれるはずだ。稀名なら、きっと。
だから、絶望なんてしない。
「…………」
自分の吐いた血の海に顔を横たえて、決意めいた思いを最後にクーファの意識は途切れた。




