108 暴力・暴風・歩行者優先!
「ぐっ!?」
せっかく作ってもらった黒いローブに穴が開き、衝撃が体に走る。
しかしそれだけだ。
とっさにローブの内側を『森羅創成』の樹木で覆った。
槍は木の枝に阻まれてそれ以上は刺さらない。
猫背の男小牧さんの舌打ちが聞こえる。
「化け物め……!」
チェルトの『イワトガラミ』としゅわちゃんの雷撃、そして黒竜の『黒妖鱗』の刃が俺にまとわりつく死体どもを次々に屠る。
「油断しすぎよ稀名」
「いやー、死んじゃうところだったよ」
苦笑しながらローブを整えると、
「――あんな攻撃で死ぬタマではないだろう」
「――しゅわっ」
方々から反論の声が上がった。
「俺もっと楽がしたいからドシドシ助けてほしいんだけど」
「――甘えるな。貴様の強さを見せつけるのだろ?」
「――しゅわっ」
話している間にも、死体たちは次々に土から湧き出してくる。
――なるほど、その気になれば戦力を無尽蔵に増やせるのか。少しやっかいだ。
でもきっと杏さんなら涼しい顔ですべての死体たちを撃ち抜くだろうし、不動なら能力と腕力でゴリゴリ押し切るだろう。
あの二人に比べたら、この二人は全然マシだ。
黒木さんが持っている短剣の能力なら、過去の出来事も再現できるということだったが――できそうな大技は周囲の兵士たちの安全を考慮して出し惜しんでいるみたいだし。
「――さっさと進むのじゃ。後ろが詰まっておるぞ」
「そうだったね」
ここで止まっているわけにはいかない。
それに兵たちとの戦闘はできるだけ避けて通るけど、彼らは別だ。
彼らは勇者であり兵たちの希望である。
打ち砕けば、敵兵の戦意を削げる。ボーナスバルーンみたいなものだ。
俺は身を低くして突撃し、死体どもを切り捨てながら二人の懐に入る。
「速い!?」
そして素人臭く短剣を構えていた黒木さんの胸ぐらを掴んで、小太刀を胸に滑り込ませた。
切っ先は胸に食い込み、容易にその身体を貫く。
「が、はっ!?」
血を吐いて身体を脱力させる黒木さん。刃を引き抜くと、胸からおびただしい量の鮮血が流れてきた。
顔にかかった返り血を手で拭いながら地面に打ち棄てると、黒木さんは流れる大量の血とともに動かなくなる。
「ひ、ひいい!?」
顔を恐怖でしわしわにして逃げようとする小牧さんの背中に向けて小太刀を振るう。
「ぎゃああっ!」
血飛沫があがる。膝をつく小牧さんの背中をもう一度切りつけると、小牧さんはうつぶせに倒れた。
「そ、そんな……」
「勇者様たちが一瞬で……?」
戦闘に参加できず見ていたままだった兵たちの表情が絶望に染まった。
そうだ、恐れ慄け。
目の前にいるのは人間じゃない。厄災の寄せ集まりだ。
「ということでよろしくクーファ」
「――なるほど、そういうことじゃったか。いきなりらしくないことをしたからびっくりしたのじゃ」
クーファの回復魔法『天国の露』が瀕死で倒れている二人の身体をつつむと、傷は瞬く間に癒えた。
しかし地面に染み込んだ血液はそのままだし、二人とも気を失っている。遠目からだと死んでいるようにしか見えない。
行進を再開する。
「――そのまま殺してしまえばいいのだ」
黒竜は少し不満げだが、命を奪うほどのものじゃないからね。
「逃げろーっ! 勇者様がやられた! もう終わりだー!」
どこからか、聞いたことのある声が叫んだ。
今回は地中を自由に移動できるバンナッハにサクラを頼んでいた。
それを聞いて、兵たちが踵を返して走り出す。とくに前線にいる者が蜘蛛の子を散らすようにして逃げ出していく。
やはり半分くらいは寄せ集めの戦力だったらしい。
それでも逃げ出さない兵は少なからずいた。……が、テンションはこの上なく低い。
やる気のない壁のようになっているその集団をそのまま押し切って進む。
たまにやってくる弓矢は弾くか避けるかする。敵は投石機やバリスタも投入していたが、そういった大規模な攻撃も黒竜やクーファの魔法で十分防ぐことができた。
時折体のどこかに矢がかすったりするが、そんなかすり傷でさえも、すかさずクーファの魔法が瞬く間にいやしてしまう。俺だけじゃなく、仲間たちに対しても同様だ。
「こんなの、どうやって倒せば……」
そんな一方的な攻防が繰り返されるうち、次第に兵たちは絶望していった。
なにせ倒せる方法がない。向かって行けば魔法のせいで近づけず、傷を与えてもすぐに治癒してしまう。深手を負わせるなどもってのほかだ。
加えて、引き連れている巨大で強大な精霊たちの存在感。
兵たちは俺が起こした風のおかげで平静を取り戻している今、その戦力差は歴然なまでに感じているはずだ。
なにがどう転んでも、俺たちの中の誰一人として仕留めることはかなわない。
敵がそれに気づいたと俺たちが理解するころには、攻撃の勢いは空に飛ばしたくしゃくしゃの紙飛行機のように弱々しくなっていた。
「――よい眺めじゃろう、黒竜? この光景をたった一人で起こしているのじゃぞ。神無月稀名という矮小な人間がの」
珍しく、クーファは機嫌の良いまま黒竜に言った。
周囲には、絶望して立ち尽くすおびただしい兵たちの顔。膝を折っているものや気絶しているもの、泣き崩れるものもいる。
眼前にいる進路上の兵士たちが怯えながら下がり、自然と道が開いていく。同じ極同士の磁石のように、災いから逃れるように、俺たちの歩こうとする場所から退いていく。
「――ふむ、なるほど爽快である。殺してしまったらこのような顔は拝めん」
黒竜はあたりを見回してご満悦だ。なにこの二人の悪人っぷり。
それを聞いて、俺のすぐ後ろを歩いていたチェルトが得意げな顔になった。
「私の稀名ならこれくらいやるわよ」
「――いつお主のになったんじゃ。これはわしのじゃ」
「お二人とも、ご主人様を物のように言わないでください」
「ウルちゃんこそわざわざ前に出てきて言うことですか?」
なぜか真ん中あたりにいたウルや後ろの方にいたネミッサも、いつの間にか俺の後ろに出張ってきて言った。
「あんただって最後尾が持ち場じゃないネミッサ。なんで最前列まで出てきてんのよ」
すかさずチェルトがむすっとしながら言う。言われたネミッサは少し及び腰だ。
「わ、私だって稀名さんの近くがよかったんですよう! ちょっとは前に出てきてもいいじゃないですか!」
「ネミッサさんは後ろで霧出しててください」
「――そうじゃ水分が足らんぞ水分が。さっさと露出しておれ」
「ろしゅっ……変態みたいな言い方しないでください! ていうか魔法の名前的に露出はクーファさんの方じゃないですか!」回復魔法の『天国の露』的なやつね。
「――誰が露出狂の変態じゃ?」
「そこまで言ってませんって!」
「――しゅわっ(……おい、いい加減全員持ち場に戻れ。列が乱れてるぞ)」
ていうかまだ戦闘中なんですが。黒竜もいつの間にか後ろに追いやられてるし。
「緊張感ないなあ」
学校の遠足で列になって歩いていたのにいつの間にか仲のいい友達同士で固まっちゃったやつかな?
だがそんな会話をしているうちに、すっかり敵の前線を抜けていた。
ウルたちを下がらせて、なおも前進しながら周囲を眺める。
「アデルバートさんは……いない?」
後衛は王都へと下がっていく兵とこちらに向かってくる兵とに分かれていた。
ただやはりこちらに向かってくる兵たちの士気はすこぶる低い。
向かってくるものだけ迎え撃ちながら、元凶の姿を探す。
「――いないようだぞ」
黒竜も見つけられないようだ。
王都が近い。見ると、下がっていく兵士を飲み込んだ門は、すぐに固く閉ざされた。
だがあんな門など、俺たちにとっては何の意味もない。
「ちょうどいいし、このまま王都に入っちゃおう」
ウルとネミッサに後ろの警戒を頼みつつ、俺たちは徒歩で進んでいく。
城壁から顔を出した兵たちによる、矢の雨が降り注ぐ。
『限界深域』で高まっていた俺の集中力は、その中に矢尻に文字が刻んである矢をいくつも見つけた。
「――まずい。跡形もなく焼き払ってくれ!」
言うと、ウルの『イグニッション』とクーファのブレスが上空で炸裂し、降り注ぐ弓矢を跡形もなく吹き飛ばす。
あれは魔法師の魔法だ。普通の矢の中に、魔法師の魔法の矢を混じらせていたんだ。
「弓兵の中に魔法師が何人か紛れてたみたいだな」
でもさっきの前線ではこんな小細工なかったはずだ。後衛に魔法師を集中させたのだろうか?
いや、一射目はあえて魔法師を混ぜなかったな。たぶん、この本命の攻撃を確実に行うために。最初一斉に飛ばしてきた矢が何の変哲もなかったのは、二度目の一斉射もただの矢だと俺たちに思わせるための布石だったんだ。
「これだけ手を打ってきているからには、まだ油断はできないか……」
王都へと続く門を城壁ごとベニヤ板のように簡単に打ち砕いてから、俺たちは中へ入場した。
すぐに、ネミッサの霧が静かな町並みを包みこむ。
きっと向こうは市街戦も考慮している。百鬼夜行は、まだ続く。