107 魍魎ども夜の帳に罷り通る
黒いローブを羽織る。
教団でウルたちが使っているものに似たものだ。糸紡ぎの精であるガーレに作ってもらった。
小太刀を出して布切れで巻くようにして腰に差す。
武器はいつでも使えるようにしておくことにした。鞄もローブで隠すようにしながら下げていくことにする。
隊長さんとレルミットは今回は参加しない。
薄くなった結界の外を『門』の力で移動できるようになったので、教団のレーシィ派と連絡を取ってもらうことになったのだ。
「では気をつけてな」
「がんばってねー」
先に『門』で移動する隊長さんとレルミットを見送る。
それからネミッサに『門』を開けてもらい、王国軍のいる位置よりやや遠めの場所へ出た。
その場所はネミッサがあらかじめ結界術で周囲の景色と同化させていた。こちらから軍は目視できるが、軍の方からこちらの姿は見えない。
「では霧を出します!」
ネミッサは水分を操れる青い槍を握ると、瞬く間に空気中の水分を増やして霧を発生させた。
濃霧ほどではないにしても視界がうっすら悪くなっていく。
霧は軍全体を覆うようにして一面に広がっていく。そろそろだ。
「じゃあ行こうか。王都の夜を恐怖に陥れよう」
十分に霧が充満したのを見てとって、俺たちは結界術で地面に描いた円から出て歩き出した。
弓が届くか届かないかほどの距離で、二百メートルより少し短いくらいだろうか。
霧が出ているのでまだはっきりと兵は見えないが、うろたえてざわめいているのがわかった。
会敵まで百メートル近くになったところで、ようやく正面にいる一番近くの兵の姿が見え始めた。目を凝らせば視認できる。
兵たちはすでに気づいていた。
足音を響かせながらやってくる岩峰のように巨大な化け物の群れに。
先頭を俺にして、チェルト、黒龍、しゅわちゃん、白竜になったクーファ、ウルとその使い魔――『沼の民』や水棲馬のケルピィや糸紡ぎの精ガーレ、大トカゲのサラマンダーにオオカミのコルンヴォルフに巨大な羊のバルジーノ――に、ネミッサとその使い魔――巨大な白狼のバラムに人型のバンナッハ――の順で列を作る。
クーファが銀細工で作った龍や兵士やバディに似た化け物、それにバラムがスカウトしてきた獣たちが俺たちを守るために列に混じっている。
総勢合わせればかなりの迫力になるような数だ。
そしてそのまま、何もせずに歩いて行く。
空は薄暗くなってきているせいか、ウルの使い魔でもある『沼の民』の火の玉たちによる明かりが霧の中ぼうと浮かび上がり、おどろおどろしい雰囲気作りに一役買っていた。
ついさっき、おもに精霊たちがどういう順番で並ぶかでだいぶもめ、あやうく仲間割れになりそうだったのは秘密だ。
矢の雨が降り注ぐ。
それをネミッサの氷とウルの空気を固める魔法が、もれなく弾いて防ぐ。
霧を散布し終わると、槍になっていたコルはいったん大蛇のような竜に戻った。
弓やクロスボウを持った兵たちが前に出ている。そこに、剣や槍を構えた歩兵たちが続く。
「――しゅわしゅわ(あの中を突っ切るのか)」
黄色い羽毛の怪鳥になっていたしゅわちゃんが言う。
「うん、そうだよ。身を守る以外はできるだけ何もせずね」
何万もの敵意ある兵たちが目の前にいる。全員で二十万近くだったか。その圧迫感と重圧はかなりのものだ。
それでも進路は、そのまま変えない。
「――しゅわー、しゅわー(正気の沙汰ではないな)」
「だからいいんだ」
ゆっくりと近づいていく俺たちに、兵たちは騒然となっていた。
「神無月稀名だ!」
「射て! 射殺せ!」
号令が聞こえてくる。
弓矢の量がさらに多くなったが、これくらいではこちらの防御力を上回ることはできない。
「稀名さん上!」
後ろにいたネミッサの叫ぶ声が聞こえる。
上? 上だって?
敵は正面のはずだ。
思いながら上空を見ると――巨大な魔法陣が俺たちの上に出現していた。
「これは、バディが現れる時の!」
人工精霊であるバディが召喚されるときに発生する魔法陣だった。
そこから長く巨大な手が俺たちの目の前まで伸びてくる。
「!」
その時ちょうど放たれた矢が飛来し――まるで俺たちをかばうように、魔法陣から伸びたバディの手は壁になって矢を防いだ。
「なんだ――!? バディが俺たちを守っている!?」
味方、のはずはない。バディを操っているのは雷侯派の魔法師たちのはずだ。
誰が一体何のために送り込んだ?
「見ろ!」
思わず足を止めた時、聞いたことのある声が響き渡った。
アデルバートさんの声だ。
「魔族が神無月稀名を守ったぞ! やはりこの一連の事件の首謀者は神無月稀名だ!」
後方にいるらしいアデルバートさんは周囲に聞こえるように声をめいいっぱい張り上げる。
上空に開いた魔法陣から、人間の腕をつけたカメムシのような巨大な化け物が姿を現した。
現れたバディは、そのまま俺たちを守るように兵たちと相対する。
「アデルバート様の言う通りだ!」
「やはりこいつが俺たちの仲間や家族を殺し、町を破壊したのか!」
「許さねえ!」
「殺せ!」
怒声がところどころから飛び交って、それで俺は気づいた。
このバディは、アデルバートさんが魔法師を使って召喚させたのだ。
「――稀名よ、不覚を取ったの」
心なしか楽しそうに告げるクーファ。
「うん、まんまとやられた」
この援軍は俺の罪を揺るぎないものにするために、怒りで兵を奮い立たせるために、敵の手によって用意されたものだ。
兵たちが俺たちの戦力にビビるかもしれないことは、あちらにとって想定済みだったらしい。
魔族が、神無月稀名が、手を組んでここにいる。
それだけで、兵たちの士気はもはや最高潮。恐怖を忘れさせる演出としては十分すぎる効果だ。先手を打たれてしまった。
現れたバディも、攻撃しないところをみるとそれほど強い個体ではなさそうだ。
敵歩兵は猛然とこちらへ向かってくる。
「計画通りに進めるの?」
「もちろんだよ、チェルト。このまま歩いて、敵陣のど真ん中を突破する」
けどその前に。
俺は腰に差していた小太刀を抜いた。
「……霧を少し吹き飛ばすよ」
小太刀の力で前方に弱めの風を発生させて、向かってくる兵たちに浴びせる。
霧を晴らしながら戦場に波及していく風。
「…………!?」
「なんだ、この妙な気分は!?」
「怒りが収まっていく――!?」
兵たちの動きがにわかに鈍くなった。強制的に気分をリラックス状態にするその風は、最高潮に達していた士気さえ容易に下げ、冷静さを取り戻させる。
「俺のいる戦場に士気の上がり下がりは関係ない。兵たちのテンションは俺が管理する。……このバディも邪魔だな」
出力を絞った『森羅創成』の樹木でバディを締め上げ、そのまま捻り潰す。
土の塊のような破片をばらばらと撒き散らし、バディは崩れ落ちた。
行進を再開する。
霧が薄くなったおかげで、兵たちは俺たちの全貌をようやくその視界に捉えたらしい。
悪鬼羅刹も踏み潰しそうな精霊たちの群れが、まっすぐ進んで来る、その姿を。
「嘘だ……」
「白竜だけでなく見たこともない精霊たちがたくさん……なんだこれ、なんなんだよこれは!?」
「こんなのを相手に、できるのか……? そもそも戦いになるのか……?」
前に出ようとしていた兵たちが立ち止まった。武器を取り落とし、絶望して膝を崩す者もいる。
薄くなった霧もいい感じに演出になっている。俺たちはさらに進む。
「何をしている!? 親や仲間の仇は目の前だぞ!」
後方で指示を出すアデルバートさんの声が聞こえる。
一歩遅れて兵たちはバラバラに向かってくるが、側面は黒龍が鱗の塊をトゲのように切り立たせ攻撃すると同時に進行を阻み、正面は俺が風で眠らせつつクーファの作った銀細工の兵士が道を作っていく。
黒龍が作った鱗は、兵を殺しはしなかったものの足や腕などを傷つけて、いい塩梅に戦闘能力を奪っている。
「――わからんな。命を懸けてでもあの都を守りたいとみえる」
向かってくる兵を倒しながら、竜の姿になっていた黒竜はため息まじりにつぶやく。
「正確には都に住んでいる人だろうけどね」
兵たちの中を突っ切ろうとすると、正面から見覚えのある顔が二つ現れる。
瞬間――
「!?」
俺のすぐ頭上に、ギロチンの刃が出現した。
「なんだ!?」
まっすぐ落ちてくるギロチンの刃を腰を低くしながらどうにか小太刀で受け止める。
ぎいん、と鉄のぶつかる音が響くと、ギロチンの刃はすぐに消え失せた。
「さすがに今のでは挨拶にもならないな……」
「みなさんは下がっていてください」
言いながら、俺の目の前に出てきた二人。
この世界の服を身につけてはいるが、よく見たら二人とも間違いなくあの魔法陣で召喚された勇者だった。
背の高い落ち着き払った男と 少し猫背の目つきの悪い男。
どちらも三十代前半くらいだろうか。
背の高い男は物々しい短剣を、猫背の男は黒い槍をそれぞれ持っている。
今のは彼らがやったのか。
二人のうちどちらだ。
いや、関係ないか。どちらでもいい。押し通らせてもらう。
うっすらと風を纏う。たぶん手を抜けられるような相手ではない。『限界深域』の超集中状態を使う。
頭がクリアになって、余計な情報や雑念が排斥されていく。
――と、今度は突然目の前に弓矢が飛来していた。
「!」
矢の数は五本。本来なら避けられないほどの至近距離だが、今は動体視力も反射も鋭くなっている。すべてイワトガラミのツルで絡み取った。
「……いきなり飛んでいる弓矢が現れた?」
矢は突然何もない空間から出てきたように見えた。
そして気がつけば、ツルで絡め取った矢はどこにもなかった。さっきのギロチン同様、いつの間にか消えていたのだ。
「小牧さん、いつまでも様子見してないで手伝って」
「へいへい」
背の高い青年が言って、猫背の男の方は渋々と頷いた。
警戒していると、今度は足元から突然土を盛り上げながら腕が生えてくる。
「今度は腕!?」
よく見ると傷だらけだったり腐りかけていたり、まるで死体のようだった。
地面から生えてきた腕を跳躍して避ける。
が、地上にも次々と現れる動く死体に体を掴まれた。
「くっ、何の能力だこれ……!?」
まとわりついてきたのは、まるでというかゾンビそのものだった。
そいつらは鼻につく腐臭を漂わせながらありえないくらいの力で俺の動きを封じていた。
「悪いけど、きみを止めれば私たちが召喚されたときの、あの魔法陣をもう一度見せてくれるっていうからねえ」
短剣の刃を見つめながら、背の高い男の方は言う。
猫背の男もそれに続いて口を開く。
「過去に存在したものや出来事を再現できる黒木の力と、あらゆる死体を操作する俺の力でお前を倒して、あの魔法陣の秘密を探る。それがもとの世界へ帰れる一番の近道だと思った。だからお前には犠牲になってもらわなければならない」
なるほど、背の高い男――黒木さんの能力で過去に存在していた死体をここに再現して、猫背の方の男――小牧さんの能力でその再現した死体を操っているわけか。
「――どうしたんじゃ、もう終わりか稀名よ」
なんでクーファも敵っぽい言い方してるんだい。
次に目の前に出てきたゾンビは五体。しかも全員鎧を着けていて、槍を持って構えている。
きっとコミュニケーションは図れないだろうけど、何をする気かは見ただけでわかった。
俺は舌打ちする。
ゾンビは動けない俺に向けて、一斉に槍の突きを見舞った。