102 星払いの逸話
パニックは夕方くらいになると、ようやく収まってきた。
騎士やアシュリーをはじめとした私兵団、コルドウェルさんたちが奔走してくれたおかげだろう。
俺たちは屋敷に身を潜めながら、社を破壊する計画を立てる。
隊長さんとレルミットには、俺から説明をしておいた。アシュリーとコルドウェルさんは、まだ帰ってきていない。
「俺たちが破壊するべき社は東西南北四か所に存在している。東のウィズヘーゼル側はもちろん、北のマラク山脈側はバンナッハが社の位置を把握している。西側と南側は、ネミッサが調べてくれた」
社は魔力の高い土地に存在している。その土地から生まれた精霊がネミッサの使い魔をしていたことは幸いなことだった。
そしてネミッサがここ一週間で独自に社周辺を調べてくれていたおかげで、四方すべての位置を把握できた。
東西南北四か所にそれぞれ五つずつ存在する社。計二十の社を一日で一気に破壊する。
そこで敵が出てくればしめたものだ。ふんじばって情報を吐き出させる。
「敵は同じことを知っているのでしょうか」
とウルは言った。いい質問だ。
「相手――教団の雷侯派は、少なくとも社の重要性は理解してるだろうね。魔法師や信者が社を守っていてもおかしくはない」
そのへんは、ネミッサが今様子を見に行ってくれている。防衛状況を把握できれば、ある程度動きやすくなる。
「いても問題なかろう」
とクーファ。
「まあそうなんだけどね。とにかく敵がいようがいまいが、一個一個順繰りにやっていくのは効率が悪い」
『門』を使った移動は教団の雷侯派も可能だ。東西南北の社どれか一つ破壊したところで、残りの三つの警備が強化される恐れがある。魔法師が大勢で連携されるとさすがに厄介だ。
「だから、手分けして社をほぼ同時刻に一気に破壊する。敵が連絡を取り合って連携される前にね」
「それが順当だろうが、しかし今の戦力を四分割して大丈夫なのか?」
「俺、クーファ、ネミッサ、ウルがそれぞれ社に向かいます。使い魔もいるしある程度力押しでいけますよ」
と俺は隊長さんに答えた。
隊長さんが納得したところで、部屋内に『門』が開いた。ネミッサが帰ってきたのだ。
「どうやら社を守っているような教団員はいないようですね。いても霊符で社のすぐそばまで接近できるので大した問題ではないですけど」
「かつてのウィズヘーゼルみたいに、敵はちゃんと社の位置を把握してないのかな? ありがとう、ネミッサ。これですべての準備は整った」
「決行は明日ですか?」
「だね。早朝に霊符でそれぞれ移動しよう。くれぐれもコルドウェルさんには内密にね」
話したところで、ドアがノックされた。
アシュリーが帰ってきたのだ。ずいぶん憔悴したような顔だった。
「おかえり、アシュリー」
「ただいま。バディは無事に倒してくれたみたいだね」
「おかげさまでね」
ちょうどよかった。アシュリーには事情を話しておかねばなるまい。
言おうと思ったら、
「そうそう」
先にアシュリーが口を開いた。
「この町の騎士ウォルター・バース様にすべて話した。住民を近くの森へ避難させることになった」
「そっか……」
「いったん町を捨てて、何日かかけて住民を安全に移動させる予定だけど、一緒について来てはくれないんだろうね」
「ごめん、俺たちも明日、この町を出ていくことになったから。お父さんには、俺たちが行った後にでも報告しておいて」
言ったら、アシュリーは一瞬だけ目を見開くと、苦笑して頭をかいた。
「なんか、そんな気はしてたんだよな」
「ありがとう、今までお世話になったよ」
「こちらこそ。じゃあ、今夜はごちそうでも用意してパーッとやろうか」
アシュリーが言うと、
「お、いいね!」
真っ先にレルミットが表情を明るくした。
そんなこんなで夜は更けていく。
時刻的には、深夜一歩手前といったところか。
明日は早いのでもう寝た方がいいのだろうけれど、俺は眠れなくて屋敷をうろついていた。
屋敷内はみんな寝静まっているせいか、見回りの従者の人と一人すれ違っただけでほとんど人と会わなかった。
照明も月の光くらいだ。ちょっとした深夜徘徊のような心持ちでうろうろできた。
皆の前では自信満々のように言ったが、正直うまくいくか不安ではある。
戦力を分散するのはあまり得策ではないようにも思えるし、精霊兵器の本体の場所がわかっていれば、直接そこを叩く方が手っ取り早い。今はこの手が最善というだけだ。
もんもんとしながら廊下を歩いていたら、呑気そうに夜空を見上げるクーファと出くわした。
「あれ、クーファ、起きてたんだ」
「なのじゃ」
そういえばクーファは寝る時間がまちまちなのだった。今は起きている時間らしい。
俺たちは屋敷の屋根の上へと上がった。
夜風が気持ちいい。空気がうまい。
夜空は、鳥籠のせいで中途半端にしか見えないが、それでもきれいだ。
「なんじゃ、いまさら不安がってたのか」
「いや、だって失敗したら嫌じゃないか」
「このメンツなら平気じゃろ」
クーファは気楽そうに言った。まあ、仲間のことは信頼しているけれども。
愚痴るようにクーファに話を聞いてもらって、少しは気が楽になった。
さすがに千年以上生きているとなると、どっしりかまえていてこちらも安心できる。
「そういえば、クーファって自分の伝説のこと知ってるの?」
「『星払いの逸話』のことじゃろう。ある程度の風聞は耳にしておる」
なんとはなしに訊いてみたが、すごい名前が出てきた。『星払い』……名前がもう派手だ。
「……わしは、昔人間が嫌いじゃった。家族を殺されていたからの。わしに近づこうとする者や楯突く者は容赦なく返り討ちにしておった。ときには村ごと焼くこともあった」
クーファはゆっくりと語りはじめる。
「じゃが、滅多にないことじゃが、たまたま負傷したときにある少女に助けられての。わしはそのときその少女と仲良くなった。人間は嫌いじゃったが、その少女だけは例外じゃった。その少女も一人で旅をしておってな、ある程度の期間、一緒に行動することになったのじゃ。わしは負傷したときは人間に化けておったから、このまま正体をばらすことなく消えようかと思ったんじゃが――突然空から、星が降ってきたことがあったのじゃ」
「……隕石?」
「稀名のところではそう呼ぶんじゃな。その星は、まっすぐわしと少女の滞在する村へと落ちてきた。わしはほかの人間などどうでもよかったのじゃが、その少女だけを助けるために、竜の姿に戻り、魔法でその星を薙ぎ払った」
「はは……」
乾いた笑いが出てしまった。
さすがクーファだ。隕石さえ敵じゃないなんて。
「わしと少女にとっては、ただの旅の途中の一場面でしかなかったが、目撃した人間たちは存外感動しておっての。そういった出来事を抜き出して、人間に親を殺された白竜だったがそれでも大勢の人間たちを救った――そういう人間に都合のいい美談にされたんじゃ。身勝手な話じゃ」
「その女の子とは?」
「当時白竜は恐怖の対象じゃったから、少女も怖がってわしに近づかなくなると思ったんじゃが、正体を明かしてもなお、少女はわしを慕ってくれた。旅はまだ続けることができたのじゃ。やがて少女は年を取って、男を作り子どもを産んで、人としての生涯を全うして逝った」
「そっか」
少女とクーファでは、生きる時間が違う。ずっと一緒には生きられないのはつらいところではあるが、それでも朗らかそうに話すクーファの表情から、きっといい思い出だったんだろうと推察できる。
「……時がたつにつれ、皺が多くなっていく少女の顔が、わしにはつらかったのじゃ。いくら仲が良くなっても、一緒に老いさらばえることはかなわん。少女の家族もわしを家族同然に扱ってくれたんじゃが、親しい者の死を何度も目の当たりにするかと思うと、いたたまれなかった。わしは少女が死んでからその家族たちから離れることにしたのじゃ」
語りながら、クーファは少し寂しげな表情をした。
なんとなくクーファがずっと一人でいる訳がわかった気がして、俺はやるせなくなった。
精霊はたまたまそういった軛から外れた存在だが、命あるものは順当に生きていれば老いて死ぬ運命にある。
俺だっていずれそうなるだろう。一緒にいる精霊を取り残したまま、俺もいつか老いて死ぬ。
「その一族とはもう何百年も会っておらん。生きているかも、死んでいるのかも、もう定かではないのじゃ」
言って、クーファは後悔しているように視線を落とした。
「……クーファって人間好きだよね」
俺の前からも突然いなくなっちゃわないでよ。
と言ったら本当にある時いなくなってしまいそうで、俺は言うことができなかった。
「嫌いじゃ」
「自分が思っている以上に好きだと思うよ」
「……わしの認めた者以外は嫌いじゃ」
「俺はその認めた者に入ってる?」
「……みなまで言うでないわ」
クーファは言いながら頬を膨らませてそっぽを向く。
「死ぬでないぞ稀名」
少し丸まった背中を見せながら、クーファはぽつりと呟いた。
「大丈夫だよ」
「明日は、命が危ういと思ったらわしのことを呼ぶがよい。駆け付けてやろう」
「そっちこそ。クーファが危ない時は助けに行ってあげるよ」
お互い言ってから、
「まあ、おぬしなら大丈夫か」
「もっとも、クーファなら心配ないだろうけど」
ほとんど同時に言い直した。
それから少し間があって、夜空を見上げていたところで、
「……ほれ。やるのじゃ」
いきなりクーファは、何か硬い塊を投げてよこした。
「なにこれ? すごくきれいだね」
十センチ四方くらいの平たい白い塊だった。
見た目より軽いがずいぶん硬く、指ではじくと精錬された鉄を叩いているような金属音がする。それでいて表面はなめらかで、月の光に反射してキラキラ輝いていて、真珠のように美しかった。
「わしの鱗じゃ」
「剥いだの!?」
「そういえばいつも稀名は金に困っていると思ってな。戦いが終わったらそれを売って服や靴を買えばいいのじゃ。白竜の鱗といったら伝説級のレアアイテムじゃからの」
「いや売れないよそんなの」
なんかすごく誇らしげに自慢しているけれど、クーファの体の一部なんだろ?
臓器売買で儲けるような後ろめたさがあるんだけど。
「じゃあヘソクリ代わりに取っておくのじゃ」
突き返そうとしたらクーファに言われ、仕方なくもらっておくことにした。
白く輝く鱗を『イワトガラミ』のツルで縛って、ストラップのようにして鞄につけることにする。装飾としてはでかい気がするが、まあ気にしない。
「これは売らないしヘソクリにもしない。お守りみたいにして大事に持っておくことにするよ」
「鞄や首から下げても、ご利益なんてないのじゃぞ」
「こういうのは気持ちだよ」
「気持ち、か。ふむ、悪くないの」
俺は鱗を月の光にかざして笑うと、クーファも照れたように笑った。
……そんなこんなで、夜は更けていく。