6 十二月三十一日(後) ほんとの理由
床から少しだけ宙に浮き、ばつが悪そうにたたずむ少年。
箱崎さんは席を立ってすぐさまかけよると、そのまま少年をいきおいよく抱きしめる。
「バカ、いままでどこに行ってたの!」
箱崎さんは床にひざ立ちになり、俺がこれまでに聞いたことのないくらい大きな声で怒りながら、小さな少年をギュッと胸に抱きすくめる。少年は「ちょ、苦しいよ、やめろよ」と箱崎さんの胸の中であえいだ。
そんな少年のことを、俺はうらやましくみつめて、できればかわってほしいと――いや、なにを考えてるんだ俺。冷静になれ俺。
箱崎さんは少年をゆっくり離すと、その顔をやや涙目でみつめながら、声をふるわせた。
「いままでずっと探してたのに、どこにもいないから、本気で心配したのよ……」
『だって……帰りたくなかったから……』
むすっとする少年。俺も席を立って箱崎さんに近づくと、白々しく質問した。
「箱崎さん。こいつ、もしかしてさっき言ってた、男の子?」
箱崎さんはふり返ると、軽くうなずいた。
「私の子どものころからずっと家に住んでいる、私たち家族にしか見えなかった子よ。でも半月ほど前に私とケンカしちゃって、この子、家をとび出したの。だからここ最近ずっと、仕事が終わってから夜遅くまで、近くの神社を探しまわっていたんだけど」
そういうことか……。目にクマがたまるほどつかれていた本当の理由を知り、俺は納得した。
だがキツネの少年は、不満げに口をとがらせる。
『まゆが悪いんだぞ。おせちに油揚げを入れないなんて言うからだ』
「バカ。おせちに油揚げなんて入れるわけないでしょ」
『今年はボクの好きなものをいれてあげるって言ったじゃんか。なのに油揚げはダメってどういうことだよ』
「油揚げなんて日持ちしないでしょ。重箱に入れたらすぐに腐っちゃうわ」
『そんなのすぐ食べればいいだろ。やっぱりまゆはウソつきだ!』
くだらないケンカだ……。
だがこのままエスカレートすると、また少年は怒って逃げてしまうかもしれない。俺はとりあえず口をはさむことにした。
「こいつ、いったいなんなんだ。稲荷神社の大神様の眷属、とかなんとか言ってたけど」
「あ、うん。私、実家が稲荷神社で、お父さんが神主なの。この子は大神さまにつかえている、眷属の白狐。どこの稲荷神社にもいるけど、親族以外には心をゆるした人にしか姿をみせないから、世間ではあまり知られていないけど」
「え、神社にはふつういるの? どこにでも?」
「神社業界では常識よ?」
そうなのか。ってか、神社業界ってなんだ……。
まあ、身長十センチくらいの少年、という常識的にはありえない存在がこうして実際にみえているわけだから、箱崎さんの説明にも納得せざるをえない。
箱崎さんはふたたび少年へ向きなおり、その顔を正面から見すえた。
「お父さんもお母さんも心配していたわ。コンちゃん、家に帰ったらちゃんとあやまるのよ」
『…………』
「コンちゃん、返事!」
『……はぁい』
しぶしぶ答える少年。それをみて、「よしよし」と頭をなでつつ笑顔をこぼす箱崎さん。なんだか、母親と息子みたいな光景だ。
とにかく、二人が再会できてよかった。神社にこんなやつがいるだなんてはじめて知ったけど、仕事ばかりだった今年の年末が、これで少し思い出深いものになりそうだ。世の中、知らないことってたくさんあるんだな。
俺がひとしきり感心していると、箱崎さんは思いだしたようにため息をついた。
「でも、まさか私の職場にきているなんて思わなかった……。どうりで、どこの神社にいってもいないはずだわ」
箱崎さんのつぶやきを聞いて、俺は大事なことを思い出した。
そうだ。肝心なことをまだ訊いていなかった。
「俺を初もうでに誘ったのは、参拝客をひとりでも多く増やしたいから、とか言ってたよな。でもおまえ、となりの席が箱崎さんだって知ってて、わざと俺に話しかけてきたんだろ」
「そうよ。私から声も姿も隠すなんて、ひどいじゃない」
二人から訊かれて観念したのか、キツネの少年はボソボソと答えた。
『――まゆの親友の代わりになりそうな人を探してたんだ。まゆは毎年、親友と初もうでにきてくれてたんだけど、今年はいないから』
「親友の代わり――?」
俺が答える横で、箱崎さんがなにかを理解したように目を見開いた。そしてすぐに、悲しそうに視線を落とす。
親友がいなくなった、とは。
「箱崎さんの親友は、その……どこかに引っ越したの?」
「――殺されたの」
「ええっ!?」
予想外の返事に、俺は思わず調子はずれな声を上げてしまった。
殺された――。
いつ? どこで? 犯人はだれだろう。まだ捕まっていないのだろうか。訊きたいことが山ほど出てきたが、訊いていいものかどうかわからず、俺は口をつぐんでしまう。
でも、親友が殺されるなんて――。
箱崎さんにとっては、あまりに悲しいできごとだったにちがいない。
その亡くなった親友の代わりが、俺につとまるのか……。
いや、箱崎さんだって、いつまでもずるずると悲しみをひきずってばかりいたくはないはずだ。キツネの少年だってそう考えて、となりの席で働いている俺を何度も初もうでに誘ったのだろう。
ようやく気がついた。そんな少年のやさしい思いを、俺は仕事の忙しさにかまけて、いまのいままでくみ取ってやれなかった。バカ。俺のバカ。
ひとしきり心の中で反省してから、俺は箱崎さんと少年に真剣な顔を向けた。
二人の思いに、こたえなければ。
「まさか、そんなことがあったなんて……。でもそういうことなら俺、初もうでにいくよ。その亡くなった親友の代わりになれるかはわからないけど、俺が初もうでにいくことで、箱崎さんの心の傷が少しでも癒えるのなら、俺もうれしいし……」
『本当か、マエシマ……!』「本当に……? ありがとう、前島くん!」
二人とも、俺の言葉に目を輝かせる。うんうん。いいな、こういう展開。理由はともあれ、箱崎さんと初もうでにいけるのは個人的にうれしいし。
箱崎さんはよほどうれしかったのか、俺の両手をとってしっかりとにぎりしめてきた。もう涙を流さんばかりのいきおいだ。
「ありがとう……ありがとう、前島くん……!」
「そ、そんなにたいしたことじゃないって。いっしょに初もうでにいくだけだろ」
「ううん。そんなことないよ。前島くんの決断のおかげで、どれだけの人々が救われるか……」
「人々……? あ、大神さまの来年の地位が向上するってこと? でも俺ひとり増えただけじゃ、あんまり変わらないんじゃ」
「そうじゃなくて――そうね。前島くんには話しておかないと、いけないよね」
……うん?
まだなにか奥があったのか。箱崎さんは神妙な顔つきで話した。
「まず、私の親友がなぜ殺されたのか、なんだけど」
うお、急にそこか――。たしかに気にはなってるけど。
親友は、どうして殺されたのか。恋愛のもつれか、友情の行き違いか、通り魔的な犯行か――。
「あの、むりに話してくれなくてもいいよ……? 思いだすとつらいんじゃ――」
「ううん、話させて。そうしないと、コンちゃんが前島くんを誘った理由も理解できないだろうから」
あれ。いっしょに初もうでにいく人がいなくなってさみしいから、俺を誘ったんじゃないの?
ぽかんとしている俺へ、箱崎さんはゆっくりと告げた。
「私の親友は――邪鬼に殺されたの」
「じゃき……?」
「そう。五穀豊穣をねがう稲荷神社、というのが私の神社にあたえられた表向きの役割。でも、もうひとつ、私の神社が先祖代々担っている、大切な役割があるの。それが『退魔師』」
『世界中に暗躍する、闇より生まれし悪の妖怪“邪鬼”を相手に、まゆは退魔師として日夜戦っているんだ』
「その邪鬼がここ数年、ねらっているのが、日本の稲荷神社にある光柱。全国に点在する七つの神社に一本ずつ隠されている、この世の理を守っている聖なる柱」
『邪鬼はそれを破壊して世の中を混乱させようと、もう何回も襲撃をしかけてきてる。でもまゆたち退魔師がいつも追い払ってくれてるんだ』
「でも半年前、ついに光柱のひとつが破壊されてしまったわ。そしてひと月前には、私の神社にも邪鬼の襲撃があって――。なんとか光柱は守ったんだけど、そのときに親友が――」
『まゆの親友も、退魔師だったんだ。でも足に傷をうけたまゆをかばって、その親友は邪鬼に――』
「死ぬのは私だったはずなのに……あの子のおかげで……うう」
『――退魔師は基本、二人一組で行動するんだ。陰と陽の相反する二つの力をうまく使わないと、邪鬼には勝てないから』
「私は陰、あの子は陽だった……。でもあの子が力つきたから、私にはパートナーがいなくなって、邪鬼とは戦えなくなったの」
『元旦のお参りは、そんな邪鬼に対抗する退魔師の力を大神さまから得られる唯一の機会なんだ。だからボクは、まゆのパートナーとしていっしょに戦ってくれる人を探していたのさ』
「私、もう一度邪鬼と戦いたい。そうでなきゃ、あの子が命をかけてまで私を守ってくれた意味がないもの……。お願い、前島くん! 私といっしょに邪鬼と戦って、世界の平和を守って!!
………………………………。
あまりのことに、俺はただぼうぜんと頭の中で「想像のはるか上をいく回答キター!」という言葉を流していた。
キツネの少年の存在だけでも超常現象なのに、退魔師とか邪鬼とかってなに?
光柱がどうだとか、陰と陽の力とか、もうわけがわからないよ……。
箱崎さんと少年は、肯定を期待してじっと俺の顔をみつめてくる。
俺は「箱崎さんは、陰陽師とか、そういう系のアプリゲームにハマっているだけだよね? ちょっと現実と空想が混同しちゃってるだけだよね?」という質問をしようか本気で迷っていた。
いったい俺はどうすれば――。
そのとき、窓ガラスのわれる音がした。
ふりむくと、ビルの外壁に、巨大な影がはりついているのが見えた。
外に並ぶビルの明かりをさえぎるそれは、破った窓から大きな脚を突き入れようとしている。
「邪鬼よ!」箱崎さんがさけぶ。「陰の力しかないいまの私じゃ、勝ち目がない……。前島くん、私といっしょにきて!」
「えっ、ええっ!?」
そうしているあいだにも、「邪鬼」と呼ばれた巨大なそれは、次々に職場の窓ガラスを破壊して、中に侵入しようとしてくる。
『逃げるぞ、マエシマ!』
「逃げるって、ど、どこへ……? あ、箱崎さん、のこりの仕事は」
「そんなこと言ってる場合じゃないでしょ! とにかく来年になるまで待ってから、神社に初もうでにいって、前島くんが退魔師の力を得るまで、逃げつづけるのよ!」
「そんな、急にいわれても――うわあ!」
職場のデスクがふっとんでくる。メキメキと外壁が押しつぶされる音が聞こえる。
箱崎さんと、キツネの少年・コンとともに、俺は全力で逃げた。職場の中を。ビルの中を。除夜の鐘がせまる、歳暮れの街中を。
退魔師になるために。箱崎さんといっしょに邪鬼を倒し、世界に平和をとりもどすために――。