4 十二月三十日 少年、怒る
大みそか前日。外は雪。
なかなか寒くならなかった十二月も根負けしたらしく、本格的な寒波が日本列島にもようやくおとずれていた。
今夜には雪が積もるだろう。明日の朝には道で転ぶ人も多いだろうし、交通機関も少し乱れるかもしれない。
そんな中。
俺はあいもかわらず、一般的な世間とは隔絶された職場で残業をつづけていた。
会社はすでに休暇中。だが年末年始のイベント対応で、いまだに出勤する社員が多くいた。それでも定時を過ぎるころには全員帰宅。残っているのは、やはり俺だけになった。
昨日は結局、終電では帰れずに、会社泊だった。
だが、昼に必要なシステムを送信したところで、ようやく山はこえた。まだまだ片づけなければならない作業は残っているものの、終わりが見えるところまできた。
(――よし、今日はがんばって仕事をかたづけて、家に帰るぞ!)
そう決意をかため、キーボードをいきおいよくたたきはじめる。そこへ、キツネの少年が視界の外からゆらゆらと飛んできたため、俺は出鼻をくじかれてうなだれた。
『マエシマ、今日も仕事? ご苦労さま』
こちらの事情など全く気にせず、いつものようにからかうような目つきで見上げてくる少年。俺は季節はずれのハエをはらうように右手をひらひらさせた。
「あたりまえのように出てくるなよ。俺はいまから仕事に集中するの」
『このままずっと年越しまで仕事?』
「まあ、それはギリギリ避けられそう、かな」
『終わるんだね! じゃあ初もうでいこうよ。きっといいことあるよ!』
「いいことあるのはおまえのご主人さまだろ。俺はただ面倒なだけだっつーの」
『でもお祈りしたら、ご利益があるよ? 大神さまには裏で口ぞえしておくから、もしきてくれたら願い事、かないやすくしてあげる』
「そんなのでご利益が決まるのかよ……」
『あと、いまならお賽銭で諭吉を使えば、ご利益百倍!』
「卑しい! ってか諭吉言うな!」
いつもどおりのくだらないやりとりに、俺の精神は早くもくたくただ。
なんとかしてこいつを追いはらわないと、仕事が終わらない――。俺は少しマジメな質問をぶつけてみた。
「何度も訊くけど、なんで俺なんだよ。ほかにも初もうでにいけそうな人、いくらでもいるだろ。俺以外の人を誘ったほうが効率的だぞ」
そうなのだった。
初もうでにくる参拝客を本気で増やしたいのなら、そもそもいく気のない俺のところに毎晩こうして通うより、もっと確率の高そうな人のところへいったほうがいいような気がする。少なくとも、初もうでにいきたいと思いながら、用事でいけないような人を標的にするほうが何倍も効率がいい。
『それは――そんなこといいじゃん、気にしなくて』
だが、少年はなぜか視線をそらしながら、答えをはぐらかす。『それより、あのコと初もうで、いっしょにきてよ』と続けながら。
俺は少年の態度にひっかかりをおぼえながらも、箱崎さんの話題が出たことで力なくイスにもたれかかった。
「よくいうよ。おまえのせいで箱崎さん、いまじゃ目を合わせてもそらされるし。声をかけようとすると逃げられるし」
『えっ。マエシマ、あのコにきらわれるようなこと、したの?』
「全部おまえのせいだってことをいいかげん理解しろ……。それにそもそも箱崎さんだって、大みそかにむけて仕事、追いこんでるからな。明日も会社に来るみたいだし。いそがしそうだからなんとなく話しかけづらいんだよな」
俺と同じように、箱崎さんも年末は残業社員の常連になりつつあった。
箱崎さんも俺と似たような職種だが、どうやら少し前に仕事でミスをしたようで、そのぶんをとりかえすためか、ここ数日は早出と残業をくり返していた。
顔を見ると、目にかなりクマがたまっていて、かなり疲労がたまっているようだった。――まあ、俺も同じような顔をしていると思うが。
そんな俺の言葉に、少年はもっともらしくうなずいた。
『へえ、そうなんだ……。でも、仲なおりすればいいじゃん。好きなんでしょ?』
「どうしても俺に好きだと言わせたいんだな……。ってか俺も仕事でいそがしいし。それどころじゃないの」
『ほんとはかわいい女の子と初もうでにいきたいんでしょ。なのに仕事を言いわけにしてるだけでしょ』
問いつめるような少年の物言いに、ちょっとムッとする俺。
「おまえになにがわかるんだよ。俺も箱崎さんも、おまえみたいにヒマじゃないの。睡眠時間けずって必死に仕事してるの」
『仕事仕事って、そんなに仕事が好きなの?』
「好きなわけじゃないけど、やらないといけないんだよ」
『なんで?』
「なんでって……社会人だからだよ。大人だから、働かないとダメだろ」
俺の言い分を聞いても、少年はいまひとつ飲みこめていないのか、首をかしげている。
『やってて苦しい仕事を続けて、楽しい初もうでにはこないんだ。人間ってよくわからないね』
「生活していくには、働いて、お金をかせがなくちゃいけないの」
『なんだよ。マエシマだって卑しいじゃん』
妙なところに鋭いと思いながら、だからといってなにも解決しないとも思う。
どのみち、こいつの相手をしていてもなにも生まれない。俺はふたたびパソコンに向き直った。
「うるさいなあ。もうあっちいけって。俺は仕事するの」
『初もうでは? 元旦も仕事するつもり?』
「だからおまえには関係ないだろ。悪いけど、もう仕事に戻るから。早く消えろよ」
俺は少年を横に押しのけ、パソコンのディスプレイに向かう。年越しイベントの次は新年のイベント対応がある。初もうでのことまで考えている余裕はない。もし休みができたとしても、家でゆっくりしたいし。初もうでなんて行かなくても――。
『……なんだよ。マエシマのいくじなし!!』
――と。
キツネの少年が、急に声を荒げた。
おもわず少年のほうを見る。いつも人を小バカにしたような表情から一転、眉をひそめ、俺のほうをにらみつけていた。心なしか、目がうるんでいるようにも見える。
『もうあさってからお正月だぞ! はやくとなりのコを誘わないと、まにあわないよ!』
「だから箱崎さんもいそがしいんだって。初もうでなんかに行ってる場合じゃないし――」
『そんなの関係ないよ! 誘ってみればいいだろ! なんだよ仕事仕事って! あのコだって、初もうでにいっしょにいく人がいなくなって、さみしい思いをしてるのに!』
これは演技――じゃない。キツネの少年は、どうやら本気で怒っている。
いままでの態度からは予想もつかなかった少年の言葉に、俺はうろたえた。
「な、なんだよ、急に……。怒らせたらな悪かったよ。あやまるから、泣くなよ」
『は? 泣いてないし……。だれがマエシマなんかのために泣くもんか……』
言いながら、和服の袖で両目をぬぐう少年。みえみえのウソだった。
そんなに怒らせたのか――。罪悪感をおぼえつつ、俺は頭の中で、さきほどの少年の言葉を反すうしていた。
気になる言葉が、耳に残っていた。
「おまえ、いま箱崎さんが『初もうでにいっしょにいく人がいなくなった』っていってなかったか。いなくなったって、どういうことだよ」
そのとき一瞬だけ、少年がしまったという顔をしたように見えた。
「いままで箱崎さんには、初もうでにいっしょにいく人がいたってことか? おまえ、箱崎さんのなにを知ってるんだ」
俺が訊くと、キツネの少年はそっぽを向いた。
『う、うるさい! 臆病者のマエシマには教えてやるもんか! マエシマなんか、ひとりでさみしく年を越せばいいんだ!』
「お、怒るなよ……。ってか、なんで隠す必要があるんだよ」
『しらない! もう勝手にしろよ! 本年もいろいろとご迷惑でした! 悪いお年を!!』
完全にへそを曲げてしまった少年は、そう言い捨て、すぐさまデスクの向こうへ消えさってしまった。
「あ、おい!」
立ち上がり、デスクの向こうがわへまわる。だがすでに少年の姿はない。
「悪いお年を、ってなんだよ……」
あっけにとられたまま、俺は少年のいた空中をしばらくながめていると、ふと気がついて背後をふりかえった。
そこには――そこにも、だれもいなかった。
「――今日は、来なかったな」
俺は胸をなでおろした。また誤解が深まってはたまらない。
だが、それと同時に――
なぜか一抹のさみしさが、俺の胸に落ちていた。