1 十二月二十七日 初もうでに誘われるも
年末。
クリスマスに忘年会、大掃除に年賀状の準備など、なにかとあわただしいこの季節。
だが、ここ一ヶ月ほど、俺は土日を問わず、会社で深夜残業に明けくれる日々が続いていた。
某オフィスビルの三階。時刻は午後十時。
五十ほどのデスクが並ぶ広いフロアの中ほどにある机が、俺の会社での居場所だ。
アプリゲームの開発と運営を軸にした新興の会社。俺はそこで、社会人二年目のシステムエンジニアとして、現在公開されているゲームの運営対応をしている。
創業四年。タイトルによりあたりはずれはあるが、会社の出す無料ゲームの課金収入や有料アプリの売り上げは、全体として右肩上がりに推移していた。だが、のびる業績に人材が追いつかず、残業はもはやあたりまえ。社員が定時で帰れることなど、まずない状態だった。
世間にはいわゆる「ブラック企業」という言葉があるが、この会社はすでにその仲間入りをはたしているだろう。
とくに年末は新作の発表や各種イベントが多く、システムの更新だけで大変な手間だ。それに俺自身、まだまだ仕事に不慣れなため、ほかの先輩社員が帰った後もこうして居残りを続けるはめになっている。
自分以外だれもいない、静かなオフィス。天井の蛍光灯は俺の席の上にだけともっており、ほかは暗いまま。パソコンにむかってキーをたたく音だけがフロアに響く。そのことが一層、ひとり深夜まで働くことの寂しさを助長していた。
「…………あー、今日も終電決定だな」
だれもいない職場でぼやきながら、イスの背もたれに体をあずけると、壁にかかったカレンダーが視界に入った。今日は十二月二十七日。あと四日と少しで年明けだ。
このぶんだと、とても田舎の実家に帰るヒマはない。かといって、この町でいっしょに年越しをすごすような友人や知り合いもいない。そもそも今年は、このまま大みそかも元旦も職場にいるという悪夢のような状況におちいる可能性だってある。
仕事仕事仕事。果てのない仕事づけの日々に、俺は天井をあおぎながら、思わず深いため息をついた。
「むなしいなぁ……」
『そんなにむなしいの?』
――と。
だれもいないはずの職場で、俺以外の声が聞こえた。
はっとして周りを見まわす。だが、やはりだれもいない。
「……空耳か」
『空耳じゃないよ。ほらほら、マエシマ。こっちこっち』
今度はハッキリと聞こえた。仕事用のデスクの奥から。
俺は身を起こして声のしたほうをのぞきこもうとすると、デスクの裏からとつぜん、着物のような服を着た身長十センチほどの少年が飛び出した。
『やっほー、マエシマ』
俺は一瞬、目を疑った。
幼い声で俺の名前を呼ぶ小さな――あまりに小さな少年。
デスクの上で無邪気な顔をして立っているのは、たしかに人間だ。でも背丈は缶ジュースほどしかない。
顔つきは若く、少年のような風ぼう。古めかしい着衣だが、よくみると着物というより神社の神主が着ているよう衣装だった。
なにより目をひいたのは、おしりの部分からのびる太く長いしっぽだ。人間にはあるはずのない黄金色の尾を、少年は右へ左へふりふりと動かしている。
そんな正体不明の小さな少年が、好奇心に満ちた顔で俺に話しかけてくる。
『初もうでにも行けないくらい、いそがしいの? なら、ボクがなんとかしてあげようか?』
俺はその声を聞かなかったことにして、パソコンの作業に戻った。
『あれ? どうしたの?』
――これは幻覚だ。きっと働きすぎによるストレスが原因だ。こんな珍妙なものが、現実世界に存在するわけがない。
『ねーねー、聞こえてるでしょ?』
まだ幻聴が聞こえる。きっと長時間パソコンの前にいたから、脳の働きが低下して一時的な幻が俺の網膜につくりだされただけだ。
俺は頭をふって気をとり直すと、ディスプレイに映るアプリ設定の画面に再び集中する。
『ちょ、まさか無視? ひどいよマエシマ。ボクのこと、みえてるでしょ?』
そういうと、幻であるはずの少年はふわりと空中に浮き、俺とディスプレイのあいだにわりこんできた。
――これは重度の幻覚だ。一度仮眠したほうがいいだろうか。
『ほーらー、マエシマー。見えないフリなんてつまらないことしないでさー、ボクとお話しようよー』
そういって、少年は俺の服のそでを小さな手でぐいぐい引っぱってくる。
――幻覚がひどくなってきた。負けるな俺。こんなわけのわからない存在を認めるわけにはいかない。
俺は少年をふり払い、なにごともなかったかのようにキーボードをたたき出す。
『なんだよ。それならもう術法をつかってボクのことを気づかせてやる。いくぞー。稲荷豊穣術奥義・火炎尾!』
そういうやいなや、少年は俺の顔のすぐ横まで飛んでくると、おしりからのびた大きな尾をまっすぐのばし、俺の右ほおにフルスイングしてきた。
「ごはぁっ!?」
予想外の強烈な一撃に、イスから転げ落ちる俺。
その小さな体からは想像もつかないくらい、少年のしっぽは威力満点だった。
床に倒れ、俺の顔の痛覚が悲鳴をあげる。
「いってぇ……なにすんだよ!!」
『みたか、ボクの術法!』
「どこが術だ! おもいっきり物理でひっぱたいただけだろ!」
ほおをさすりながら非難する俺の言葉などどこ吹く風で、少年は宙に浮きながら得意げに俺を指さしてきた。
『マエシマがボクのことを無視しなきゃこんなことにはならなかったのに。自業自得だね!』
「だからっていきなりひどい仕打ちだな! ――ったく、いったいなんなんだよおまえは」
目の前の小さな少年の存在をなかば強制的に認めさせられた俺は、なんとか起きあがってイスに座り直す。謎の少年は俺の正面に回りこむと、空中でエラそうに胸をはって答えた。
『ボクは、神社の大神さまに仕える眷属だ』
「けんぞく……?」
『そ。ボクはその中でもお稲荷さま――稲荷神社の大神さまにおつかえしている“びゃっこ”さ』
「びゃっこ、って……白い虎?」
『ちがうちがう。これ見てよ』
すると少年は、これみよがしに黄金色のしっぽをふってみせる。
「ええと……キツネかなにか?」
『せいかい~! ボクは白狐。いまは人間のすがたをしてるけど、本当は五穀豊穣を祈る大神さまにつかえる、格式高いキツネなのさ』
そういわれても確証をもてず、俺はあいまいにうなずくしかなかった。
「それがなんで俺のところに出てきたんだ?」
『初もうでにきてくれる人が少しでも多くなるようにって、大神さまがマエシマのところにボクをよこしたんだ。さっき“むなしいなぁ”ってつぶやいたでしょ。年越しまで働く人のしみじみとした“むなしいなぁ”に反応して、ボクらが出てくるきまりになっているんだ』
「間口が狭すぎるきまりだな……。でもなんでその大神さまは、初もうでにきてくれる人を増やそうとしてるんだ? お賽銭が目あてとか?」
『大神さまはマエシマみたいに卑しくないよ』
「俺みたいはよけいだ。――んじゃ、なんでなんだよ」
『稲荷神社の大神さまは、三が日に参拝にきてくれた人の数で、その年の格付けが決まるんだ。ほら、稲荷神社って日本中にあるでしょ? その中で少しでも強い権力をもてるよう、ボクのところのお稲荷さまもがんばってるってわけ』
権力闘争かよ……。卑しいのはどっちだと思い、俺は力が抜けた。
「――で、俺を初もうでに連れていくってか? でもまだ先だろ」
『四日間なんてあっというまでしょ? そのあいだにマエシマを説得して無理やりにでも神社にひっぱりだすつもりだからね!』
それは説得とはいわないだろうと思いつつ、俺はなかばあきらめぎみに言葉をはいた。
「でも仕事がな……。ま、仕事がなかったとしても、わざわざひとりでいくのは面倒だし。こっちじゃいっしょに初もうでにいくような友だちもいないから」
『なんだよー。友だちならつくればいいじゃん。いまからでも遅くないし。ほら、この職場にだって人間がうようよいるんでしょ? 声かければいいじゃん』
「そこまでしていきたくもないし……」
『となりの席の人とかどう? となりだから仲いいんでしょ?』
「となりだからって理由はなんなんだよ……。まあ仕事の話はするけど、プライベートはべつに」
『えー。初もうでいこうよ~。年明けを部屋でひとりさみしく迎えるつもり? ふーん、マエシマにとって年明けはお慶びでもハッピーでもなくただ自分の孤独を再確認するだけのくっだらないイベントなんだね』
「そこまでは思ってない! 俺だってだれかいっしょにいく人がいれば――」
「前島くん……?」
そのとき、俺の背後から別の声が聞こえた。
驚いた俺がふり返ると、そこにはスーツを着た女性の姿があった。よく見知った顔。俺と同期入社で、席がとなりの社員、箱崎さんだ。
その箱崎さんは、やや戸惑った――というより、恐れるような表情で、俺の顔をみつめている。
「どうしたの? ずっとひとりごと言ってたけど……」
「えっ。あ、いや、ひとりごとじゃないって。俺、こいつと話していて――」
少年のいたところを指さす。だがそこにはもう先ほどの少年――自称・キツネの眷属の姿はどこにもなかった。
どこに隠れたんだ。俺は箱崎さんをふり返ると、おそるおそる訊いた。
「あの、箱崎さんは、どうして……?」
「私は、家のカギをここに忘れちゃったから、とりにきたんだけど……」
「あ、ああ、そうなんだ……。えっと――いつからいたの?」
「前島くんが急にイスから転げ落ちるところから」
かなり前だった。全然気づかなかった……。
「じ、じゃあ、俺以外の声も、聞こえてただろ? 子どもみたいな高い声で――」
俺の言葉に、箱崎さんの表情がだんだん青ざめる。
「そんなの、聞こえなかった、けど……。だれもいないのにずっと机にむかってしゃべってるから、どうしたのかと思って」
「……マジで?」
なら、さっきのキツネの少年は――?
もし少年が幻覚だったとしたら、俺はだれもいない職場で、ひとりでしゃべっていたことになる。それをずっと箱崎さんに見られていたわけで――かなり恥ずかしい。
「前島くん、もしかして疲れてる……? あんまり無理しないほうがいいよ。明日は休んだ方がいいんじゃない?」
心の底から心配そうに声をかけてくれる箱崎さんの視線が痛かった。