2-5
「あの子は純粋なのよ。正しいことを信じている。わたしは素敵だと思うわ」
翌日の昼休み、わたしがいつものように一人でお弁当を食べていると、キミちゃんがやってきました。
「ミリカ、あんた友達作りなよ……」
「クラスの人は信用できない」
小声で囁くキミちゃんに、わたしはかぶりを振りました。いくらキミちゃんの言うことでも、これは譲れないのでした。
「それで、どうしたの?」
キミちゃんはわたしの知らない人を連れていました。少しふくよかな印象の、パーマをかけた長い髪の女の子でした。垂れ目で優しそうな雰囲気です。
「こちら、三年の立花オリエ先輩」
オリエ、という名前に聞き覚えがありました。確か、「アンバー」の人です。
「初めまして、葉山ミリカさん。昨日はうちのスミレが迷惑をかけたみたいで……」
うちの、という言い方に引っ掛かりを感じましたが、小心者のわたしは「い、いえ」と恐縮した態度を取りました。
「今日はお詫びと交流を兼ねて、一緒にご飯でも、と思ってね」
念を押されるような笑顔に、元々目なんて合わせていませんでしたが、わたしは少し視線をずらしました。キミちゃんもお弁当の包みを持っているので、一緒に来るのだろうと思われます。なら、もしあのスミレが来たとしてもそこまで嫌なことにはならない、そう判断しました。
三人で連れ立って中庭に出ました。ちょうどベンチに空きがあったので、キミちゃんを真ん中に並んで座りました。
「スミレは来ないんですか?」
お詫びならば本人の口から聞きたいところですが、本人に来られるのも嫌でした。ジレンマです。
「うーん、ちょっとあの子、学校を休みがちなのよね」
あの性格ならば、スミレがイケニエになっている可能性は高いでしょう。しかも「ボク」と来たものです。あるいはアレは「ディストキーパー」としてのイメージプレイなのかもしれませんが。
「スミレとは昔からの知り合いなんですか?」
「いいえ。たまたまパサラがわたしにあの子を割り振ったの」
オリエ先輩は、わたしと同じサポート型なのだそうです。キャリアもアキナさんやトウコさんより長いらしく、そのせいで一番の問題児を押し付けられたのかな、とわたしは推測しました。
「『ディストキーパー』を『正義の味方だ』って思ってるのはあの子ぐらいよね」
「正義、正義うるさいですもんね」
キミちゃんはややうんざりした口調でした。
「どこに正義があるんだか、一年もやってると分からなくなってくるわ」
「一年って、長いですね……」
ええ、とオリエ先輩はにっこり笑いました。同性のわたしが見惚れるぐらいに素敵な笑顔でした。決してわたしにはできない柔らかい笑い方でした。
「最初は先輩一人で?」
「……いいえ」
ふと、その笑顔が曇りました。キミちゃんはまずいことを尋ねたかな、というようにばつの悪そうな顔をしました。
「鱶ヶ渕は、ずっと七人の『ディストキーパー』が守ってきたの」
各区域の定員は決まっていて、それが変わることはないのだそうです。
「これまでに、それこそ何人もの『エメラルド』や『トパーズ』がいたのよ」
「その人たちは……」
言いかけて、キミちゃんは察したようでした。すぐに「ごめんなさい」と謝りました。
「いいのよ。もうその子たちは、最初からいなかったことになっているのだから。今存在するあなたたちが、気に病むことではないわ」
ふと、わたしは「ディストキーパー」に初めて変身した日のことを思い出しました。アキナさんもトウコさんも、新人の四人とは会おうとはしませんでした。あの二人も、これまでに別れを経験していて、だから「過度に慣れ合う必要はない」と言ったのかもしれません。死んでしまったら、パサラが「インガ」を操作して、最初からいなかったことになるから。出会ったことも、一緒に戦ったことも、全部消えてしまうから。
「ただ、わたしの中には残っている。それだけよ」
オリエ先輩は制服の内ポケットから何かを取り出しました。茶色く透けた、不揃いな石でした。中には青や赤の何かが入っていて、いくつか種類があるようでした。
「琥珀、ですか?」
「ええ。ただの琥珀ではないのだけれど」
それでキミちゃんは、「ああ」と得心したようでした。
「オリエ先輩の能力で出したやつですか」
「出したというか、閉じ込めたというか、ね」
オリエ先輩の「アンバー」という名前は、「琥珀」を意味する言葉なのだそうです。オリエ先輩の能力は、琥珀の中に「インガ」や「ディスト」の破片を閉じ込める、というものでした。それは戦いの記録でもあり、「アンバー」は各地区に必ず一人いるのだそうです。
「この中には、死んでいった『ディストキーパー』たちの『インガ』が入っているわ。みんな、今は初めからいなかったことになっている人たち。もう、わたしの中にしか存在しない仲間たち……」
パサラが切り取り、修正したものを少しだけ回収したそうでした。
「そんなことをしても、何にもならないんだけどね。たまにのぞいて思い出す、そういう使い方しかできないし」
琥珀の一つを、オリエ先輩は曇った空に透かしました。こっそりのぞき込むと、黄色い光の中に同年代くらいの女の子の横顔が見えました。写真のように本物らしいのですが、精巧にできた蝋人形のようで異質に感じられます。それが、この世から消えるということなのでしょうか。
オリエ先輩はわたしの視線に気づいたのか、またあの柔らかい笑みを浮かべました。そして別の琥珀を内ポケットから取り出して、見せてくれました。
「ホワイトタイガー?」
一緒にのぞき込んだキミちゃんの言うように、中には白地に黒の縞模様のある生き物がいました。ただ、普通の虎と違って瞳のない真っ白な目が三つついています。
「昨日戦った『ディスト』の一部よ。こちらが本来の使い道ね」
閉じ込めた『ディスト』のエネルギーを使って、オリエ先輩はバリアを張ったりビームを撃ったり、あるいは琥珀を爆弾のようにして使うのだそうです。前にキミちゃんから少しだけオリエ先輩の戦闘方法を聞いていたわたしは、そういう仕組みなのかと納得しました。他はみんな、火とか雷とか分かりやすいものなので、どういう属性なのだろうと疑問に思っていたのです。
「使い捨てだから間違えないようにしないと。思い出を爆破しちゃったら取り返しがつかないもの」
自分に言い聞かせるような調子で言うと、オリエ先輩は琥珀を全部しまいました。
「ごめんなさいね、何だか湿っぽくなっちゃって」
「い、いえ、こちらこそ……」
恐縮しきりといった感じで、キミちゃんが両手を振りました。
「だからこそ、今の仲間を大切にしたいわ」
仲良くやりたいのよ、とオリエ先輩はわたしとキミちゃんの顔を交互に見ます。
「スミレにも、スミレの事情があるのよ。あなたたちと同じように」
何となく見透かされているような気がして、わたしは小さく身をよじりました。穏やかそうなオリエ先輩なのに、どうしてか怖いもののように見えました。
「誰かの『最初の改変』を明らかにするのはエチケット違反なのだけれど」
「ディストキーパー」になる時の引き換えを「最初の改変」と呼ぶのだそうです。
「スミレはね、『誰にも責められない完璧に正しい人間にしてほしい』と願ったそうなの」
ああやっぱり、とわたしはため息の出る思いでした。決してその願いをまるっと完全に予想していたわけではありませんでしたが、そんなようなことを願っていそうだな、とは察していました。
スミレは他人をどうこうするよりも、自分を変えたいと願う人間だとわたしは思っていました。自分が大きすぎると言うか、何と言うか。理想の自分を作り出して、その次はその理想を誰かに押し付けてくると言うか。一層、関わりたくないな、と思いました。
「だけど、人間は常に矛盾をはらむものよ。それなのに……」
かわいそうに、と言いたげなオリエ先輩でしたが、どちらかと言えばそんな無理難題を出されたパサラの方に、わたしは同情していました。
「とりあえずパサラは、『責められない』という一点だけを叶えたようね」
昨日、何となくスミレに文句が言いづらかったのは、そういう「インガ」の改変があったからなのでしょう。「ボク少女」で通していられるのも、その力が働いているようです。
「それでできたのが、完璧には程遠いアレですか」
「手厳しいわね……」
キミちゃんの意見は全然手厳しくなんてなくて、見たままありのままの評価だとわたしは思いました。オリエ先輩にとっては、スミレはかわいい後輩で、前の仲間のように死なせたくないと思っているから同情的に思うだけなのでしょう。
「あの子は純粋なのよ。正しいことを信じている。わたしは素敵だと思うわ」
「んー、まあ、確かに」
字面は、とわたしは心の中で補いました。きっとキミちゃんも同じことを思っていたことでしょう。何か言いたげで、でも言えないようでした。
「いじめられていて、そのいじめっ子を恨んで消すのではなくて、自分自身を変える。そういう前向きさよ。素敵でなくて?」
重ねて落ちてきた先輩の言葉は、ナイフの雨でした。すべて刺さったわたしは、地面に目を落とすことしかできませんでした。
自分を害する誰かを消してしまうことは、そんなに悪いことなのでしょうか。少なくとも、あの女子トイレのわたしも、この中庭のわたしも、今のわたしも、そうだとは思えません。やったら、やり返されるのです。
スミレは、自分を変えて何になれたというのでしょう。結局、我を通す免罪符を自分に出して、救われたフリをしているだけにしか見えませんでした。好き勝手やって、こうして先輩にフォローされている内は、決してあの子に正義はないのです。正にスミレの望んだ、完璧に正しい人間でもない限りは。
わたしがそう思うのはひがみでしょうか。罪人の開き直りでしょうか。わたしも自分に免罪符を出して、誰かを裁いた気になっているだけなのでしょうか。
「少し困った子だけど、仲良くしてあげてね」
困った子で片付けずに何とかしてほしい、と思うのは贅沢な話でしょうか。
「ところで、葉山さんって全然お話ししないのね」
急に話を振られて、わたしはびくりと肩を震わせました。
「ちょっと人見知りなんですよ」
キミちゃんがフォローしてくれました。わたしもこうしてキミちゃんにフォローされている内は、正義などないのでしょう。
三人は苦手でした。二人だとまだしゃべれます。三人は、どこで話に入っていいのか分からない。昔はもっとできていた気がします。どこかでそのきっかけというのを落としてしまって、二度と見つけられなくなっているようでした。
「数少ないサポート型同士なのだから、仲良くしましょう」
ね、とまた念押しするような口調で言われて、差し出されたオリエ先輩の手をわたしは握り返しました。先輩の手はひんやりとしていて、石の冷たさだな、と思いました。