終
「決着をつけよう。あたしたち七人の戦いに」
あれからどれくらいの時間が経ったでしょうか。見渡す限り砂に変わった辺りを見回して、わたしは何度目か分からないため息をこぼしました。
風は鱶ヶ渕の空を行き、辺りを砂漠に変えました。まだところどころ、元の建物が砂の中から頭を出していますが、それも徐々に砂になってこぼれ落ちています。生命の気配はどこにもなく、晴天の空と共に乾ききっていました。
何日も物を食べていないはずですが、お腹がすくということはありませんでした。大きな体を持て余して、静かに膝を抱えて座り込むぐらいしか、今のわたしにやることはないのです。地平線の向こうは陽炎で揺らめいていて、砂漠の端は定かではありません。
もしかしたら、全世界がわたしの砂漠に覆われてしまったのかもしれない。そう考えることもありましたが、さすがにそこまでできるわたしでもないとすぐに思い直します。そういう自惚れに似たような感情こそ、砂にして埋めておかなくてはいけないのです。
空気の震える感触が伝わってきました。自分以外の生命の気配を感じるのは、本当に久しぶりです。微かに吹く「破滅の風」の中を、その人は歩いてきました。
「よう、ミリカ」
振り向くと、アキナさんが立っていました。赤毛に白の混じった「ディストキーパー」の姿でした。
「意識はあるんだな、よかった」
振り返ったのを見て、和らいだ表情になりました。
わたしはこのままだとしゃべりにくいと思って、体をよじらせて小さくなりました。手足をたたむようにして全身を小さく集め、驚くアキナさんの前に立ちました。
「人間の姿に、なれるのか?」
「はい……」
とは言え、「ディストキーパー」の姿には戻れないのです。顔はわたしのものですが、藁でできたコーンハットに金属の鎧のようなものをまとった胴体、背中にはコウモリの羽が生えていて、ライオンのたてがみのような毛深いスカートの下は獣の足みたいな靴と、「ディスト」の姿をそのまま人間が着込んだような格好でした。
わたしたちは少し歩いて、砂に半分以上沈んだビルの壁面に並んで腰掛けました。
「あれから三か月ってところか」
そんなにも経っていたなんて。もっと短い気がしていたわたしは、愕然となりました。
「パサラもしれっと復活しててさ、でも今は鱶ヶ渕がこんなだろ?」
「ご、ごめんなさい……」
だから謝るなよ、とアキナさんは悲しそうな呆れたような、そんな顔をしました。
「今日どうするかを決めるんだってよ」
アキナさんはそれを伝えるために来たのだそうです。
「どう、なるんですか?」
「現状、砂漠化を食い止めるために、鱶ヶ渕とそこに接している町や海の間に『空間断層結界』っていう処置をしているらしい」
理論はよく分からないから受け売りだけど、と言いながらアキナさんが説明してくれたところによると、「インガ」と「インガ」の間に断層を作って、鱶ヶ渕だけで「インガ」の巡りを独立させてしまっているのだそうです。
「それで、完全に独立させるかどうかの判断が、今日なんだよ」
鱶ヶ渕の外は、オリエ先輩のやった改変の揺り戻しなどで、三か月間かなりバタバタしていたようでした。
「独立させる、ですか?」
「『インガ』の外に放逐して、最初からなかったことにする」
ただ、「ディスト」がらみなので「エクサラント」の力では干渉して消し去ることができないのだそうです。
「どことも繋がらないまま、ずーっと『インガ』の外を漂うことになるらしい」
「じゃあ、そうしない場合は?」
アキナさんは暗い顔でうつむきました。何となく、わたしは分かってしまいました。
「……この風の原因を絶って、時間をかけて鱶ヶ渕を元に戻す。復興は、まあマンパワーだな。『ディスト』の壊した『インガ』は修正不能だから」
つまり、わたしを倒すということでした。アキナさんは、わたしを殺しに来たのです。
「でもさ、こうやって人間の姿になれるんだよな? だったら、一緒にここを出ようよ。『ディストキーパー』だって『ディスト』なんだから、あたしと一緒だ。何よりミリカ自身、全然人間の時と変わってないじゃないか!」
な、とアキナさんが必死に笑って手を差し伸べてくれましたが、わたしはその手にのっている砂粒を指差しました。
「ここ、ずっと風が吹いているじゃないですか」
アキナさんのグローブにのった砂を払い落とすと、小さな穴が開いていました。
「これ……?」
「砂がのったんじゃないんです。グローブが、この風で砂になっちゃったんです」
わたしから吹いているこの「破滅の風」は、わたしの意思で弱められこそすれ、完全に止めることはできないのです。
「いや、でも、弱められるんだったら……」
わたしは首を横に振りました。アキナさんとしゃべっていたのはごく短い時間です。それだけの間で、アキナさんの体にはたくさん砂が積もっていました。
そのことに気付いて、アキナさんはまたうつむいてしまいました。この人を何度もへこませてしまうなんて、やっぱりわたしは駄目な女の子です。
「そうか、分かったよミリカ、戦おう」
顔を上げたアキナさんは、あの意志の強い目をしていました。ビルの壁面から降りて、わたしと距離を取りました。わたしもビルから降りて、少し離れました。
「決着をつけよう。あたしたち七人の戦いに」
アキナさんは『プログレスフォーム』を取りました。機械のような翼が付いたり、衣装が黒地になったりして、わたしが知っているよりもパワーアップしたように見えます。
迷いなくこちらを見据える瞳に、わたしは嬉しいようなくすぐったいような気分になりました。この目をこれから、砂に変えてしまうのに。
「やっぱり、アキナさんはかっこいい人です」
ずっと思っていたことを、この目前に広がる砂漠のように隠すことなくそう告げると、アキナさんは照れたように笑いました。
名残惜しさを押し殺して、相対するわたしも怪物の姿に戻ります。
「行くぞ、ミリカ――」
わたしは腕を持ち上げて、二対四枚の羽根を広げました。
拳を構えたアキナさんは地を蹴って、こちらに突進してきました。
見渡す限りの砂の上を、乾いた風が駆け抜けていきました。
わたしは自分の手の中の、最後の友達だった砂をそれに流しました。
空間全体が震えるような音がしています。もうすぐこの鱶ヶ渕という砂漠が、人間界の「インガ」から完全に切り離されるのです。
怪物のわたしは、青いばかりの空に一つ吠えて、砂の底へと潜って行きます。
袋の中の宝石の数を気にすることもなく、まして傷を覚えておく必要もない、長い永い時が過ぎ去るのをここで待つのです。
もう何も訪れることのないこの砂漠が、わたしが変えてしまった世界、たどり着いた深淵。いつか誰かがのぞき見る時まで。
すべてを抱え込んだままわたしは目を閉じました。
〈深淵少女エメラルド 了〉




