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深淵少女エメラルド  作者: 雨宮ヤスミ
[五]琥珀の時間
26/31

5-4

「頼んだぞ、ミリカ」

 

 

「あらあら、困ったわね。対抗しようにも、大改編の演算中は『プログレスフォーム』になれないのよね……」


 どうしようか、とオリエ先輩はスミレを見下します。そしてまた一つ、琥珀をその体の上にこぼしました。ここまでのやりとりで、まったく声を上げず、また立ち上がるどころか身じろぎもしなかったスミレの体がぴくりと動きました。


「お、オリエ……」


 よろよろと立ち上がろうとして、スミレはオリエ先輩の足にすがります。


「痛いよ、苦しいよ、死んじゃうよ……。どうして回復、してくれないの、さ……」


 オリエ先輩が与えていたものでしょうか、スミレの体の表面には大きなできもののようにいくつもの琥珀が張り付いていました。よく見ると、それは一つずつずぶずぶとスミレの体の中に沈み込んで行っていました。


「あっ、あっ! 痛い、痛いよ、イタイ!」

「初めては痛いものよ」


 悲痛な叫びを上げるスミレに対し、オリエ先輩はゆったりした調子で応じます。わたしから見ても、そのスミレの様子は痛々しく、哀れなものに見えました。


「何をしてる!」


 アキナさんは右手に炎の刃を形成すると、オリエ先輩たちとの間に張られた結界に斬りかかりました。透明の壁は見事に両断されましたが、オリエ先輩は自分を狙った二撃目をかわし、校舎への入り口がある四角い建物の上に一人飛び退きました。トウコさんが銃撃を浴びせましたが、着地してすぐオリエ先輩が展開した結界に阻まれます。


 残されたスミレは立てないようで、悲鳴を上げながらのたうちまわっています。皮膚の中に琥珀が沈みこむたびに痛みが走るようでした。


「おい、スミレ! 大丈夫か!?」

「待って!」


 手を伸ばそうとしたアキナさんの肩を、トウコさんは掴んで止めました。

 仰向けになり、荒い息を吐くスミレのお腹が大きく膨らんでいるのです。まるでそれは――妊婦のようでした。


「『ディストキーパー』は『インガクズ』を孕む」

 古くから伝わる伝承を歌う吟遊詩人のように、朗々とオリエ先輩は言います。


「戦う度に『インガクズ』を孕む。積み重なった先に待つのは、そう臨月」


 スミレの小柄な体からは考えられないぐらいに、その腹は膨らみ鼓動していました。


「琥珀の中の『インガクズ』を、スミレに植え付けたのか!?」


 ええ、とにっこり笑ってオリエ先輩はうなずきました。


「どうして、そんな……」

「だってこの子は、そのためだけにいたのだもの。終末の仕上げに暴れ回る、最強最後の『ディスト』を孕み、産み出すために」


 めききき、と何かが引き裂けるような絶望的な音がしました。スミレが絶叫し、それがこの子の股の間から鳴ったのだと分かりました。そこはもう「ディスト」のように、輪郭線がぐにゃぐにゃに歪んでいます。


 猛烈に、肌が痺れました。いつもの「ディスト」の出現を告げるあの感覚が、数十倍に膨れ上がったようです。稲光の音が聞こえ、空に濃い色の黒雲が渦巻き始めていました。


「逃げよう!」


 わたしはアキナさんの腕をつかみました。


「逃げる? 今?」


 振り返ったアキナさんのすぐ近くに雷が落ちました。それを皮切りに、何条もの雷が辺り構わず降り注いできました。


「これはまずい。一旦体勢を立て直すべき」


 トウコさんはわたしの空いている方の手をつかみます。


「飛んで、葉山」


 わたしはうなずいて二人の腰を抱えると、かかとを三度鳴らして飛び立ちました。オリエ先輩とスミレの姿がどんどん遠のいていきます。


「クソッ! 『ディスト』ぐらいどうだって言うんだ!」


「アレは普通の『ディスト』ではない。考えようによっては、オリエより……」


 トウコさんがそう言った時でした。目の前を光が満たし、強い衝撃が頭から足先までを貫きました。風のコントロールを失ったわたしは、アキナさんとトウコさんもろとも、地面に向かって真っ逆さまに落ちて行きました。雷に打たれたのだと気付いたのは、地面に叩きつけられてからでした。いつだったかの鳥型の「ディスト」との戦闘の時よりも、強い衝撃でした。


 くらくらしながら、どうにか身を起こすと、市街地のど真ん中でした。アスファルトにクレーターのような丸いひび割れができています。周りに人の輪ができていて、奇異の目でわたしたちを見ていました。


「お、おい……君たち大丈夫か?」


 その中の男性が一人、こちらに近づいてきました。面倒だな、とアキナさんがつぶやいたのが聞こえました。


「逃げた方がいい」


 真っ直ぐ男性を見返して、トウコさんは言い放ちます。周囲の人たちはどよめきました。ざわざわとしたまとまりのない音の中に「変な格好」などと混ざっているのが耳に入ってきました。


 どうする、とアキナさんが耳打ちすると、トウコさんは拳銃を男性に向けました。


「な……!?」

「おい!」

「早く行け!」


 声と同時に、人の輪の端の方に雷が落ちました。何人かが黒焦げになり、数秒だけ静寂が辺りを包みました。思い出したように悲鳴が上がって、それが合図になったように、散り散りにもつれながら逃げていきました。


「この雷、『ディスト』の攻撃か?」


「恐らく……! 見なさい」


 学校の方を見ると、校舎の三倍はある大きさの「モノ」がこちらの方へ迫ってきているのが見えました。


 それは巨大な十字架でした。例によって輪郭線はぶれていて、表面には十字状に白い目が一三個並んでいます。今までの「ディスト」と違うのは、色がついていることでしょうか。灰色の十字架の上に紫色の透明なカバーか、宝石の結晶が張り付いているような、そんな形をしていました。


 白い眼が光るたびに、落雷が起こりました。スミレの性質を継いだ、雷の「ディスト」なのでしょう。ビルに落ちてがらがらと瓦礫が落ちてきます。人ごみ目掛けて落ちてきたそれを、アキナさんは炎で弾き飛ばしました。


「まずいぞ、被害が出てる」


 かつてパサラから『「ディスト」の壊したものは「インガ」を修復することでは戻せない』と聞いたような気がします。


「何にせよ、早めに決着を着けた方がよさそう」


 トウコさんはアキナさんにそううなずきかけると、わたしの方を振り返りました。


「葉山、頼みがある」


 今この状況でわたしにできることがあるのでしょうか。「羽カッター」も回収していないし、雷に対して風はあまり役に立ちそうにありません。


「わたしとアキナで、あの『ディスト』の相手をする。その隙に、葉山は学校に戻ってオリエを殺すの。あなたなら、オリエも手の内をよく知らないから」

「わたしが……?」

「なるほど、効率的だな」


 だけど、とアキナさんは空を見上げました。雲の隙間が青白く光り、雷が今度は鉄塔を打ちました。


「この中を無事に進めるか? さっきだって飛んでいて落雷に遭ったぞ」

「『インガの裏側』を通ればいい。学校の屋上の入り口から出て、奇襲を掛ければチャンスはあるはず」

「それはいいが、武器は? 例の扇風機の羽みたいなヤツ、持ってないだろう」

「扇風機の羽じゃなくて『テンペストスピン』。わたしの『エクリプス』を一丁貸す」


 律儀に訂正して右手に持っていたごつい拳銃を、わたしに握らせました。


「お前、それ……」


 何だか悪いような気がしてまごついているわたしに、トウコさんは腰からもう一丁の拳銃を抜いて見せました。


「予備がある。わたしは平気だから、行きなさい。時間がない」

「頼んだぞ、ミリカ」


 わたしは「エクリプス」を胸に抱いて、二人に背を向けました。そして「ホーキー」を取り出して、手近の銀行の自動ドアにかざし、灰色の世界に足を踏み入れました。

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