5-3
「……ごめん、なさい」
「どういう意味?」
少しだけ、わたしは思っていました。例えば、どうして「インガの裏側」にパサラたちが手を出せないのに、普通の人間のわたしたちが入り込めるのか、とか。
あるいは、オリエ先輩の「繰り返させられている」ということもそうです。中学生を繰り返させる理由が分かりません。高校生だって大学生だって、いいじゃないかと思います。まあ三十路の「ディストキーパー」はあまり見たくはありませんが。
「まず、女の子ばかりでしょう?」
それもありました。女の子ばかりなのは、単なるパサラの趣味かとも思っていましたが。
「わたしが『インガ』の欠片を回収した、一四六人の『ディストキーパー』は」
廊下で聞いた時よりキミちゃんと水島の分だけ増えていました。
「みーんな女の子。それも、中学生か小学生。そして、他ならぬわたし自身がその中学生を繰り返させられている。つまり一二歳から一五歳程度でなくてはならない理由があるの」
オリエ先輩は顔の下半分だけ笑顔にしました。
「正確には、年齢そのものは関係ない。『初潮が始まって間もない少女の体』が必要なのよ」
わたしはふと自分のお腹に手が伸びました。傷つけられてしまったわたしのここでも、「ディストキーパー」にはなれたようです。
「『インガ』を改変するには、当然相応のエネルギーがいるの。その燃料の残りかすが『インガクズ』とわたしたちが呼んでいるものね。『インガクズ』はただの残りかすではなくて、一定量が集まれば『インガ』を変えるエネルギーになるの。『ディスト』になるのもそのせいよ。字面通りの『再生可能エネルギー』というわけね。そんな理想的なエネルギーの割に『エクサラント』は無駄にしているのよ」
「インガクズ」の廃棄場があの灰色の「インガの裏側」でした。そこに、この「インガクズ」が一定以上貯まると、エネルギーがまとまり、別の方向に世界を導こうとする。それが「ディスト」なのだそうです。
「『インガの裏側』に入れるのは、この世界の『インガ』から外れたものだけ。だから、パサラは『インガの裏側』に入ることができなかったでしょう」
確かにその通りでした。前のアキナさんの時も、パサラ自身がケンカを止めに来ればいいのに、わたしたちやトウコさんに頼んでいたのはそういうことでしょう。
じゃあ今やってこないのはどういうことなのか。小さく呼びかけてみましたが、やはり返答はないようでした。
「人間も同じ。『インガの裏側』に普通なら入ることはおろか、観測することすらできない。つまり、それができる『ディストキーパー』は……」
「人間ではない」
トウコさんの言葉に深くオリエ先輩はうなずきました。
「そう。『ディストキーパー』とは、『エクサラント』が『インガの裏側』から起こるひずみを防ぐために造り出した、自分たちの命令を聞く『ディスト』のことなのよ」
「わたしたち……『ディスト』にされたって、ことですか?」
そうよ、動揺しているようね。そう言われましたが、言葉に詰まったのは考えながらの確認だったせいでした。わたしは何故かあまりショックを感じていなかったのです。どうせそんなことだろうな、と頭のどこかで思っていたのかもしれません。もしかしたら、人間というものに未練がなかった……それが一番近いでしょう。
「『最初の改変』で生じた『インガクズ』、これを人間の体に入れる」
オリエ先輩が言うには集積した「インガクズ」の質によって「ディスト」の強さは変わるのだそうです。それは「ディストキーパー」も同じだというのは、あの時聞いた話の通りでした。
「その場所が、子宮なのよ」
未使用のものがいいそうね、とオリエ先輩は自分のお腹をさすりました。それが女子中学生でなければならない理由なのでしょうか。
「妊娠ができる準備が整っていて、使われたことがない子宮。そうでなくては、『インガクズ』を孕んで、『ディストキーパー』になることはできないの」
そう、孕んでいるのよ。オリエ先輩は流し目で人差し指を立てました。
「あなたたちこの半年、あるいは三か月、月のものが来てないでしょう?」
言われてみれば。わたしはアキナさんと顔を見合わせました。どうして気付かなかったのでしょう。不自然に思わないよう、パサラが『インガ』をいじくっていたのでしょうか。
「わたしが世界を回すようになれば、『インガクズ』をどんどん再利用していくことになる。すべてに方向性を持たせてね。『インガクズ』がたまらなければ『ディスト』は生まれなくなって、『ディストキーパー』を作る必要もなくなるの。もちろん、誰かの宝石袋に石が混じることなんてなくってよ。誰も『ディスト』なんて怪物にならなくて済むのよ」
戦わなくていいのはいいのですが、今いる『ディストキーパー』はどうなるのでしょうか。失業? それとも、オリエ先輩の下僕になれとでも言われるのでしょうか。
「これで全部なのだけれど……どうかしら?」
オリエ先輩はわたしたちの顔を見回しながら、また琥珀をスミレの上に降
らせました。
「その程度の理由では、わたしの感情は動かせない」
真っ先に応えたのはトウコさんでした。
「あら、そうなの? 面白くない子ね」
「あなたを面白がらせるために、わたしはいるわけではない」
それに、とトウコさんは両手の拳銃をオリエ先輩に向けました。
「大きな存在になる? そういうのを、昔の学者は『怪物』と呼んだのよ」
怪物退治が、わたしたちの仕事。銃口以上に鋭い目で、オリエ先輩を見据えます。
「じゃあ、アキナはどうかしら?」
「……色々言ってくれたけどさ」
アキナさんの表情はさっきと比べると随分落ち着いて、普段と変わらないように見えました。ただ、その瞳には炎が揺らめいているようで、拳は硬く握られていました。
「どう考えても、お前が仕切る世界には住みたくない。そうとしか思えないんだよな」
「どうして? こちらにつくなら、あなたの意見も取り入れてよ?」
「簡単だよ」
瞳の炎が強くなりました。握り締めた拳を持ち上げて、アキナさんは言います。
「仲間を殺すような輩が創る世界なんて、ロクなもんじゃない」
「それはあなたも同じでなくて?」
「そうだな。だからキミヨに怒られるんだろうな」
自嘲気味に笑うような声だけ上げて、アキナさんは首を回しました。
「いつだって手の届くところから、少しでも変えていこうと思ってたんだよ」
右の拳で左の手の平を叩きました。
「それなら今、あたしにできるのは、あんたを止めることだけだ、オリエ!」
「なるほど、単純な子ね」
それじゃあ、とオリエ先輩はあの瞳をわたしに向けてきました。
「葉山さん、あなたはどうなの? 不当に虐げられ、傷つけられ……自分と同じような体験をする人がこれからも作られるかもしれない。そんな今の世界を続けるの?」
わたしは答えられませんでした。
「それとも、自分の恨みは晴らせたからもうそれでいいの?」
何をどうしていいのか。どうするのが正解なのか。わたしにはまったく見当がつきませんでした。今の世界と新しい世界とか、パサラとオリエ先輩ならどっちが信用に足るかとか、キミちゃんのかたき討ちをしなければとか、そういうことがごっちゃになって吹き荒れて、どうしようもなく混乱していました。
「……ごめん、なさい」
出てきたのは、一番使い慣れた言葉でした。これにすがるしかないわたしは、世界が古かろうが新しかろうが、結局は同じなのかもしれません。オリエ先輩もあきれたように言いました。
「この期に及んで答えが出ないなんて。あなたはこの場にいても無意味なのかもね」
うつむくわたしの肩に、アキナさんが励ますように触れました。
「ともあれこれで三対二か。観念した方がいいんじゃないか?」
「ここにいる者だけじゃない。『エクサラント』も既に気付いている。援軍の『ディストキーパー』が他の地域からやってくるだろう」
「あら? それはどうかしらね」
オリエ先輩はまたスミレに琥珀を落としました。あれに何の意味があるのでしょうか。回復のために見えましたが、スミレは起き上がってきません。
「まずあなたたち、パサラと連絡はついているの?」
アキナさんがわたしの方を見たので、首を横に振りました。
「でしょうね。だって、今この状態だものね」
オリエ先輩が指を鳴らすと、琥珀の結界で作られた立方体の箱がその手の上に現れました。透明なその中には、バレーボールほどの白い毛玉が収まっています。
「パサラ!」
『みんな……!』
まだ生きているようでした。黒い目でこちらを見ています。箱はぎゅうぎゅうで長い耳が押し当てられてへしゃげていました。
「感動の再会、かしら? だけど……」
『気を付けるんだ、オリ……』
パサラにみなまで言わせず、オリエ先輩は無造作に結界を握りつぶしました。まるで紙の箱を潰すように簡単に、くしゃくしゃに小さくなって、なくなってしまいました。
「もういらないわ」
「お前……!」
いきり立つアキナさんとは対照的に、冷静な口調でトウコさんは告げます。
「それを潰したとしても、『エクサラント』から記憶を引き継いだパサラが送り込まれてくる。更に言えば、異常が『エクサラント』に知れて、援軍の到着を早めるだけ。それが分からないあなたではないでしょう?」
「そうね、『エクサラント』が今まで通り、『人間界』に干渉できるならね……」
「まさか――!」
トウコさんは目を見開き、何か分かった風でしたが、わたしには意味がよく分かりませんでした。
「そう、ついさっき終わったのよ。『エクサラント』と『人間界』を切り離す作業が。あなたたちと、おしゃべりしている間にね。だから、パサラを拘束しておく必要がなくなった」
パサラと「エクサラント」は常時繋がっているのですが、端末が壊れたり攻撃を受けたりしない限りは「エクサラント」は動かないのだそうです。あの結界はテレパシーを遮る効果はあるものの、パサラを害するものではないので、攻撃に見なされないのだとか。
そう説明するオリエ先輩の体の中で、いくつもの歯車が回っているのが透けて見えました。七〇個の「インガの輪」はがっちりと噛み合って、キリリキリリと音を立てながら世界を、オリエ先輩に合わせた形へと変えているのです。
「改変をしながらの戦闘だったから、結界ぐらいしか使えなかったのがネックだったわ」
「時間稼ぎだったのか!」
何ということでしょう。ならば、もう打つ手なしではないでしょうか。
「時間稼ぎもあるけど、勧誘も目的だったのよ。わたしも仲間を殺すのは忍びないもの。だけど、残念だったわね。交渉になっていないことに気付かなかった自分を呪いなさいな」
クソッ、と歯噛みするアキナさんをなだめるようにしながら、トウコさんはオリエ先輩を冷たい目で見つめます。
「でも、まだ改変は完了していない、そうでしょう?」
「どうかしら? あと一時間といったところかしらね?」
はったりかもしれません。実際はもっと短いかもしれません。もちろん、本当に一時間である可能性も捨てきれません。
「ならできるだけ早く、お前らを倒せばいいわけだな」
言葉と同時にアキナさんの体を炎が包み、「プログレスフォーム」に移行します。
「そういうことになる」
トウコさんの体も光に包まれ、格好が大きく変化しました。得物の二丁拳銃は一回り大きくなり、胸と肩、手足の関節に装甲が追加されました。一番目を引くのはマントのように体を取り巻く、縦に長い五角形をした六枚の装甲板でした。これがトウコさんの「プログレスフォーム」なのでしょう。




