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「葉山さんが弄ばれることもなかったかもしれない」
「何で、こんなことをする?」
「何度も説明したでしょ? わたしは新しい世界を創る、って」
「『エクサラント』に頼らない、か。そんなもんがうまく行くとでも思ってるのか?」
「今よりはマシにするわ」
「どうだかな。仲間殺しの言うことは信用ならん」
「水島さんを殺したのはわたしじゃないわ」
傍らの、穴だらけになった水島の死体を琥珀の中に収めながら、オリエ先輩はわたしに視線を向けました。
「それに、仲間殺しならアキナ、あなたも同じでしょう?」
あの夜、オリエ先輩から聞いた話を思い出されました。アキナさんはかつて仲間だった四人を殺した、そう言っていました。そして、アキナさんのその記憶は、琥珀にしてオリエ先輩が持っている、とも。
「その通りだ……。だけど、そうであってもあんたを信用する理由にはならない」
あら、と初めてオリエ先輩に動揺の色が見えました。
「受け止めたのね。予想外だわ」
「だからこうやって追って来てるんだろうが。お前の撃ち込んできた琥珀のお陰で、全部思い出したよ。あたしのやったこと、かつて仲間だった四人のことも」
「あら、あの時のように動けなくなるかと思ったけれど。わたしが思っているよりも、あなたは強かったのね」
アキナも誘えばよかったわ、とオリエ先輩は首を横に振りました。
「冗談。誘われて、乗るとでも思ってんのか?」
「どうかしら? あなたの知らないことをわたしは知っていて、だからこんなことを企んだのだとしたら? あなたもそれを知れば、こちらにつくのではなくて?」
「御託はいい」
アキナさんは拳を構えてオリエ先輩を鋭い視線で見据えます。後ろにいても、今にも殴り掛かりそうな気配が感じられました。溜めた右足に力が入ったのが分かります。
「待ちなさい」
そんなアキナさんを、トウコさんは手で制しました。
「言わせればいい。この世界に疑問を感じているのは、あなたも同じはず。一方的に打ちのめす資格はないわ」
「だけど――!」
「聞いて、その上で決めねばならない。これは必要な手続きよ」
その目はアキナさんを見ていましたが、わたしにも言っているように聞こえました。トウコさんは見通しているのです。わたしがオリエ先輩に賛成か反対かを表明していないことを。選べと言うのでしょう、わたしがどちらにつくかを。
アキナさんはもう一つ舌打ちをして、一旦拳を下ろしました。オリエ先輩はにっこりと、本当に嬉しそうに笑って、隣に横たわるスミレに琥珀を落としました。
「そうね……まず、『エクサラント』について。あそこがどういう所か、あなたたちは知っている?」
どういう所、と言われても。毛玉がたくさん住んでいる国なのでしょうか。いや、でもパサラは前にあの毛玉の姿は「人間界」でのものだと言っていたように思います。
「結論から言えば、『エクサラント』なんて国はどこにも存在しないの」
「はあ? 現にパサラはそこから来たって……」
「正確に言えば、あなたたちが想像するような国、国家がないということ」
そう説明されても、ピンときませんでした。アキナさんもそれは同じようでした。
「『エクサラント』から来たパサラ。それは方便に過ぎない」
オリエ先輩の言葉を継いだのはトウコさんでした。
「あら、あなた知っていたの?」
「パサラに聞けば答えてくれる程度の話。得意ぶって話すことでもない」
ちくりと嫌味を言って、トウコさんは説明を続けます。
「『天使』『御使い』『善のジン』『精霊』『天部』『仏の使い』『化身』『来訪者』……さまざまな名前、さまざまな姿をパサラたちは持っている。その国や地域の風俗習慣、宗教、神話などによって『エクサラント』の使いは、いいえ『エクサラント』そのものも、『天国』や『彼岸』『浄土』、『精霊界』『外宇宙』など、たくさんの名前を持つ。そうやって多くの名を使い分けながら、人間の歴史を見守ってきた」
方便、とトウコさんが言った意味が何となく分かりました。この国で「異世界から来たかわいい生物」という体で現れたのは、テレビアニメなんかの影響が強いからでしょうか。
「では、そのわたしたちが『エクサラント』と呼んできたものはなんなのか」
それはご存知? と問われてトウコさんはどこか得意そうにうなずきます。
「『エクサラント』とは、この星のすべての人間の願望の集積地帯。パサラの言う『インガの改変』とはすなわち、多数派が『何となくこうなったらいい』と思っている方向に世界を舵取りするということ」
願望、といっても、それはぼんやりとした思いなのだそうです。多くの人間が何となく持っている「将来的にこうなったらいい」という薄らとした期待、それがたどり着く場所が「エクサラント」なのだ、とトウコさんは言います。
「そう。そんなぼんやりとした考えが、ここまでこの世界を回してきたの。おかしな話だと思わない? 道理で間違いだらけのはずだわ。だから二回も大きな戦争があって、数えきれないくらいの紛争が起きて、人は進まないままなのよ」
憎々しげに言い放ち、オリエ先輩はまたスミレの上に琥珀を落としました。
「あなたはどう思った? トウコ。その話を知って」
「別に。特に何も」
いつも以上に平坦な声音でした。言っている内容以上のものがまったくない、薄っぺらな九音の言葉でした。
「あなたはいいわね。無感動で無感情、そんなキャラクターを自分に上書きしたのだから。でも、わたしは違うのよ。中学生が紙に書いた、幼稚な絵空事の『あたしの考えたかっこいいヒロイン』じゃないから」
トウコさんが上書きしたのは、この人が考え出したキャラクターだったようです。ものすごく納得できました。本人は無表情にお返しの嫌味な暴露を受け止めていましたが。
「アキナ、あなたはどう? 腹立たしく思わない? あの変質者に襲われたのだって、そうやって『ぼんやり』『何となく』で世界が進んできたからではなくて?」
そう来るか、とわたしはアキナさんの顔をうかがいました。強く歯を噛んで、アキナさんはオリエ先輩を見つめています。
「もっと確固たる信念で、世界が回っていたならば」
芝居がかった動作で、オリエ先輩は大きく両腕を開きました。
「浅木さんのおうちがやっている会社は、傾かなくて済んだかもしれない。
人間同士の関係はもっと進歩して、水島さんのように人間関係に悩むことはなかったかもしれない。トウコも空想の中に逃げ込まなくてもよかったかもしれない。
責任ある人間が増えたなら、スミレのように両親に見捨てられる子もいなかったかもしれない。あるいは――」
思わず、体が震えてしまいました。オリエ先輩があの大昔の未知の力を封じたような瞳で、わたしを見ているのです。
「葉山さんが弄ばれることもなかったかもしれない」
そうでしょ、と念を押されたような気がして、わたしは逃げるように目を伏せました。
「わたしが創りたいのはね、そういう世界なの。確固たる意志と目的を持った大きな存在が、愚昧な『ぼんやり』『何となく』を導く。石ころばかりを放り込まれた、『過剰に不幸な人間』なんていない。これが、正しいあり方なのよ」
本当にそんなことができるなら。そうわたしは下を向きながら思いました。
「あなたがその、大きな存在になると?」
「正確には、わたしと、この『インガ』の詰まったたくさんの琥珀たち」
琥珀に閉じ込めた多くの「インガ」によって、個人では処理できないようなことも何とかしてしまえる。それがオリエ先輩の立てた見通しでした。
「それに、わたしのやり方ならば、『ディストキーパー』を作る必要もなくなる。そう、あなたたちは『ディストキーパー』という存在に違和感を覚えたことはないかしら?」




