4-3
「そういう子だって、わたしは覚えていたから」
「どうかな?」
スミレは屈託なく笑いました。
「『フリントロック・ライトニング』。雷の速度で動くのが、ボクの能力の真骨頂さ」
キミちゃんは歯を食いしばって、震える手でどうにかその槍の柄をつかみました。膝もがくがくいっていて、危険な傷だとすぐに分かりました。
固まったように、わたしは動けませんでした。情けない話ですが、目の前で起きたことがショックで、何もできなかったのです。
「それで、葉山さんはどうかしら?」
そこへオリエ先輩が声をかけてきました。
「わたしたちに、賛成して……」
「逃げて、ミリカ!」
オリエ先輩の言葉を打ち消すように、キミちゃんが叫びました。そこでようやくわたしは我に返りました。戦ってキミちゃんを助けないと。いや誰かを呼んで……。
「逃げるんだよ!」
キミちゃんはまた叫びました。
(逃げるのか、戦うのか。迷ってたらいつか――)
アキナさんの言葉がわたしの脳裏によみがえります。
「スミレ、早くとどめを刺しなさい」
オリエ先輩がそう指示しますが、スミレは槍を握ったまま動きません。
「何か……重くて……体が……」
みしり、とキミちゃんの足もとの床がきしみ、ひびが入ったのが見えました。重くしているのです。どうして? もちろん、わたしを逃がすために。
「しょうがないわねえ。ならわたしが……」
踏み出そうとしたオリエ先輩の膝が折れました。
「……重さが、ここまで影響を……?」
キミちゃんの呼吸が荒くなり、床のひびはオリエ先輩のいる辺りを巻き込んで、楕円形に広がり始めていました。生命の危機を迎えたこの土壇場で、キミちゃんの「重くする」が成長したのです。
この場で避けなければいけないのは、わたしたち二人ともが死んでしまうことだと、キミちゃんは考えたのでしょう。オリエ先輩とスミレの凶行を、他のみんなやパサラに伝えなければなりません。キミちゃんは反対する立場ですから。
わたしはどうでしょう? オリエ先輩の「新しい世界」も魅力がないと言えばウソになります。しかし――キミちゃんが命を懸けてくれているのです。むげにはできません。
それに、「変えること」がどうにも苦手なわたしですから。
わたしが窓を破って外に飛び出すのと同時に、キミちゃんたちは床ごと一階へ落下してきました。ダメージが蓄積していたのでしょう、そこから雪崩れるように周りの柱や壁、天井もその穴へ崩れ落ちていきました。
横目でその様子を見ながら、わたしは目から落ちてくるものを拭う間もなく上へ上へと飛び続けました。そして半狂乱になりながら、パサラの名前を呼び続けました。
応答はありません。あの頭の浅いところに囁くような、少年みたいな声はいつまで待っても聞こえてきませんでした。
何度も何度も呼びました。返事はやっぱりありません。他の誰かに連絡しようかと思いましたが、生憎とテレパシーで通じ合えるのはパサラだけなのでした。パサラを介せば会話することもできますが、その毛玉本体がいないのです。携帯電話は原則学校に持ち込み禁止なので、わたしは持ってきていませんでした。
高く急激に飛んだせいか、何だかぐらぐら眩暈がしてきて、風を操るのが辛くなってきました。地上に降りなくては危険なようでした。
学校から離れたところに降りようか、と思ってそれも無責任に思えたので、もう一つの校舎の屋上に降下しました。
そこから見渡す学校は、昼休みだというのにやけに静かでした。よく見ると、運動場の方に点々と血の跡が見えます。スミレは最初外でも暴れたのかもしれません。
教室のあった校舎は、半分が完全にへしゃげたようになっていました。キミちゃんは無事だろうか、と思うと様子を見に行きたくなりましたが、堪えました。助っ人がいれば話は別ですが、今のままでは……。
「あれ?」
ドアの開く音と共に、不意に後ろから声がかかり、わたしはびくりと肩を震わせました。
聞き覚えのある声でした。安心していいのかどうか判断しかねる、いやどちらかと言うと気を許してはいけない声でした。
恐る恐る振り返ると、思った通りの人物が立っていました。
「水島、さん……」
何故か「ディストキーパー」の格好でした。右手にはサーベルを握っています。
「ミリカ、どうしてこんなとこに?」
それはこちらのセリフでした。今日も学校を休んでいたはずです。
「ねえ、スミレと会った? 今すごいことになってるんだけど……」
わたしは答えずに、こっそりと風を起こす準備をしました。
「あたしもパサラに呼ばれてさあ。あんまし来たくなかったんだけど」
つかつかとこちらに歩み寄りながら、水島は運動場の方に顔を向けます。
「でも緊急事態だって言うからさ。スミレが暴れてこんな風に――」
言葉と同時に、何気ないふりをしながら、水島はわたしにサーベルを振り下しました。
「ちっ!」
刃は風の壁で弾かれ、舌打ちをして水島は後ろに飛びのきました。
「読んでた、ってワケ?」
わたしは何も言わずに水島の顔を見返しました。
「硬いからねえ、あんた。不意を打つしかない、って思ってたんだけどねえ……」
面倒くさい、と言いながら水島はサーベルに水分を集め、大剣に変えました。
「ガチンコか。しょうがないね」
大ぶりな剣の切っ先をわたしに向けて、水島は言葉を重ねます。
「どうしてわたしを殺すの、って聞かないんだ」
答えないわたしに、水島は「何か言えよ」と焦れたように頬を引きつらせました。
「ま、一応教えといてあげる。あたしさ、オリエ先輩の案に乗ったんだ」
わたしとキミちゃんが、オリエ先輩とスミレと問答を繰り広げていた時、校舎の反対側では水島が暴れていたのだそうです。
「クラスの連中、全員殺そうと思ってさ。もしかしたらミリカは仲間になるかも、ってオリエ先輩が言ってたから、殺せるか分かんなかったけど……」
だから、先輩には悪いけどよかったあ。ワルぶったような笑みを水島は浮かべました。
「あんたが一番ムカつくからね。せっかく友達になってあげようと思ったのに、全然それを分かってないんだもの」
あげよう、なんていう思考だから理解されない、とは考えないようです。
「そう、その目。あたしのこと、見下したみたいな目。何様なの?」
「……水島さん」
「何?」
「きっと不意打ちしてくるだろうと思ってたよ」
「どうして?」
「そういう子だって、わたしは覚えていたから」
「意味分かんないんだーけーど!」
水島はそう叫んで、大剣を振りかぶってきました。わたしはその大味な攻撃を横に跳んでかわし、二撃目を風で弾きました。
そう、わたしは覚えていたのです。パサラに頼んで残してもらった。
嫌な記憶です。だけど、一人がなかったことになっても、一人が死んでも、そして一人が味方になったのだとしても、絶対に忘れたくなかったから。
あの日、水島たち三人に何をされたのか。
今思い出しても、お腹の下の方、大切な部分がうずくのです。あの後パサラに会って、「ディストキーパー」になったら痛みは消えました。けれど、元に戻ってはいないのです。
(あんた、何か余計なことチクッたよね?)
水島は大剣を水に戻し、それを十本のサーベルに作り替えました。
(だけど残念でしたー。ノムラはあたしらのダチだかんねー)
飛んできた十本のサーベルを、わたしは風を渦巻かせて後ろに弾き飛ばします。
(と、いうワケで、おまちかね。罰ゲームでーす)
水島はやっぱりそれしか能がないのか、矢継ぎ早に剣を作り出しては発射してきます。
(兄貴直伝! 言うこと聞かないバカ女に言うこと聞かせる方法)
かわし、風で受け流す。単調なリズムでした。当たるはずがありません。
(ほら、こいつの下脱がして)
焦れたのか、今度は二刀流で突進してきました。
(じゃーん! これを入れまーす。何か分かるかな?)
強烈な向かい風を吹きつけてやると、水島はたたらを踏みました。
(おら、答えろよ!)
その隙をついて、わたしは「羽カッター」を取り出します。
(そう! ペットボトルだよー? 入るかなあ? どうかなあ?)
武器を握りしめると、あの時の痛みが、お腹から上って来るようでした。
(これが葉山さんの、最初の相手ね)
痛みが上ってくるほどに、風が強くなっていくようでした。
(よかったね、超デカいじゃん)
屋上の周りの柵ががたがたと揺れ、砂ぼこりが大きく舞い散ります。
(暴れんじゃないよ! ラン入れちまいな)
水島は右手の剣を杖のようにして立ち上がろうとしていました。
(ほら足も押さえて。そっちは口をお願い。すごく裂けて、叫ぶんだって)
この「羽カッター」は大きな「ディスト」の首をもはねる切れ味です。
(ランってば容赦なく蹴るねえ。いいじゃんいいじゃん。もっと、もっと!)
これが当たればただでは済まないはずです。
(ひゃははは、すっごーい! 入ったねえ。もう戻らないんじゃないの、これ?)
腕でも胴体でも、首でも飛ばしてしまえるでしょう。
(記念に一枚撮っとくか。おら、顔上げろ。はい、チーズ)
ならば、狙うのは首です。そこ以外はありません。
(子ども生まれないかもね。ま、こんなグズの遺伝子残さないで済むからいいか)
痛みは頭の先まで上りつめ、憎しみに変わり、わたしの体を動かす力になりました。
(二度と逆らっちゃダメよ、葉・山・さ・ん。画像バラ撒いちゃうから)
躊躇することなどありませんでした。わたしは水島の頭めがけ、烈風に乗せて「羽カッター」を打ち出します。
高い金属音が鳴り、しかし「羽カッター」は風から落ちました。
弾かれた? 意外な感触に風が緩んだ次の瞬間、水島は急速に間合いを詰めていました。
わたしが斬られて倒れるのと、水島が薙ぎ払い蹴とばした「羽カッター」が転がって倒れるのは同時でした。




