3-4
「でも、逃げるのか、戦うのか。迷ってたらいつか死ぬぞ」
「インガの裏側」はひどい有様でした。例の路地の両側に立っていた背の低いビルは、上半分が吹き飛んでいます。こういうダメージはまずくはないのでしょうか。
「パサラが言ってたけど、あたしたちが与えるダメージも、『ディスト』と同じでまずいんだって」
それがあるから止めるように言ったのかな、とパサラの思考を邪推しました。ここへ来て、パサラへの信頼が少し揺らいでいました。というか、あの毛玉は人間のルールや道徳というものを根本的に理解しないのではないのでしょうか。
崩れたビルの向こう、繁華街の方向に、灰色の世界の中で飛び回る赤い影が見えました。砂ぼこりのような細かい「インガクズ」の中を突っ切って、それを追う黄色の影も。まだ生きている、とわたしは内心胸をなでおろします。
「無事みたいね、行くよ」
水島はサーベルの刃でぐるりと円を描き、その軌道上に一六本の剣を作り出しました。
「行け!」
水の尾を引きながら射ち出された刃は赤い影目掛けて飛んで行きました。
「……ちょっと!」
攻撃してどうするんだ、とわたしは慌てました。前言撤回、まったくわたしと水島の意思は噛み合っていません。アキナさんとキミちゃんの間を妨げるように飛ばさないと。一方だけを攻撃なんてしたら……。
アキナさんはキミちゃんの振るったハンマーを避けると、飛んできたサーベルをことごとく打ち消します。燃える拳で蒸発させているようでした。
アキナさんはこちらを見ると、拳の炎をジェット噴射のようにして、わたしたちのところにやってきました。
「お前らも来たのか」
崩れたビルの上に立って、アキナさんはわたしたちを見下します。
「ランもミリカも、あたしと戦うつもりか?」
「戦うっていうか、止めに来たよ」
へえ、とアキナさんは肩を回しました。
「それはあたしのやってることを?」
「この戦いをよ」
ようやくキミちゃんもこちらにやってきました。背中を向けているアキナさんに殴り掛かることなく、わたしたちとアキナさんの間に降り立ちました。
「味方同士で争ったって、仕方ないじゃん」
「争ったって、なんて言われても、ケンカ売られたわけだし」
「そういうこと言ってる場合じゃないの」
どちらも取りつく島がないようでした。水島は困ったような顔でわたしの顔を見ました。ここでも前言を翻さねばならないようです。まったく頼りになりません。
「その……パサラが……『インガの裏側』にこれ以上ダメージを与えるなって」
「……ああ」
自分の足元の瓦礫の山を見下して、アキナさんはぴしゃりと額をたたきました。
「やり過ぎたか」
「うん、やり過ぎよアキナ。何にしても」
「世直しのことを言ってんだったら、それはうなずけないな」
アキナさんは瓦礫から飛び降りて、キミちゃんと向かい合いました。
「大体お前、何が不満なんだよ? そこにいるミリカもランも、ついでにトウコだって人殺して『ディストキーパー』になったっていうじゃん」
傷口に指を入れられたような気がしました。顔をしかめたわたしにキミちゃんの視線は刺さるようでした。
「だ、だとしても、そんなの、みんな事情があって……!」
「やったことは変わらないよ。違うのか?」
構えたハンマーを、ゆっくりとキミちゃんは下しました。
「あたしは……ただ、あんたにだけは人を殺してほしくなかった……」
「やめろよ、そういうの。あたしはあたしだ。人間だよ。神さまじゃない。押し付けるな」
「神さまじゃないんなら、何をもって人間を裁くのよ」
「あたし自身さ」
「そのあんた自身が、今してること、胸を張って言える?」
はあ、と大きくアキナさんは息をついて、頭をかきむしりました。
「平行線だな。やっぱ、こっちでケリつけるしかないか」
左の手の平を拳でたたき、アキナさんは構えを取りました。キミちゃんもハンマーを持ち上げて、それを見た水島が慌てて間に立ちます。
「や、やめようよ! こんなん意味ないって! キミヨも死んじゃうよ!」
「それでも、こんな風なアキナを放っておけないよ」
キミちゃんの説得は無理と見て、水島はアキナさんの方を向きます。
「アキナも、もういいじゃん、あんたの勝ちで!」
「ラン、お前何しに来たんだよ」
取り合わずに、アキナさんは確信を突きました。
「何って……パサラに言われて、それで、キミヨも死なせられないし、『裏側』の破壊も止めなくちゃだし……」
「じゃあキミヨと一緒に戦ってやれよ。二人――いや、三人がかりならあたしが本気を出しても生き残れるかもしれないしな」
途中でアキナさんは、わたしに視線を向けてきました。おずおずと、わたしもキミちゃんの下へ向かいます。
「ミリカ……」
「ちょ、ちょっと」
案じるような安心したような、そんな目で見てくれたキミちゃんとは対照的に、水島は明らかに狼狽と迷惑そうな気持ちの混じった顔でこっちをにらんできます。
「ミリカ、お前もわたしのやることには反対なのか?」
どうでしょうか。どっちが正解なのかとか、ここに来るまで考えていませんでした。ただただ死体が気持ち悪くて、キミちゃんが心配で、アキナさんがちょっと怖くて、それだけでした。だから、どっちが正しいとかわたしには判断できないのです。キミちゃん側についたので「間違ってる派」かもしれませんが、わたしの「最初の改変」はアキナさん側の思考なので、どちらとも言えません。
「……ごめんなさい」
だから、結局使い古した言葉しか出てきませんでした。
「お前いつも謝るな」
また「ごめんなさい」を取り出しそうになって、すぐに引っ込めました。そうしたら今度こそ決定的に嫌われてしまうような気がしたのです。悪い予感はよく当たるわたしですから、不吉な兆しには従うのです。
水島は決めかねるようにキミちゃんとわたし、アキナさんを見比べていましたが、「ああ、もう!」と自分は悪くなくて周りがおかしいから振り回されているのだというアピールをしてから、わたしの前に立ちアキナさんにサーベルを向けました。
「ランもそっちか。実際どうなんだ? あたしに賛成か? 反対か?」
「面倒くさい、ってのが本音。そんな風に迷惑な連中殺せたらな、ってのは思うけど、実行するのも、それについてくる色々も面倒ってか、そんな感じよ」
「志が低いな」
「そんな高いこと考えたって、手が届かないでしょ」
自覚的に地べたを這いずっているクセに、人の上に立ちたいと思っているのか、と最早呆れを踏み越えて軽蔑しか湧いてきません。
「まあいい、三人いるなら少しはもつだろ」
アキナさんがそう言った時、そのまとったコスチュームに変化が起こりました。
肩と太ももに炎が燃え上がり、そこに新たな装甲が現れました。更にグローブも一回りごつくなり、その手の甲にはまっていた赤い宝石も輝きを増します。そして後頭部を覆うように、両側面にアンテナのついたヘルメットが出現、薄いクリアレッドのバイザーがアキナさんの顔を覆いました。
「これが『プログレスフォーム』」
かつてキミちゃんが、「ディストキーパー」のことを女の子向けアニメに出てくる魔法少女とかスーパーヒロインとか、そんな風に表現していました。確かに衣装はかわいらしく、そんな感じに思えたのですが、今のアキナさんの姿はどちらかと言えば男の子向けの「何とかレンジャー」に出てくるような、ヒーローのようでした。
「……まあトウコが名前つけたんだけど、『ディストキーパー』としての最強最後の攻撃形態なんだとよ」
見た目にも強そうなのが伝わってきます。あんなガチガチの鎧で固めているのですから。こっちはスカートやショートパンツで身を守っているのに。身に着けているものの段階で戦力の差は歴然でした。三対一なのに、勝つ姿が想像できません。
水島は一つ舌打ちすると、サーベルの周りに水分を集めて、刀身を大きく太く変えました。細身のサーベルは、身長ほどの長さで幅の広い大剣になりました。後ろに人が隠れられるぐらいの大きさで、防御向きの形態のようです。
キミちゃんはハンマーを構え直し、わたしも盾に手を掛けました。「羽カッター」を投げるか迷い、効果がなさそうだと思い止まりました。
「行くぞ」
装甲の赤いラインの部分が輝き、アキナさんの肩から翼のような炎が噴き出します。
突撃が来る。直感的にそう思って、わたしは強く風を吹かせました。巨大な「ディスト」をも食い止める風速なのですが、アキナさんはその向かい風をもろともせずに突っ切り、一番手前にいた水島に拳を振り上げました。
水島は大きくなった刀身でそれを受けましたが、水でできたその刃は見る間に蒸発、燃える拳の一撃がその腹を捉えました。
人間とは思えない獣のような叫びを上げながら、腹を焦がした水島の体は宙を大きく舞い、アキナさんの背後十数メートルのところに頭から落ちました。
キミちゃんが躍りかかったのは、水島の剣が蒸発したのと同じくらいでした。吹き飛んだ水島の体の下を縫うようにアキナさんに迫り、ハンマーの一撃を入れます。
「重くなれ!」
肩に直撃しましたが、アキナさんの姿勢は崩れません。衝撃がなかったかのようにキミちゃんをゴーグル越しに見据えます。
「これぐらいの重さじゃ、あたしは止められないな」
アキナさんはハンマーの柄をつかむと、そのままキミちゃんごと持ち上げました。その動作は滑らかで、言葉通り「重さ」を感じていないようでした。
柄を手繰り寄せ、キミちゃんをハンマーから引きはがします。そして髪をつかんでキミちゃんをぶら下げるようにして、その体に何発も炎の拳を叩きこみました。
胸部と両肩の装甲が割れ、ぐったりしたキミちゃんの焦げた体を投げ捨て、遂にわたしはアキナさんと差し向かいました。
「逃げないのか?」
そういう選択肢もあるのか。どちらを取ろう、と一瞬考える間にアキナさんはわたしとの距離を詰め、拳を振り上げていました。
反射的に身を縮め、風を呼びました。上からの衝撃がわたしの体を襲います。立っていられない、というほどではありませんでした。何とか足を踏ん張って耐えると、次は右から左から、同じような痛みがわたしの体を貫きました。
「結構耐えるな……人を殴ってる手ごたえじゃない。さすがは『守りの風』ってとこか」
アキナさんは拳を振るう手を止めて、わたしを見下しました。
「でも、逃げるのか、戦うのか。迷ってたらいつか死ぬぞ」
身を縮め、体を丸め、キミちゃんと同じくらいの数の打撃を受けて、ほとんど座り込むようになりながら、それでもわたしは倒れていませんでした。
倒れたくないと思ったわけではありません。意識は飛ばず、痛みは消えず、しかし足と風だけはわたしの体を地面に付けないようにしっかりと支えているのです。倒れることを体が許してくれないみたいでした。
ごとりと何かが落ちる音がました。左腕が軽くなり、見なくても盾だと知れました。顔を上げることはできませんでした。アキナさんも何も見たくありませんでした。
「じゃあ、こいつでいくか。死ぬなよ」
どことなくのんきさが感じられるアキナさんの声は、夜のお墓で出し抜けに鳴り始めた、明るいメロディーのオルゴールのような場違いな不気味さがありました。
周囲に熱が高まっているのが分かりました。目の前に太陽があるみたいでした。何をしているのか見たくありませんでした。注射針を怖がって目を背ける子どもみたいに、わたしは必死に今の時間が過ぎ去るのを待っていました。
「これで、終わりだ」
来る! そう思って更に身を縮めた瞬間、わたしの体は地面を転がりました。誰かに突き飛ばされたようでした。




