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「キミヨ、だからあたしはお前が好きなんだ」
路地の奥は資材置き場のようになっていました。そこに立っていたのは赤い髪の「ルビー」――アキナさんでした。「ディストキーパー」の格好です。問題なのは周囲の様子でした。ビルの壁面が焼け焦げ、周りには黒焦げの何かが転がっていました。例の異臭の原因は、この黒焦げのものどものようです。
アキナさんは手にもその黒焦げを持っていました。わたしたちに気付いてこちらを向くと、いつもように笑って、軽い感じで挨拶してきました。
「おう、お前らか。何でこんなとこに?」
「あ、アキナ……それ……!」
アキナさんは笑顔のまま、黒焦げの何かを地面に投げ出しました。
「ん? これか?」
グローブに着いたススを掃うように両手をはたきました。
「この辺に居座ってた連中だよ」
黒焦げの何かは、人間の形・大きさをしていました。
「カツアゲだの夜中に騒いだりだの、みんなに迷惑かけてたからな。一網打尽にしてやろうと思ってさ」
つまり異臭の原因は、焼け焦げた人体であるということに他なりません。
「今回は結構苦労したんだ。集会の日とか調べてさ」
十数体はある黒焦げの死体と、炎の「ディストキーパー」。何が起きたかは明白でした。
「それで……焼き殺したって言うの!?」
キミちゃんの声は悲鳴のようにビルとビルの間に響きました。
「そうだ」
事もなげにアキナさんは言い放ちます。
「どうして!?」
「迷惑だからさ」
「そうじゃなくて!」
アキナさんは首をかしげました。少し考えてから、「ああ」とうなずきました。
「あたしらには力があるだろ? それでこいつらは周りに迷惑をかけてる。だから、力のあるあたしがこいつらを排除した。そういうことだよ」
「そんな説明で、納得できると思ってるの!?」
キミちゃんは、わたしの見たことのない顔をしていました。水島がうろたえたように一歩後ずさりました。
「力があるからって、こんなことしていいわけないでしょ!」
「力があるやつがしなきゃ、誰がやるんだよ」
「警察とか……」
「警察なんてアテにならないだろ。ちょっと説教をして、すぐに出してやるんだ。そしたら連中、仲間内で自慢するんだよ。箔がついた、ってな。だったら、二度とそんな口を叩けなくしてやればいい」
世直しだよ、とアキナさんはどこか芝居がかった調子で腕を広げて見せました。
「……今回、ってさっき言ったよね?」
「ああ、もう三か月になる。『ディストキーパー』になってから、ずっとやってるんだ」
最初は空き巣を追いかけたりしていたのだそうです。
「まあ、さすがに泥棒は殺したりはしなかったけどさ。でも、武装した窃盗団とか、飲酒運転の車とか、変わったとこだと『オレオレ詐欺』の一団とかさ」
「何人、殺したの……?」
「三七人。今日で、えーと……五二人か」
数えているのか、と変なところに驚愕してしまいました。てっきり、「駆除した害虫の数なんて覚えていない」などと言うのかと思っていました。
「その内、何人をなかったことにしたの?」
「ほとんどはそうなるよ。こいつらもそうするし、まあ四九人かな。パサラも協力してくれてるし」
この嫌な臭いや音が普通の人には感じ取れないようにしているのだそうです。つまり、今日パサラがわたしたちに見せたがっていたアキナさんの能力活用法とは、この惨状のことなのでした。
「パサラがいいって言ったって、こんなの間違ってるよ!」
「そうか? 小学生の頃もやったじゃないか」
キミちゃんの怒りは明白でしたが、アキナさんは何で怒っているのか分からない、といった感じに見えました。
「あの時はキミヨ、お前が変態に絡まれて怖い思いしたって言うから、あたしがあのクソ野郎をぶちのめしたんじゃないか」
「あの時とは違うよ……。あの時は、ちゃんと警察に……」
「それが間違いなんだよ!」
急にアキナさんは声を荒げ、またすぐにいつもの口調に戻りました。
「捕まったって、あんな連中すぐに出てくるんだ。だから、こうやって殺した方が社会のためにもいい。特に、こうやって半端な力を振りかざして調子に乗ってる輩はな」
「社会のためって、あんたが力振りかざして、社会からはみ出してんじゃない……」
「だったら、どうだって言うんだ?」
キミちゃんはポケットから黄色い宝石のついた鍵を取り出しました。「ホーキー」です。上着をはだけ、ブラウスを少しズラすと左の鎖骨の下に浮かんだ「コーザリティ・サークル」にそれを差し入れました。
黄色の「ディストキーパー」――「トパーズ」に姿を変えると、得物のハンマーをアキナさんに向けました。
「力づくでやめさせてやる!」
「ちょ、ちょっとキミヨ!」
慌てて水島がキミちゃんの肩に手を掛けましたが、払いのけられました。
「ごめん。でもアキナは、自分より強い奴の言うことしか聞かないから……」
「さすが、よく知ってんなあ」
気持ち悪いくらいに、アキナさんは平静でした。どこか楽しそうにすら見えます。
「でも――あたしに勝てると思ってるのか?」
パサラが言うには、「ディストキーパー」の能力は戦いの年季で鍛えられるそうです。アキナさんはわたしたちよりも三か月分多く経験値を持っている上、天才空手少女と呼ばれた女の子です。キミちゃんが勝てるとは到底思えませんでした。
「負けるとしても、やるしかない時はあるでしょ」
それを聞いてやっぱりどこか嬉しそうな声でアキナさんは笑いました。
「キミヨ、だからあたしはお前が好きなんだ」
「あたしはあんたのこと、ちょっと見損なったよ」
手厳しいな、とアキナさんは目を閉じました。
「『人間界』でこれ以上やるのはまずい。裏側に行くぞ」
ビルの裏口に「ホーキー」をかざし、「インガの裏側」への扉を開くと、アキナさんは先に入って行きました。
「ちょ、ちょっと……ホントに止めといた方が……」
「やめるわけにはいかないよ。あいつだって、迷ってるんだ。こんなの、おかしいかもしれないって」
「それって、どういう……」
水島がわたしに救いを求めるような目を向けてきましたが、知るわけがありません。
「もし確信を持ってやってるんだったら、あたしたちにも胸を張って言えるはずさ。協力しろとかさ。そういう奴なんだよ、あたしの知ってる漆間アキナは」
だけどそれをしなかった。トウコさんやオリエ先輩もここにはいませんでした。「他のみんなもやってる」とは言いませんでした。パサラの口ぶりから考えても、アキナさんの独断でしょう。
「誰かが止めてやらなくちゃ……」
その目には強い光が宿っているようでした。キミちゃんはわたしの頭をぽんと一つ撫でてから、「インガの裏側」へと入って行きました。
水島は見苦しくきょろきょろし、今自分が死体に囲まれていることをようやく思い出して、わたしとスミレを引っ張って道路に戻りました。
「もう何なのよこれ! どうかしてんじゃないのアキナは!」
へたりこみながらそう叫び、思い出したように口を押さえました。
「別におかしいことじゃないでしょ」
のんびりとした様子でスミレが言いました。自分が少しでも傷つけば泣くくせに、死体は平気なようでした。ましてや目の前で起こっていることなんて、まったく関係ないと言わんばかりの態度です。
「いいやり方だと思うよ。ボクは賛成だね」
確かに、ここにたむろしていた連中にカツアゲされたりしたという話は、鱶ヶ渕中学でも有名でした。そういうゴミを燃やしただけと考えられなくはないのです。
「そっかー、だよねー、何で気づかなかったのかなあ」
買ってもらったおもちゃのことばかり考えている、誕生日の子どものように、スミレはふらふら繁華街の方へ歩いていきます。
「ちょ、どこに行くのよ!?」
「帰るんだよ。言われた通り、いいものも見れたし」
自分の常識の範疇外にいる思考、自分が何を言っても無駄だ。そう思ったのでしょう、水島はそのままスミレを見送りました。
「ねえ、どうしたらいいのよこれ?」
今度はわたしに矛先を向けてきました。つくづく自分で考えることをしない女です。
「パサラに連絡しよっか? 止めた方がいいのかな? でも、ああ、もう……!」
一人でパニクって、テンパって、頭を抱えてあっちをうろうろ、こっちをうろうろ。何がしたいのやらさっぱり分かりません。
「パサラ……パサラ……!」
三分ぐらい逡巡した後、ようやくテレパシーを使い始めました。
「何なのよアレ……、じゃなくて……、キミヨとアキナが……、そう、うん……、うん……、え? そっか、分かった、やってみる……」
内容は分かりませんが、ともかく方針を決めてもらったようでした。わたしのことを見下して腕をつかんできます。
「ミリカ、聞いて。うん、辛いとは思うけど」
この時のわたしはというと、実は座り込んで泣いていました。死体を見てまず吐きそうになり、事もなげに殺人を語るアキナさんにおののき、色々とないまぜになったものが頬を伝っていました。
キミちゃんと一緒に行くべきだと右足は言い、ここに残るんだと左足は震えます。右手は「助けに行かないとキミちゃんに嫌われるかも」と言い、左手は「キミちゃんに味方したらアキナさんに嫌われるかも」と恐れを口にします。八方美人が二方向から引っ張られて、裂けてしまいそうになる体からこぼれ出た涙でした。
「パサラが言うには、十中八九キミヨが負けるって。下手したら、死んじゃうかもしれないんだって」
死んじゃう。黒焦げの死体が目に浮かびます。あの中にキミちゃんを並べることは出来かねる相談でした。同時に頭のどこかで、アキナさんはそんなことしない、とも思っていました。わたしよりも古い友達なのですから。
しかし――万が一ということもあります。万が一、手加減し損ねて殺してしまったら。
パサラは、キミちゃんをなかったことにするでしょう。死ねばこの世に最初から生まれなかったことになるのが、「ディストキーパー」の掟でした。わたしはパサラに頼んで、忘れないようにしてほしいと言うことでしょう。そして、オリエ先輩の琥珀のように、時々あの心優しい友達のことを取り出しては感傷に浸るのです。
そんなこと、受け入れられるでしょうか。もちろん、答えは「ノー」です。
わたしは水島の顔を見上げました。鼻をすすりあげて、よく見ると水島も泣きそうでした。自分まで泣いたら収拾がつかなくなるから、そんな責任感で涙を封じているようでした。あるいは意地を張っているのかもしれません。
だけどこの憎くて仕方ない女の子が、意地っ張りの水島ランが、今のわたしには心強く映りました。最悪の敵が味方になったら、これほど頼りになるものはないでしょう。
わたしは涙をぬぐって、よろめきながらも立ち上がりました。ポケットを探って「ホーキー」を水島に見せました。
「やるの?」
声を出したらまた涙が出てきそうだったので、首を縦に振りました。
「だよね。……やらなきゃ、だよね」
水島も「ホーキー」を取り出しました。広く出しているその額に、「コーザリティ・サークル」が浮かびます。
わたしは左の太ももに、水島は額に鍵を差し込み回しました。青い髪にスカート、サーベルを腰にさげた「サファイア」の水島に、わたしはうなずきかけました。
「行こうか」
わたしたちの意思は、珍しくも一致していました。動機は違えど、戦いを止めたいということは同じでした。どちらが引っ張るでもなく、並列の関係。
ただ、横に並んで歩いたのは、結局これが最初で最後になったのでした。




