3-2
「パサラが『インガ』いじって何とかしてくれるでしょ」
その夜、わたしはこっそりと家を抜け出て、駅へと向かいました。待ち合わせ場所は繁華街とは駅を挟んで反対側でした。ここに特徴的な銅像があって、その前で待ち合わせるのが、鱶ヶ渕の学生の定番なのだそうです。伝聞調なのはもちろん、わたしがこれまでそんな待ち合わせのできる身分ではなかったからです。
わたしが銅像の前に到着すると、既にキミちゃんと水島の姿がありました。水島が来るのは大いに不服でしたが仕方ないとして――わたしは本人に悟られないように招かれざる四人目に視線を向けました。
「ねえねえ、何の集まりなの?」
「だから、アキナが何かするからって言ってんじゃん」
「その何かって何?」
「分かんないけど、それを見るためにさあ……」
「ねえ、何なの何かって? ねえ?」
そう、何故かスミレがいたのです。塾の帰りだと言っていました。学校に行かなくても、塾には出ているそうです。ハンチング帽をかぶって、何だか男の子みたいな私服でした。
露骨に嫌そうな顔をする水島に、嫌がらせのようにまとわりついています。キミちゃんもちょっと疲れた顔で、助け舟を出す気はないようでした。
(やっぱりミリカをいじめてた、って聞くとさ、あんまり助けたりとかしたくないよね)
そんなことを言ってくれるなんて、とわたしは頬を赤くしました。嬉しくて、それだけで水島がいようがスミレがいようが、どうでもよくなりました。
駅のコンコースを通り抜けて、繁華街の方へ四人で連れ立って歩きました。時刻はすでに九時を回っていて、もう少ししたら補導される危険性が出てきます。一応私服を着てきたので、キミちゃんと水島は何となくおしゃれで「大学生」とでも言い張れる微かな希望がありそうでしたが、わたしとスミレは完全にアウトでした。
「ミリカ、もっと大人っぽい服着てきなよ」
「ご、ごめんなさい……」
相変わらず水島は、わたしの気に障ることばかり言います。最早これは運命的なもので、水島はわたしを嫌な気持ちにするためだけに生まれてきたのではないかと疑ってしまうくらいでした。
「服で何とかなるものでもないと思うよ」
キミちゃんからフォローなのか何なのかよく分からないものが飛んできました。
「まあ妹ってことにしたらよくない?」
あたしミリカの姉で、と後ろから抱きつくようにしてくれたので、前の発言は忘れることにします。
「え、じゃあコレあたしの妹?」
「お姉ちゃん!」
「ウザい……」
純粋な悪意をうめくようにこぼしました。
「最悪、『インガの裏側』に逃げたらいいと思うんだけど」
「それだ!」
わたしの建設的な提案に水島はパンと手を打ちました。
「それって、人から見たら消えたみたいにならない?」
「パサラが『インガ』いじって何とかしてくれるでしょ」
えー駄目だよ、とスミレは眉をひそめます。
「不用意に『インガ』をいじらせて、『ディスト』を発生させるのはよくないって、オリエが言ってたよ。『ディストキーパー』の正義に反するよ」
スミレにしては正論でした。オリエ先輩が新人教育を失敗したのではなくて、スミレ自身の性格が単純にウザいのか、とわたしは妙に納得しました。
「まあ確かにね。でも非常事態だったらいいんじゃない?」
「使用は『控えろ』とは言ってたけど、『禁止』じゃないって今日言ってたし」
「え、そうなんだ!」
意外そうでした。オリエ先輩は「使用禁止」と言っていたのでしょう。その理由は、何となく分かります。スミレはむやみに使いそうな気がしますから。
「そうそう。今から見に行くのも、パサラ公認の『人間界』での能力の使い方だしね」
「なるほど。最初からそう言ってくれたら分かったのに」
説明に正義が足りなかったよランちゃん、と無意味に人をなじるのを忘れないスミレでした。大体水島に正義を説くのが間違いだと、わたしなどは思うのですが。
不意に、ぴりりとした緊張が肌の表面を走りました。「ディスト」が出現した時と同じ感覚でした。ただ、いつもと少し違いました。普段ならば継続してぴりぴりした感覚が続くのですが、今回は数秒で止んだのです。
「どしたのミリカ?」
くっついてくれていたせいか、キミちゃんにも感覚が伝わったようでした。
「うん、何かね、『ディスト』の気配がして……」
「気配とか分かるの?」
風どんだけ万能よ、と水島は呆れのような嘆きのような調子で首を振りました。
「でも、一瞬だったから。違うのかもしれない……」
「誤報とは正義が足りないね」
「あんたそれしかないの?」
「気になるなら、パサラに連絡とって聞いてみる?」
キミちゃんが言ったその時でした。わたしたちの進行方向、つまり繁華街の方から、轟音とともに大きな炎が上がりました。
「何あれ!?」
夜空を一瞬オレンジに染めた炎の色は、次の瞬間には失せていました。周りを歩いていた人たちも、一旦は繁華街の方を向いて立ち止まり、悲鳴さえも上がりましたが、すぐに何事もなかったかのように歩き始めています。
「え? え? 何なのこれ?」
マヌケな感じで辺りを見回す水島に、わたしはぽつりと教えてやりました。
「『インガ』の改変が起こったんだと思う」
「じゃあ、今のって『ディスト』?」
存外にスミレは落ち着いていました。自分が傷つかない限りは平気なようです。
「多分、アキナさんだと思う」
わたしが言うと同時に、キミちゃんはわたしから体を離し、繁華街の方へ走って行きました。その後ろ姿はいつものキミちゃんのはずなのに、とても嫌な予感がしたのを覚えています。
「あたしたちも行こう」
水島に言われるまでもありませんでした。わたしたち三人は、すぐにキミちゃんに追いつきました。というのも、繁華街の方に出たキミちゃんは、どちらに行っていいのか分からず、三叉路できょろきょろしていたのです。
「『ディスト』が『人間界』に出てきたのかな?」
「可能性はあるかも」
キミちゃんは緊張した顔でうなずきました。
「で、どっちから上がってたっけ?」
こんなに早く『インガ』が改変されていなければ、人の流れなんかで推測できたでしょう。まるで待っていたかのような早さでした。
わたしは意識を集中させました。さっき感じた「ディスト」の気配。もうアキナさんが倒してしまったかもしれないけれど、それでも手がかりぐらいは……。
ふわりとわたしのクセ毛が舞い上がるのを感じました。集中し過ぎて風を集めてしまったようです。変身せずともできたことに驚きつつも、風を鎮めようとして、鼻腔をつく嫌な臭いに気が付きました。この辺りは飲み屋さんも多いのですが、お酒やタバコのにおいとも違うようでした。かいだことのない嫌な臭いでした。
それが漂ってくる方向に何かある。確信めいた予感を頼りに、わたしは「こっち」と繁華街の奥を指しました。
「分かるの?」
「多分」
キミちゃんを先頭に、わたしは後ろから行先を指示していきました。店の立ち並ぶ大通りから入り組んだ路地に入って、やってきたのは繁華街の向こう、街灯の少ない辺りでした。人通りもほとんどなく、何となく居心地の悪いような気がする場所でした。
「この辺って、なんか不良のたまり場みたいなとこでしょ?」
水島が身を固くしながら辺りを見回します。分からなくもないですが、何を言っているんだという気にもなります。何故なら――
「『ディスト』みたいな怪物と戦ってるのに、不良が怖いの?」
最悪です。スミレと同じことを思ってしまいました。
「怖いに決まってんでしょうが。変身して相手するわけにもいかないんだし」
「まあ、そりゃそうだよね」
キミちゃんはうなずきましたが、わたしだったら変身して飛んで逃げるな、と算段をつけました。もし絡まれたら、二人を抱えるのが限界なのでキミちゃんと、まあしょうがないから水島を助けましょう。スミレは不良が怖くないようなので。
「にしても、嫌な臭いしない?」
水島の言う通り、例の臭いが強くなっていました。
「この臭いを辿ってきたの」
「それ何か意味あったの?」
「ごめんなさい、何となくこっちな気がしただけで……」
ちょっと強い口調でキミちゃんに言われて、わたしは反射的に謝ってしまいました。キミちゃんがアキナさんを心配しているから少し強い口調になったのだとは分かりましたが、逆にそれが嫌でした。これが嫉妬というものでしょうか。
「で、臭いはどっちから来てんの?」
水島が横から入ってきました。何だか助けられたみたいな気がしてしゃくでしたが、わたしは背の低いビルとビルの間を指しました。奥は細長い路地になっているようです。
キミちゃんが先頭に立って、わたしたちは路地に入ります。するとすぐに、その光景が目に飛び込んできました。




