2-8
「これを守ってるんだよ、あたしたち」
『恐らくは、改変の弊害だろうね』
翌日、わたしはパサラを呼び出して、水島のことについて相談しました。パサラが言うには、稀にある症例なのだそうです。
『改変前の記憶が染みついているんだろうね。元々ミリカとランの「最初の改変」は重なっている部分があった。その辺りが原因だろう』
「わたしにも、そういうことあるんですか?」
『いや、ミリカは大丈夫だと思うよ』
鼻をひくつかせてパサラは言います。わたしが改変前の記憶をすべて抱えているから、そういった自己矛盾には陥らないのだそうです。
『ともあれ、ランは心配だね。もう少し弄ってみた方がよさそうだ』
「弄ってみて、余計に悪くなったりして……」
『可能性はなくはないけど、ミリカも故なく憎まれるのは嫌だろう?』
わたしが憎む理由はあるけど、と言いかけてそれを飲み込みました。そんなことは口に出す必要がないのです。
「じゃあ、お願いします……」
パサラが帰ったのと入れ違いに、わたしの部屋にキミちゃんが入ってきました。チャイムも何もなかったので、わたしは悲鳴を上げそうになりました。
「ごめんごめん、お土産渡そうと思ってさ」
ほら、とキミちゃんはマカダミアナッツのチョコレートをくれました。ハワイへ行っていて、今帰ってきたのだそうです。
「『インガの裏側』通ってきたんだ。早めに会っておきたくてね」
変身を解いたキミちゃんに、わたしはベッドに座るよう勧めました。そうして改めて向き合ってみて、自分の家に友達を招くのが小学校低学年の時以来であることに気付き、わたしはどぎまぎしました。
「何か昨日は大変だったんだって? アキナやランとかのとこも回って来たよ」
お土産というよりかは、お詫びの品なのだそうです。
「ごめんね。でも、どうしても父さんが行こうって言うからさ……」
「あ、うん、そんな、いいよ。結果的には勝てたし……」
ただ、このお休みでもない時期に、突発的に家族旅行が企画された理由は気になりました。小さい会社の社長の娘さんということはアキナさんから聞きましたが、よく考えたらわたしはキミちゃんのことを何も知りませんでした。
「毎年さ、正月に行ってたんだけど、最近はうちの会社業績悪くて……」
小さい建設会社なのだそうです。近頃は「ジュチュウ」というのが減って、傾きかけていたのだそうです。
「でも最近上向いててさ、それで父さんも機嫌よくて、『正月行けなかった分行くぞ』って。それで、学校も休んじゃったけどね、でも家族みんな嬉しそうでさ」
「よかったね」
何だか照れくさそうな、誇らしそうな顔をするので、わたしも同じ気持ちになりました。
「まあ、その……あたしの『最初の改変』で業績上げてもらったんだけどね」
なるほどね、と何だか納得してしまいました。それはとてもキミちゃんらしい理由に思えました。キミちゃんが、わたしや水島ランのように誰かを傷つける願いをするとは考えたくなかったので、ホッとしたというのもあります。
同時に、自分の罪深さが際立って感じられました。わたしにだって、そういう褒められるような改変をすることもできたのに、どうにも恨みつらみだけで動いてしまったのが恥ずかしくなりました。だからと言って、あの場面でそれ以外の改変ができたかと言えば、それも違うのですが。
「あんまり人に言わないでね。何か、俗っぽいっていうか、そう思うし」
「そんなことないよ! すごいよ、キミちゃんはやっぱり……」
わたしなんて、絶対に人には言えない「最初の改変」だというのに。昔クラスのイケニエだったことは話せても、わたしが「消して終わらせた」のだとは言えませんでした。全部水島ランに罪をかぶせていたのです。そのことに後ろめたさは感じませんでしたが、キミちゃんに対する申し訳なさはありました。
「すごいかな? 父さんの会社がつぶれたら、高校も行けないかもだし……。ま、自分のためだよ」
それから、色んな話をしました。お土産のチョコレートを一緒に食べて、ハワイの話も聞きました。学校の話も聞いてもらいました。何だか当たり前に友達がいるのが、わたしには新鮮で、キミちゃんに帰ってほしくないとすら思いました。
「そろそろ帰ろうかな」
時計を見て、ぽつりとキミちゃんが言いました。確かに九時を回ったところで、そろそろ中学二年生には遅い時間でした。
「……じゃあ、送るよ」
わたしは自分の気持ちを押し殺して、「ホーキー」を取り出しました。
「前に約束したでしょ? 一緒に飛ぼうって」
「お、いいね。じゃあ、街の上一周ぐらいしてよ」
真っ直ぐ帰らないのか、とわたしは嬉しくなりました。
「インガの裏側」でないところを飛ぶのは、これが初めてでした。パサラの言うところの「人間界」は、風が吹いていてわたしはいつもより簡単に風を集められました。
部屋の窓から出て、マンションの屋上を見下す位置まで上昇すると、夜の鱶ヶ渕がぐるりと見渡せました。抱えているキミちゃんが小さく歓声を上げます。
「わ……!」
わたしたちの住んでいる住宅街から南に行けば大きな駅があって、その周りはネオンや窓から漏れる光で明るく見えました。更に向こうには海が広がっていて、その上に架かる大きな橋を自動車が行き来しています。
夜の薄い青色の下には、確かな色彩が透けていて、人の明かりがそれを照らし、宝石のように輝いて見えました。
わたしはふと、パサラが語った宝石の袋の話を思い出しました。この街全体が大きな「宝石袋」のように思えました。
「これを守ってるんだよ、あたしたち」
わたしは「そうだよね」とうなずいて、キミちゃんを抱えて飛びました。学校を見下し、雲を抜け、ビルの上をかすめ、海の上を撫で、また街の中に戻りました。
何が来ても大丈夫なんだ、と根拠もなく思えました。心の奥から何でもできるような気が湧いてきて、それを否定する声も聞こえませんでした。




