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[7] 利害が一致する限り

 一夜明け、地平線からは太陽が昇り始めていた。

 半壊状態の館が血を浴びたように赤く照らされている。

 その隣にずらりと並んだ、食料庫という名の牢屋に閉じ込められていた囚人たちは檻越しに喜び合った。主人の気配を感じなくなったことで、何者かが倒してくれたに違いないと察したのである。

 もう、ひたひたと歩み寄る死に怯えなくてもよいのだ。

 誰もがそう思ったことだろう。

 初めは。


「見ろよ」

 と、鼻の詰まった声が注意を促した。

「〈竜の対話者〉だ」


「館から生きて戻ってきた……唯一の……」


「あいつはオレの牢屋の前で、兵士をぶった斬ったんだ。あれを見て、信じたよ。あいつらの頭領もやっつけてくれるって」


「ちょいと落ち着きなさいな。まだ分かりませんよ。連中の仲間になったのかもしれないじゃないですか」


 囁き声が『彼』を出迎えた。

 ここを脱出したときにはボロ布を纏っていたが、今は違う。革の衣服に着替えた上に、右腕を甲冑で覆っている。

 奇妙なことに、鎧は硬質化した皮膚のように癒着していた。衣服を脱ごうとすれば、肩口から引き千切らなければならないだろう。

 もっとも、〈奈落〉においては服を脱ぐ必要性などない。余計な心配だった。

 逆手に引っ提げた大剣が朝日を受けて輝く。風に吹きつけられた土埃は付着することなく、さらさらと流れ落ちていった。

 その切っ先を、食料庫の囚人たちはごくりと喉を鳴らして見守った。今度は自分たちに向けられるのだろうか、と。


『彼』の横に、少女が並んでいる。

 幼い容姿から推測するに、十代半ばも達していないだろう。

 その割には老人をイメージした口調で、囚人全員の耳に届くように声を張り上げるのである。


「さあて、こやつらはどうするんじゃ? 折角じゃし、一人ずつ喰ってしまうかネ?」


 食料庫にどっと緊張が走る。

 ある者は、部屋の片隅にうずくまる。ある者は、牙を剥き出しにした。

 そんな反応をざっと眺め回し、『彼』はゆっくりと口を開いた。


「いや、解放しよう」


 誰もが予想だにしない一言だった。

 当然、少女も怪訝そうな顔を浮かべる。


「……善人ぶるつもりじゃあるまいナ?」


「そうじゃない。今となっちゃ、こいつらを喰ったところで足しにならないんだ」


「ふむ……ワシとしては得物を生成するに十分なんじゃがナ。ま、おヌシがそう言うのであれば、こやつらに手出しはするまい」


 命の恩人殿に感謝するんじゃゾ、少女が近くの檻をどんどんと叩く。

 その波紋は他の牢屋にも広がっていったようだった。

 格子戸はカンヌキで閉ざされているだけだ。自由の身となった一人――人間ではなくても言葉を喋れる。『彼』にとっては人だった――が隣の牢屋を開けてやると、次々に囚人たちが外に溢れた。

 その様子を眺めながら、『彼』は少女に話しかける。


「徹夜だな」


「うむ?」


「休んだほうがいいんじゃないか、お互いに」


「……あー、おヌシはまだ知らないんじゃのう」

 少女は複雑そうに笑った。

「目はばっちり冴えとるじゃろ。それに、腹も減っとらん。どうじゃ?」


「確かに、そうかもな」


『彼』は未だに戦闘の興奮が冷めてはいない。空腹を覚えないのも当然で、あのウシを喰らったおかげだ。

 それは少女も同じかと思われたが、その口振りからするとどうも違うらしい。

 そういえば、少女が妙な言葉を口にしていた。

〈奈落〉で眠りこけた物の二人目とかなんとか――。


「ほれ、ワシらは死人じゃから、食欲・性欲・睡眠欲は芽生えないというワケじゃヨ。巷では、神々が取り上げた、なんて話じゃが」


「……巷、か」


「うむ。誰もが会ってもいない神を語りたがる。そういうもんじゃ」


「だけど、疲労は感じるだろ?」


「こうして姿を保ってるだけで、〈エッセンス〉を消耗しとるからじゃナ」


『彼』にとっては初耳だった。

 もし、竜と遭遇せず、他の魂たちからも逃げ続けていたら、文字通り身体が擦り減っていたのか。

 少女から聞き出せてよかった、と安堵するよりも先に、怒りを覚えた。


「あの腐れ天使め。逃げ回るだけでもいい、だなんて、嘘を吹き込みやがって……」

 死人に希望を与えておいて誘った先が絶望では、空を飛べると煽って谷底に突き落とすも同然だ。しかし、『彼』は感情のやり場を見つけることができずに息をつく。

「迎えが来るまでせっせと働くしかないか」


「そういうワケで、じゃ」

 少女は声量を落とし、密談を『彼』に持ちかけようとした。

「おヌシにその気があれば――」


「あ、あの!」


 そのとき、二人の会話を割って入る者がいた。

 囚人であったブタだ。『彼』の知っている動物そのままで、どうやってあの石室を抜けたのかは疑問である。しかし、どんな動物でも、少なからず凶暴性を秘めている。この者もまた例外ではないのだろう。

 ブタは引きつるような呼吸を繰り返しながら続けた。


「〈対話者〉様、我々をお導きください!」


「……あ?」


 急な話に驚いた『彼』は、いつの間にか自分たちの後ろに囚人たちが集まっていることに気がついた。

 みな、口々に「〈対話者〉様!」「おお、我らがリーダー!」などと叫んでいる。

 新たな群れが生まれつつあったのだ。


「ついてくる分には別に構わないが……」


 熱狂に気圧されて頷く『彼』に対し、少女は力なく首を横に振るのだった。

「ワシは同行せんゾ」


「どうして」


「おヌシはともかく、他の者は信用できん。独りのほうが気楽じゃ」


「そうか……」

 表情に落胆の色を浮かべた後で、『彼』はぎこちなく笑う。何をがっかりしているのだろう。館の主人を倒すために手を組んだだけではないか。

「残念だよ」


「実を言えば、ワシもじゃ」

 少女ははにかんで、『彼』に背を向けた。

「ま、お互い、生きていればどこかでまた会うじゃろ」


「そうだな」

 という『彼』の返事を聞かないまま、少女はその場を後にした。

 小さな背中が消えるまで見送ってから、『彼』は従者たちに振り返った。

 さて、どうまとめたものか。

 そもそも、まとめる必要もないのではなかろうか。

 数に物を言わせて、孤立した魂を喰らえば――




 ある夜、先頭を歩く『彼』に最後列から追いかけてくる者たちがいた。

 二人組で、その手にはクマの腋と足を抱えている。


「……どうしたんだ?」


「群れの平和を乱すヤツですよ」

 足を持つ者がぺっと唾を吐いた。

「弱き者を喰おうとしたんです。仲間を、ですよ! だから、我々が始末しました。こいつの魂はあなた様に捧げます」


「俺はいい」


「で、では、私たちが喰っても?」


「そうすればいいんじゃないか」


「ありがとうございます!」

 と、彼らは嬉々として後列に死体を持ち帰った。




 夜が明けて、列の真ん中から出てきたある者が『彼』に声をかけた。


「あの、ご報告が」


「あん?」


「昨晩のクマの配分で、後列の者たちが揉めておりました。放っておいたところ、お互いに喰い始めたのです。その挙句、生き残った者が凶暴化し、我々に襲いかかってきましたので応戦しました」


「で、そいつらはどうしたんだ?」


「はっ、我々が喰いました!」




 二日ほど経った頃、集団は元いた数の四分の一ほどにまで減っていた。

 前列から、『彼』に意見を述べる者が現れた。


「〈対話者〉様、不公平ですよ」


「……今度はなんだ?」


「後ろのヤツらばっか、他の連中を喰らっているじゃないですか」


「分かったよ。みんなで平等に分配するように伝える」


「ありがとうございます。それと、事後報告になるんですが、喰いそびれた分を後ろのヤツらから取り上げましたよ」


「取り上げたって、喰った後なんだろ?」


「ですから、そいつを俺たちが喰ったんです」




 日が落ちる間際、『彼』は囲まれていた。

 敵はどれも見覚えのある顔だった。ついさっきまで、従っていたはずの者たちである。各々、爪や牙、あるいは武器を光らせて、じりじりと迫る。


「〈対話者〉様、私たちゃ、よく考えてみたんだがね」


「ああ」


「みんなであんたを喰っちまうことにしたんだ。そうしたら、あんたみたいな力が手に入る。もう怖い物知らずさ」


「俺に勝てるとでも? お前たちなら、剣をぶん回せば片が付く」

 落ち着き払った態度で、『彼』はぐるりと睨みつけた。そして、わざとらしく呟くのである。

「いや、待てよ。もしかしたら、誰かがこの場にいる全員の魂を喰らったら、さすがに太刀打ちできないかもなあ。今のうちに始末するかねえ……」


 たった一人に集められたはずの敵意が、呆気なく分散される。

 誰が『彼』と戦うのか。決まっている、自分だ。

 無言の主張を隣人と交換し合う間に、日が完全に落ちた。一瞬の闇が訪れる。場を支配していた緊張は限界を迎えて、空気を入れ過ぎた風船のようにぱちんと弾けた。

 動物たちは勝手に殺し合いを始めたのである。

 やがて、生き残ったのはワニだった。

 邪魔者は全員、腹に収めた。後は、〈竜の対話者〉を喰らうだけ――

 欲望をぎらつかせて振り返ると、すぐ背後に『彼』が音もなく立っていた。

 今まさに、大剣を振り下ろすところだった。




〈奈落〉の月明かりが旅人を照らし出す。

 大剣をずるずると引きずりながら荒野を彷徨う姿は、幽鬼を思わせる。

 そんな『彼』を、幼い声が呼び止めた。


「なんじゃ、独りかネ」


 声の主は岩の上に腰かけていた。長髪の少女だ。毛織物の外套を纏い、その内側に手を隠している。短剣を握っているのだろう。

 深緑の瞳をぱちくりと瞬かせながら、笑みを浮かべていた。


「あやつらはどうしたのじゃ?」


「随分前に色々とあって――」


「喰ったんじゃナ?」


「ああ、そんなところだ」

 いつだったか、自分に報告に来た者たちを思い出すように、『彼』は空を仰いだ。

「俺にはまとめ役なんて無理だな」


 そのぼやきがあまりにもしみじみとしていたからか、

「わはは!」

 少女は大声を上げて笑った。


「……そんなにおかしいか?」


「おかしいとも! 大体じゃナ、自分自身についても満足に知らぬ者が、他者を率いることなど無理に決まっとるじゃろ!」


「さてはお前、こうなるって分かっていたな?」


「まあ、予想はついとったヨ」

 身軽に岩から飛び降りて、ゆっくりと『彼』に歩み寄る。

「さあて、改めて相談するかノ。幸い、この〈奈落〉のシステムはピラミッドの頂点を決めるものではない。そこでじゃ――」


「利害が一致する限りは協力し合おう、って話か」


「物分かりのよい男じゃナ。ま、一つ、よろしく頼むワ」


 まったく、と『彼』は肩から力を抜くのだった。

 上下関係はもうたくさんだ。せめて、この少女とは対等に――そう願っても、二人以上の集団には、どうしたって序列が発生する。

 現に、ほら、少女は『彼』の一歩先を歩み、こう命じるのだ。


「向こうへ行くゾ」


「何かあるのか?」


「さあナ。ただの思いつきじゃ。なんじゃってよいではないか。アテもないんじゃし」


「……仰せのままに」


 しかし、徒労感とは無縁の二人旅になるだろう。

 そんな予感があった。

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