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[19] 名前

 蒸し暑い夏の夕方、ありふれた日常の出来事である。

 屋台が並ぶ神社参道の脇で、彼女は携帯電話を耳に当てたまま固まっていた。


「待ち合わせに来れないって――なんで?」


 それがさー、昨日付き合い始めたカレがデートしよって誘ってきてさー、他校の男子だから二人だけの時間って大事にしたいじゃん?

 罪悪感の欠片もない友人に、少女は買ったばかりの端末を握り潰しそうになる。たまに男の声が紛れ込んでは、幸せ絶頂な笑い声を送ってくるのだ。

 というわけでさー、悪いけど他の人とさー。


「ええい、こちとら、とっくに待ち合わせ場所に来とるワ!」


 祭りの喧騒に負けない怒鳴り声をマイクに吹き込んでやる。

 何人かがこちらを振り向いたが、全身から漂わせる不穏なオーラに目を逸らして去った。


 年に一度のイベントだ。適当に屋台で食べ物を買い漁り、数時間後に控える花火大会を楽しむ。

 そのために浴衣まで着てきたというのに、

「あんの、裏切り者め……!」

 どうせ自分はお一人様だ。

 こうなったらヤケ食いでもして、家に帰って、不貞寝しよう。

「うむうむ」

 腕組みで頷き、参道に戻る。


 幸い、彼女の空腹を誘う焼き物の匂いが充満している。

 さあて、何から食ってやろうかノ。

 一人でしめしめと笑う彼女は不気味である。しかし、誰も彼女の顔を見てはいない。大抵の人間が家族や友人、あるいは恋人と一緒に歩いていた。

 祭りを孤独に楽しもうとしているのは、自分しかいないだろう。

 折角の美少女顔を膨らませていると、視界の端に憎ったらしい笑みが映った。


「うん?」


 射的屋の棚に並べられた大きなぬいぐるみである。

 白袈裟の天使だ。

 じっくり見れば見るほど、無性に張り倒したくなる。ただただストレス解消のために欲しい。後でくだらない使い道だったと反省しそうだが――


「おじさん、一回ね」


「あいよ」


 五百円硬貨と引き換えに、空気銃とコルク栓五つが渡される。

 大抵の場合、大きな景品は人為的要因によって簡単に取れないようになっているのだが、彼女はそんなことに気づきもせず、一発、二発と消耗する。弾は見当違いの場所にすっ飛んで、屋台の垂れ幕を揺らした。

 輪投げなら得意なんだけどなあ。

 三、四発目はぬいぐるみに掠った。

 少しずつコツを掴んできた。要は最後の一発で決めればいいのだ。

 少女が引き金にかけた指へ力を加えようとした、そのときだ。


「カノジョと行くって、どういうことだよ!?」


 少年の怒声に驚き、照準がぶれた状態で発砲してしまう。コルク栓は偶然にもキャラメル箱に命中し、棚から落とした。


「お、やったな」


 店主が愛想のいい顔で景品を手渡す。

 昔からデザインの変わらないキャラメルだ。幼稚園児の頃に食べて以来だった。


「むう……」


 声の主は、自分と年の近そうな少年だ。携帯電話片手に詰問している。

「だって、お前、カノジョなんていなかっただろ。……昨日できた? 他校の女子? 部活で知り合った?」

 彼は耳から携帯電話を離し、液晶画面を睨み、そして一言、

「爆ぜてしまえ!」

 叫んで通話を切るのだった。


 妙に親近感の湧く会話である。親近感どころか、奇跡的に偶然が重なっている。横顔をじっと見つめていると、彼が「ん?」と振り向いた。

「あ、すみません。こっちの話でちょっと……」

 恥ずかしそうに頭を下げ踵を返す。


 声をかけないと。

 誰かに背中を押されたような気がして、少女は彼を呼び止めた。

「待つがよい、少年」


「……え?」


 無意識だった。

 ろくに見てもいない時代劇の影響を受けたらしい口調で、知らない人に話しかけてしまう。

 当然、彼は複雑な表情を浮かべている。

 恥ずかしい思いをしたのはこれでお互い様だ。前向きに開き直った少女は言葉遣いを戻して尋ねる。


「あなたの友達ってもしかしてこの人?」

 自分の携帯に、友人から送られてきたツーショットの画像を表示させて見せる。


 訝しみながらも覗き込んだ彼は、「ああ!」と目を見開いた。

「こいつこいつ! ……って、なんでお前――いや、きみが知っているんだ? まさかあいつ、ネットに上げていたりしないよな」

 真剣に心配しているようだ。


 少女は画像を指差した。

「私、こっちの友達。お祭りに行こうって約束してたけど、すっぽかされた被害者その二ってとこ」


「ああ……」

 彼は納得してくれたらしい。どころか、憐れみが込められた視線を向けるのである。

「で、一人で遊んでいたのか」


「さ、寂しくなんかないゾ」


「……いや、俺も適当に屋台を回って帰ろうと思っていたところだ。笑えたもんじゃないな」

 彼は肩から力を抜き、射的屋を覗き込んだ。

「何か当たったか?」


「これ」


 手のひらの小さなキャラメル箱に、彼は吹き出す。

「甘い物が食いたかったのか?」


「……あんたの大声に驚いたせいで、外れちゃったの!」


「それは、すまなかった」

 笑いを噛み殺しながら、彼は棚の景品を眺める。

「何を狙っていたんだ?」


「あのぬいぐるみ」


「うわ、なんだあの可愛くないの」

 と、彼は「あ」と呻いた。

「すまん。趣味は人それぞれだよな」


「私だって別に可愛くて欲しかったんじゃないの。――そうだ!」

 手のひらを叩き、財布の中身を確かめる。まだまだ五百円玉で膨らんでいた。

「ね、勝負しない? 大きな景品を落としたほうが勝ちってルールで」


「俺、やったことないんだが……ま、いいか」

 少女が硬貨を台に乗せるより先に、彼が「二人分」と千円札を店主に渡した。

「驚かせた詫びに」


「え、ええじゃろ」

 また口癖が出てしまった。動揺のあまり顔を逸らし、自問するのだ。何に動揺したのだろう。屋台の赤い光が彼女の顔を照らす。


「ほら」


 彼に差し出された空気銃を受け取り、コルク栓を詰めて構える。

 先ほどと同じ要領で、一番大きな景品である天使を狙う。ぽん、と発射された弾は天使の眉間に命中したが、びくりともしない。


「……む」


 なんか変じゃゾ。

 そもそも軽いコルク栓で、あれだけの物を落とせるのだろうか。


「へえ、うまいもんだな」

 称賛を送りながらも、彼は他の景品を狙った。まるで映画の若い殺し屋風な目つきである。しかし、腕はぽんこつ、コルク栓は景品の間をすり抜けて後ろに落ちた。

「勝負の前に練習しとけばよかったか」


 そうぼやいて振り向いた彼と、目が合う。

 慌てて銃を構え、心が乱れたまま引き金を引いた。

 がちり、と機構音はしたのに、弾が発射されない。


「……弾、詰め忘れているぞ」


「わ、わあっ!」


 ただでさえ落ち着かないのに、頭まで真っ白になる。一回目と同じようにやればいいものを、狙いが全く定まらない。そのまま銃を撃ったところで当たるはずがなかった。


「前言撤回。ど下手だな」


「う、うるさい。人のこと言えないでしょ!」


 二人はしばし睨み合い、競って銃を乱射した。数少ない残弾があっという間に尽き、結局のところ、景品はゼロだった。


「引き分けか」

 彼は苦笑いを浮かべ、銃をカウンターに置いた。

「ぬいぐるみ、落とせなくて残念だったな」


「そんなに欲しいってワケじゃないし」


 何故欲しかったのかも思い出せない。友人のデートを妬んでいたこともすっかり忘れていた。

 それよりも今、少女が気になっているのは目の前の彼だ。


「じゃ、俺は帰るとするかな」

 それから小声で、付け足す。

「千円札の尊い犠牲で、女の子と祭りを楽しんだ、って体裁は整えられたし」

 彼にカノジョはいない。つまり、ハードルはないも同然だ。後は少女が勇気を出すだけだった。


「待つんじゃ」

 その腕を掴んで引き留める。

「失うばかりでないゾ。ワシはおヌシと出会えて実に幸運じゃった」


「……――」


「つまり、その、一緒に花火大会に行ってさ、友達を驚かせない? ……なんて」


 花火大会まで、数時間。

 それまで屋台を回らないか、と提案しているのだ。

 いや、もちろん彼にも好みというものはあるだろう。きっと断られるに違いない。傷を作る前に冗談で済ませておこう。


 だが、彼はさほど悩まずに、それでいて視線を泳がせながら答えた。

「い、いいぞ」


 心の中で、もう一人の自分、ガッツポーズを取る。会ったばかりの男とデート、というと些か警戒心がなさすぎる気もするが、考えようによっては数々の偶然が生んだ運命の出会いである。

 運命。

 そんな乙女チックな。

 意識すればするほど、頭から湯気が立ち昇りそうだった。


 彼が携帯電話の画面を確認する。

「まだ時間があるな。……とりあえず、何か食うか」


「う、うむ」


 二人は人の流れに戻り、腕と腕の触れ合う距離で並んで歩く。

 少女はふと思い出して、自分より背の高い彼を見上げた。


「まだ名前訊いてなかったよね」


「そういや、そうだったな」

 そして、彼は笑う。

「俺は――」




〈了〉

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