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[18] 一介の魂ごときが

「ぱんぱかぱーん!」


 エレベーターを降りるなり鼓膜をつんざく破裂音に、『彼』は身構えた。

 大理石の廊下に、色とりどりの紙屑が舞う。パーティーに使うクラッカーを手にしていたのは、純白の袈裟を纏う幼児――天使である。


「〈奈落〉勤め、お疲れ様です! いやあ、ここからずっと観戦――ごほん、応援していましたよ。おかげ様で同僚との賭けに大勝です! ……あ、もちろん、私たちは魂みなが生き残ることを、平等に願っていますよ? でも、弱肉強食の世界ですから、そううまくはいきませんよねェ」


 べらべらと喋り散らす天使が鬱陶しいこと、この上ない。

『彼』の沈黙に、天使は「はっ」と大げさに息を呑んだ。


「すす、すみません! そんな場所でお待たせしちゃって。早く来世に生まれ変わりたいですよね。もちろん! お約束通り! 順番待ちの一番に回してあげます!」

 天使が「ささ、こちらへ」と手招きしたのは、木の机だ。羊皮紙と羽ペン、インクが用意してある。

 机に合わせた高いイスに、天使は「よいしょ」とよじ登った。

「それじゃ早速、来世の人生設計を始めましょうか。大きな願いは相応の〈エッセンス〉を費やしますが、ま、あなたでしたらなんでも叶えられるでしょう。希望はありますか?」


『彼』は短く問い質す。

「……俺を見下ろしていたのなら分かるはずだ」


「なんの話です?」


「とぼけるな!」

 怒りに任せて石柱を殴る。見事な彫刻が砕け、真っ二つにへし折れた。

 ペンを持つ手をびくりと震わせる天使に、『彼』はなおも叫んだ。

「来世に何を望んで〈奈落〉に行ったか、思い出せないんだよ!」


「……た、たまにいるんですよねえ」

 天使の下卑た笑みが引くつく。

「ほら、こんな話をご存知です? 色んな絵の具を混ぜると、黒っぽい色になるって。まさにあなたの状態です。ご愁傷様」


「くそッ!」

 ひとしきり喚いたところで、『彼』は机を壊さぬように手をついた。

「で、俺はどうすればいいんだ!」


「仕方ありません。こちらで来世を決めちゃいますよ。あなたの前世はヒトですし、来世もヒトで。余った〈エッセンス〉は回収します。たった今、破壊した柱も修理しないといけませんし。構いませんね。はい、決まり」


 天使は羊皮紙にペンを走らせる。『彼』には読めない文字でたった一行。そして一番下にサインを記し、大きな判子を押しつける。


「さ、拇印をお願いします」

 こちらに朱肉を差し出した天使は、『彼』の呆け顔に首を傾げた。

「どうかしました?」


「……俺が壊した柱、〈エッセンス〉を使って直せるのか」


「ええ。ちょちょいのちょいですよ」


「つまり」

『彼』の目に光が宿る。上に向けた手のひらから汚泥の雫が浮き上がり、黒い刃の大剣を形成した。

〈奈落〉でなくとも、武器を呼び出せる。

 ここにある物も全て〈エッセンス〉でできているのだから、呼び出せないはずがない。

 ならば――

「〈奈落〉と変わらないんだな」


「な、何するつもりですかァ!?」

 天使は『彼』から逃げようとして、イスごと引っくり返った。尻餅をついたまま、じりじりと後ずさる。


 以前の態度はどうした。

『彼』は薄ら笑いを浮かべる。

 それは力に取り憑かれた狂人の表情ではない。決意に満ちた眼差しである。

 竜が〈奈落〉の王となった後も力を蓄え続けた理由――

 確証はないが、これから『彼』がやろうとしているのと同じ反逆を企てていたのだろう。


「さっきから変だと思っていたんだよ。エレベーターや柱は壊せるし、お前は俺をさっさと来世に送りたがっている。一体、何を恐れているんだ?」


「い、いえ、私はただ、自分の職務を遂行しようと――」


「嘘をつけ!」

 剣を振り下ろす。研ぎ澄まされた刃が閃いた数秒後に、机は真っ二つとなって足を崩した。

 躓きながら逃げる天使を、落ち着いた足取りで追う。

「お前は俺たちをゲームの駒程度にしか考えていないだろう! 賭け、だ? 俺たちは自分の魂を賭けて戦っていたんだ。それを……ここから……〈奈落〉と何も変わらないここから……」


 手にした大剣を投げる。〈暴風〉は弧を描く軌道で石柱を巻き込みながら、天使の行く手に突き刺さった。


「うう……」

 天使が青ざめた顔で背後を振り向く。が、視線の先に『彼』はいない。


 足音は正面からだ。

 大剣の柄を右手が掴んでいる。断面の見える手首から腕が生え、胴が現れ、頭を出し、そして二本足が大理石を踏み砕いたのである。

 突き出した左手が天使の小さな頭を掴み、軽々と持ち上げた。


 既に幼い目は焦点を失っている。恐怖に失禁していた。

「お、お助けください……」


「死にたくないなら道を教えろ」


「道、ですか?」


「神々とやらはどこにいる」


 恐れを知らない尋問に、天使は両手両足をばたばたと動かした。

「そ、そんなの教えられませんよォ!」


「じゃあ、今すぐ消えてもらう。多少遠回りになっても、俺は神を探し出すぞ」


 握力を強めたときだ。ついに天使は散々足蹴にした魂に屈服し、泣き喚くのである。

「あっち! あっちです!」


「その調子だ」

『彼』は既に天使をランプや道標程度にしか考えていない。左手に小さな体をぶら下げたまま、震える指が示す方向へと進む。


 かつて、『彼』の意識が目覚めたとき、この廊下の重苦しい空気に圧倒されたことを思い出す。

 今となっては何もかもが虚飾にしか思えなかった。

 その上に居座る神々とやらを一目見たい。来世への希望を失った『彼』の、唯一の望みである。自分たちに生存競争を強要したのだ。さぞ聖人君子なのだろう。


 いくつかの角を曲がった際の階段を上ると、巨大な扉と、白銀の鎧を身に着けた二人の衛兵を見つける。


「あの先だな?」


 天使が答えるよりも先に、

「貴様、何者だ! この先におわす方々をどなたと心得て――」

 衛兵が槍を掲げた。


 その体が『彼』の剣によって両断されていることにはまだ気がついていないらしい。白い血飛沫を上げて倒れる衛兵を見下ろし、『彼』は無感情に答える。

「今から確かめるんだよ」

 そして、扉を乱暴に蹴った。


 青い火のシャンデリアに照らされて、眩しい空間が広がっている。

 大理石の硬質を踏んでいた足が、赤いカーペットの柔らかい毛に沈む。

 優雅なクラシック調の音楽と、テーブルに並べられた異様に生臭い料理、そして、和やかな談笑。

 ワイングラス片手に立っているのは、白袈裟を着た様々な動物である。もちろん、中にはヒトの姿もあった。


 こいつらが神々か。

 広間に乱入してきた黒い化け物に、神々は一斉に息を呑む。誰一人として武器を構える者はいない。

 平和ボケしてる連中だな。


「お、お逃げ……」


 掠れ声を出す天使の耳元で、『彼』は囁く。

「正直に答えるんだ。こいつらは魂を循環させるのに何か貢献しているのか?」


「神々は……私たちに全ての仕事を任されている……〈奈落〉でのゲームは神々が発案された……」


「つまり、こいつらはもう必要ないってワケだ」

 天使をテーブルに放り投げる。料理や燭台を巻き添えに、天使はカーペットに転がった。

 誰かが今さら悲鳴を上げた。

「失礼」

『彼』は肩を竦め、大剣の切っ先を突きつける。

「生憎と名乗る名は持たないが、俺もパーティーに混ぜてくれないか。ちょうど腹が減っているんだ」


「や、やめろ! 一介の魂ごときが神々を手にかけていいと思ってんのかァ!?」

 天使のごますり顔が崩れ、その下から本性を現した。だが、抵抗する術を持たない。


『彼』が大剣を振るう。刃が生み出す〈暴風〉の一薙ぎに、神々と呼ばれる木偶人形たちは宙へと舞い上げられた。

 神々の体に血は流れていないらしい。白い広間に光の粒子の雨が降り注ぎ、水滴のように弾けては消える。


「無力は罪だよな。そう思わないか? 死にたくなくても……生まれ変わりたくても……どうにもならないんだ」


「て、てめえ……やりやがった……」

 一人助かった天使は床に落ちた燭台に手を伸ばす。


 その背中に、『彼』はなおも問いかける。

「で、お前の仕事ってのは、俺にもできることなのか?」


 肩を震わせる天使が手繰り寄せた燭台を『彼』に向け、鬼の形相で叫ぶ。

「神になるつもりかッ!?」


「いいや、神なんていらない」

『彼』は目を細め、かつての天使の言葉を繰り返す。

「それがお前の武器か。大事に使うんだな」


「え、え?」


「早速始めるぞ」

『彼』は一瞬で間合いを詰める。慈悲をかけるつもりはない。

「レクチャー・ワン!」


   ○


「お勤めご苦労様でした」

 白スーツを着た女性が深々と頭を下げた。

「このたび、あなたを来世へ導く案内人を務めさせていただきます、天使でございます」


「う、うむ?」


 思わず後ずさったのは、小柄な体に腕が隠れる外套を纏う、長髪の少女である。

 エレベーターで降りる階を間違えたのではあるまいナ。

 ここに来たときのことははっきりと覚えている。どこかのお城かと思うほど立派な廊下に通されたはずだ。

 それが、飾り気のない、簡素な事務所風の空間に変わっている。


「……あの腐れ天使はどこに行ったんじゃ?」


「腐れ天使――ああ!」

 天使を名乗る女性は朗らかな笑顔で答えた。

「前任者なら処分されました。かねてから案内人として相応しくない言動が目立っていたものですから」

 あまりにあっさりとした物言いである。


「まあ、確かにあやつはひどかった。ワシをチビだのガキだのと罵りおって――ええい、ぶん殴り損ねたワ!」


 悔しげに地団駄を踏む姿も、新たな天使はじっと見守っている。

 ひとしきり気が晴れたところで、少女は目を輝かせて天使に詰め寄った。


「そ、それで、ワシは生まれ変われるんじゃナ?」


「もちろんですとも」


 よし、と拳を握り締める。

 思えば大勢の魂を喰らったものだ。抑圧してきたヒトとしての倫理観に照らし合わせれば、数え切れない罪にこの手を汚してしまった。

 握り締めた拳を「……ふむ」と下ろす。


「腐れ天使は〈エッセンス〉次第で来世を思い通りにできるとほざいとったが、どうやるんじゃ?」


「人生設計ですね。こちらへどうぞ」

 背中を押されるに任せて、執務机を挟んで座る。天使は引き出しから書類を取り出し、万年筆のキャップを外した。

「まず、リストアップから始めましょう。あなたの望みはなんですか?」


「健康な体じゃ。寿命を迎えられる、ナ」


「なるほど。それから?」


「それから――」

 いきなり少女は言葉に詰まる。

「いかんナ。希望はそのくらいしかないんじゃ」


「では、こちらのコースなんていかがですか?」

 天使がパンフレットを開いて見せる。

「事故に遭われても死を回避する保険がおすすめですよ。どんなに健康でも、予期しない事象で命を落とすかもしれませんし。後は――」


 丁寧に説明してくれる天使はありがたいが、少女はどこか上の空だ。

 来世――そうじゃ、あやつはとっくに生まれ変わっているはずじゃ。

「のう、クロに会えんか」


「……クロ、さん?」


「うむ。ワシより先にここを訪れとるはずじゃ。あやつと共に生きたい。できるかネ?」


「それは、伴侶として、という意味ですか?」


「ばっ――」

 自分の言葉が生み出した誤解に、少女は顔を激しく紅潮させる。

「バカ言うでない! 違うワ! あやつとて好みというもんがあるじゃろ!」


 天使は至って平然としている。

「では、家族として、ですか」


「……それも違う。どこかであやつと言葉を交わしたいだけじゃ。伝え残したことがあってノ」


「そうですか」

 天使はしばし天井を見つめた。蛍光灯には時折、黒い炎が揺らめいて見える。

「大変申し訳ありません。その願いを叶えることはできません」


「むう。やはりあの腐れ天使は嘘つきじゃったナ。なんでも思い通りにならんではないか」


 少女の膨れ面に、天使は慎重に問い質すのである。

「クロさんには、なんと?」


「おヌシに言うても仕方あるまい」

 少女は「まあ」と白い歯を輝かせて笑った。

「生まれ変わった先で言っても、お互い、なんのことかさっぱりじゃろうし、無理なら無理で諦めるとするワ」

 けらけらと声を上げる彼女を、天使が静かに見つめる。

 やがて、少女は膝の上に乗せた手を強く握り締めた。

「願いは、他にない。健やかに一生を過ごせるよう、適当にオプションを盛り込んでくれるかノ」


「かしこまりました」

 天使の書類作成は迅速だった。一枚にまとめた人生設計書にサインを記し、判子を押す。

「こちらに拇印をお願いします」


「あい、分かった」

 少女は書類に軽く目を通し、朱肉で濡れた指を押しつけた。

「これでええかネ」


「はい」


 天使の返事と共に、エレベーターの扉が開いた。

 あれに乗れば来世か。

 少女は気がかりを残しながらも乗り込み、ボタンをそっと押す。


 見送る天使は、再び頭を下げるのだった。

「あなたの幸せな一生を願っております」


 扉が閉まる。

 密室の中で、少女は小さく溜息をついた。

 もう短剣を生成することはできなかった。

 少しずつ服が消え、肉体も塵となる。あの白い部屋で読んでもらった絵本の物語も、死後に経験した戦いも、『彼』の顔も思い出せなくなった。

 少女だった魂はエレベーターを降り、次の肉体へ――


   ○


「彼女、行きましたよ」

 天使は笑顔で背後を振り返った。


 つい先ほどまで誰もいなかった壁際に、『彼』が腕を組んで寄りかかっている。甲冑は脱ぎ去り、剣も担いでいない。囚人服を着ているだけだ。


「これで気がかりはない。〈奈落〉の代わりに用意した〈煉獄〉もうまく働いているみたいだしな。俺の案内も頼む」


「はいはい」

 少女よりかはいくらか気を緩めた様子で、天使は執務机に戻る。

「でも、ご主人様、来世の願いなんてあるんです?」


「今しがた、できた」

『彼』は次に来るエレベーターを待ちながら、天使に告げた。

「あいつが伝え残した言葉ってのを聞きに行く。お互い、〈奈落〉でのことは忘れていてもな」


「でしたら、さっき聞いておけばよかったのに。ヒトって面倒ですねえ」

 天使は苦笑いを噛み殺し、作業を進める。


 初めは『彼』の目的地も来世だった。

 今は何故目指していたのかも思い出せない。生まれ変わることができずにこの場に留まりながらも、せめて少女の再出発は見送ろうと待ち構えていたが――

 思わぬところで新たな理由を見つけた。

 魂の循環に神は必要ない。ここでは『彼』は余計な存在である。

 ただの魂に戻るときがきたのだ。


 天使が意地悪い微笑みを浮かべ、『彼』に尋ねる。

「拇印はどうします?」


「俺が押そうとお前が押そうと変わらないだろ」


「でしたっけ」


「また俺みたいなのが現れないようにうまくやれよ」

 そして、『彼』にも来世に続く昇降機がやってきた。

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