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[17] 失うばかりでない!

 竜が口から体液を吹く。

 強酸性の液は霧吹きのように前方へ拡散され、荒地を焼き尽くした。

〈奈落〉での防御方法は様々だ。服や鎧、盾、鱗、体毛――そのどれもが、竜の吐息にかかればあぶくである。所詮は魂を削っているに過ぎなかった。

 だが、狂戦士と化した『彼』は無造作に剣を振るう。アルマジロトカゲの尻尾を模倣した刃が細かく振動し、空間を裂いた。

 酸のブレスは『彼』を避け、その代わりに周囲へ甚大な被害をもたらす。


「前とは違うんだよ、前とはァ!」


 背後の惨事など頭の中にはない。『彼』が見ているのはただ一人、敵、竜のみである。

 離れた距離を一回の跳躍で詰め、剣の切っ先を地面に擦らせた。

 真っ直ぐ自分の首に伸びる凶器に、竜は前足の爪で応戦する。


 あのときは指一本でへし折られた。

 今回は――

 金属と金属が触れ合う音ではない。ぶつかり合った力が逃げ場を求め、大気に悲鳴を上げさせた。

『彼』の剣は健在だ。


 竜の瞳孔が一瞬開く。

 力が互角なら、竜は不利だ。手を振り回したところで体の小さな『彼』を捕らえることはできない。

 よって、脚力のみで飛び退り、大雑把な攻撃が可能な範囲に『彼』を留めなければならなかった。


『彼』は一挙手一投足と共に増幅される至福感に、笑みを抑えられずにいた。

 その狙いは分かっているんだよ!

 多くの者が臆する魂に向かい、直線的に接近する。

 小細工は必要ない――


「猪突猛進か」


 後ろ足で立った竜の呟きに、ブレーキをかけるのが遅れた。

『彼』の横面が尻尾に叩きのめされる。アルマジロトカゲは切れ味の鋭い攻撃と化したが、竜の攻撃はただの暴力だ。

 水を切る石のように荒地を飛んだ『彼』の目から光は失われていない。剣を地面に突き刺して静止する。


 近づくのも一苦労ってワケだ。

 なら、巨大ミミズを解体してみせたように、竜を両断すればよい。

『彼』の意志に従い、大剣が柔らかくしなる。こちらにも尻尾はあるのだ。試し斬りの際は無駄が多かった。あれをさらに効率的なモーションで振り抜く。

 鏃型の刃が分かれ、一本の糸で繋がった鞭に変わる。

 横薙ぎに振られた手の動きからワンテンポ遅れ、刃が竜を襲った。

 常人には『彼』が衝撃波の刃を自在に操っているようにしか見えないだろう。


 竜は迫りくる鞭を掴もうと手を突き出す。

 さすがに反応したが、それだけだ。

 鞭は蛇のように巻きつき、剣の柄に戻る動きで竜の片手を切断した。

『彼』の剣の正体は伸縮自在のチェインソーだ。接近戦しかできないと思ったら大間違いである。


「ぐうっ……」

 あの竜が呻き声を上げ、手首の切断面を押さえ、大きく仰け反った。

 目に怒りの炎をたぎらせ、即座に新たな手を生やす。


「トカゲの腕切り、かね」

『彼』は笑みを広げた。剣の感覚は完全に掴めた。この調子で輪切りにしてやる。


 そう簡単にはいかないのが竜だ。

 異様に胸を膨らませ、砲身のように固定した首を『彼』に向ける。

 まただらしなく液を吐くつもりか。

 何度やっても同じだ。『彼』は防御と攻撃を同時に行おうと身構えた。

 さらに胸が膨らむ。


 先ほどと違う予備動作に、眉をひそめたときだった。

 大きく開いた竜の口から破裂音が轟いた。激しい爆発に砂煙の波紋が起きる。

 発射されたのは高密度の酸だ。


『彼』は剣を飛ばしながらも本能的に弾道から逃げた。

 その判断は正解だった。酸は『彼』のすぐ横を通過し、崩れた山を粉砕した。触れてもいないのに半身が焼け爛れる。ましてや、砲弾に巻き込まれた刃は跡形もなく融解してしまった。

 竜の吸気音に、『彼』は火傷を治癒する。動き回れば当たらない攻撃だ。

 身を屈め、大地を蹴る。

 瞬間。



 目の前から竜が消えた。周囲の景色が荒地からどこかの建物に変わる。

 大きな斧を自分に振り下ろそうとしているのは、かつて喰らったウシ。

 欠伸が出そうなほどのろい攻撃だ。難なく避けられる。

 そして、あのとき、気がついたのだ。

 後ろに少女がいる。



 我に返ると、『彼』は未だ倒れている少女とイヌの姿を探していた。見つからない。しかし、二人の気配は視線の先にある!

 戦いの中では致命的な隙だ。


「たわけめ!」


 咆哮が耳元で発せられた。いつの間にか影が自分を覆い尽くしている。

 熱から冷めた『彼』が見たものは、底の見えない闇が広がるあぎとであった。牙に挟まれた体は宙へと放り出され、真下から一気に喰われる。

 飛び込むは酸の海。

 絶叫は外に漏れない。


   ○


「く……クロ……」


 胸の苦しみはまだ続いているが、へばっている場合ではない。

 体を起こした少女は、荒地に立つ竜を目撃する。戦いは終わってしまったようだ。『彼』はいないということはつまり――


 空を仰いでいた竜が、少女に顔を向けた。

「及第点だ。あの者は我に馳走を振る舞うために〈奈落〉を訪れたのかもしれんな」


 威圧感で身が竦む。足が震えて言うことを聞かない。

 竜は手を振り上げ、歯を鳴らす少女を薙いだ。


「何をぼさっとしている!」


 大きな影が彼女の前に立ち、得物で爪を受け止める。

 老犬である。

 呆気なくへし折れた刀を捨てて少女を抱え上げると、竜とは正反対の方向へと駆け出した。


 恐怖から解放された少女は弱々しい声を発した。

「す、すまぬ」


「とにかく逃げるのだ。まともに戦える相手ではない」


 とはいえ、竜はイヌ以上の速度で大地を揺らしながら追いかけてくる。

「いかんゾ」

 酸を吐き出す構えに入っている。いくらイヌが素早かろうと、広範囲に体液をばら撒かれてはおしまいだ。

 短剣を生成し、振り向きざまに竜の顔へ投擲する。

 トマホークのように空を切り裂いて飛んだ短剣は眼球を深く抉り、竜の顔を跳ね上げさせた。

「ようし!」

 両手でガッツポーズを取ろうとするも、イヌから落ちそうになって慌ててしがみつく。

「ワシとて伊達に生き残っとらんワ!」


「見事」


 イヌは進路を変え、竜の体では入れないほど狭い峡谷へと侵入した。

 竜や『彼』の存在により、他の魂は近辺にいない。逃げてる途中で襲われる心配はなかった。


「クロは竜に喰われてしまったのかノ」


「恐らくは」


「……ただでは死なん男なんじゃがナ」


「死んだ男に思いを馳せても仕方あるまい」


 実に〈奈落〉的思考である。ここでの死は消滅と同義であり、少女が『クロ』と呼んでいた魂はもうどこにもいないのだった。

 感傷に浸っている場合ではない。次は自分の番かもしれないのだ。


 ただでさえ暗い峡谷内から光が完全に遮られる。頭上を見上げると、竜が崖際を走っていた。

 その衝撃で、岩が転げ落ちてくる。とてもじゃないが少女の短剣でどうにかなる物ではない。


「しっかり掴まっているのだ!」


 イヌが顔を歪ませながら、岩を潜り抜ける。

 様子が変だ。

 少女はぼたぼたと液体の滴る音に気がつき、足跡を振り返った。

 血。

 自分の傷ではない。


「ワンちゃん、おヌシ、怪我しとるのか!?」


「耳元で怒鳴るな。風が読めん」


 二手に分かれるところを左へ曲がり、峡谷から脱出したイヌはその勢いのまま地面を滑るように倒れてしまう。

 少女は投げ出されながらも素早く立ち上がり、イヌの容態を確かめる。

 脇腹が深く抉られていた。


「……ワシを庇ったときか?」


「大した傷ではない。再生に手間取っているに過ぎん」

 イヌは鼻を引くつかせて、にい、と口を横に開いて笑う。

「キサマだけでも生き残るのだ。まだ走る力はあるだろう?」


「何を言うとるか! 赤の他人を助けおって……」


 二人の背後で竜が翼を広げた状態で降り立った。

 もはや逃げようがないワ。

 少女は覚悟を決め、短剣を手に巨体と対峙した。


「アレじゃナ」

 強がりの笑みを浮かべる。

「窮鼠、竜を噛む」

 誰の訂正も入らない。

 まあ、よかろ。最期はこんなもんじゃろ。


 じりじりと距離を詰める。

 竜もふらふらと前に出た。

 そのおぼつかない足取りを、見逃さない少女ではなかった。


「む?」


 冷静に見れば、竜の目は焦点を失っている。何か異変が起きているのだ。

 しばらく見守っていると、竜の背中を突き破る輝きがあった。

 黒い刃の大剣である。


「……クロか!?」


 死んどらんかったのか。

 束の間の安堵が通り過ぎると、再び得体の知れない気配に胸が締めつけられる。土に膝をついた彼女が見たのは、


「目的も果たせず、何者かも見失った魂に喰われるとは、我が不覚よ」


 竜の全身から現れる無数の剣だった。

 グロテスクな剣山が一瞬の内に作り出されるや否や、光速で一回転、周囲に竜の血をぶちまけた。


 手足、翼、尻尾、首、そして胴体が細かく分解された中から脱皮する虫のように這いずり出てきた『彼』は、もはやヒトではなかった。

 他の生物、というのも性格ではない。

 薄汚れた黒色の泥が立っているとしか、少女には思えなかった。


 背中から伸びた紐が大剣と繋がっている。風に揺らめく様子はタコやイカのようだ。獲物を解体し終えて満足したか、『彼』の体の中に吸収される。

 代わりに腕が生えた。剣に費やした〈エッセンス〉を腕に回したのだろう。

 普通ではなかった。

 少なくとも、少女は作り出した短剣を呑み込むなんて手品はできない。


 緊張に喉を鳴らしながら、恐る恐る呼びかけてみる。

「クロじゃナ?」


 目も口のない顔がこちらに振り向く。

 胸から肋骨状の影が突き出て、けたけたと乾いた音を鳴らした。

 笑っているのだろうか。


「いかん」

 背後でイヌが立ち上がろうとし、竜から受けた傷に呻いて膝をつく。

「ヤツは敵を見つけたのだ」


「敵?」


「娘、キサマだ!」


『彼』に視線を戻すと、再び無数の剣が出現していた。その一本が少女に狙いを定め、真っ直ぐに飛び出してくる。


「ぬお!」

 咄嗟に横に転がり、刺突を避ける。トカゲの剣と違い、地形を変える派手さはない。だからといって手加減してくれているのでもなかった。

「ワシが分からんのか、クロ!」


 相変わらず肋骨を震わせるばかりで、まともな会話は期待できない。

 仕方あるまい。


「ありったけの得物を出すのは、ワシの専売特許じゃゾ!」


 外套を翻し、狙いも定めずに短剣を投擲する。

 多くは『彼』にかすりもせず、命中して突き刺さった物も触れずして抜け落ちてしまう。大したダメージは与えられない。

 にもかかわらず、少女は右手の人差し指を『彼』に突きつけた。


「ちょいとでも動いてみるがよいワ! ワシの恐ろしさを思い知らせ――」


 言い終える前に、『彼』が前進する。

 と、ばら撒かれた短剣がその動きに呼応し、『彼』目がけて飛んだ。糸が体に絡まり、短剣を引き寄せているのである。

 先ほどの竜と全く同じ針の山状態だ。少女の奥の手は大抵の魂も避けられまい。

 これで動きを止めてくれればいいんじゃが。

 しかし空しくも、短剣は全て『彼』の体に吸収されてしまった。


「……養分を与えてしまったかノ」


 悲嘆を掻き消す轟音と共に『彼』が突っ込んでくる。生やした腕で少女の首を掴むと、乱暴に地面へ叩きつける。

 小柄な体が手足をびくんと跳ねさせた。


「娘!」

 助けに来ようとしたイヌが『彼』の触手に跳ね飛ばされるのが視界の片隅に映った。


 まだ意識ははっきりしている。

 それも後少しで断たれるだろう。


「クロ。まだ聞く耳を持っとるのであれば、せめて教えてくれんか」

 少女は首を締めつける手にそっと自分の手を重ねる。

 体温は感じず、感触もない。

「おヌシは来世に何を望んどるんじゃ?」


『彼』はもう片方の手に拳を作り、天高く振り上げる。

 秘密、じゃったナ。

 諦めて目を閉じる少女は、確かにその音を聞いた。

 殻にヒビが入る音。


   ○


 何を望んでいるのか。

 そう問い質され、『彼』は答えようと思ったのだ。

 確かに〈奈落〉を訪れたとき、願いはあったはずだ。石室で男を殺したとき、何かを思い描いたはずなのである。


 どこまでも広がる草原――違う。

 暖かい土の中――違う。

 すくすくと育つ子供たち――違う。

 群れを率いる姿――違う。


 顔を覆う黒い泥にヒビが入り、下からヒトの目が現れる。

 いつから自分のことを思い出せなくなったのだろう。

 どうして俺は〈閃耀〉を殺そうとしているんだ?

 彼女の手の温もりが、『彼』に何かを思い出させようとしている。

 それは白い光だった。



 窓から差し込む光が明るい。

 真っ白な部屋の中心には真っ白いシーツのベッドがある。そこに自分は寝ていた。

 寝巻の中からいくつものケーブルが伸び、脇のバイタルモニターに繋がっている。

 ふと視線を窓のほうへ向けると、イスに座った誰かが絵本を開いていた。

 物語は終盤だ。

『こうして騎士は囚われの王女を助け出したんじゃ――』



「これも違う!」

『彼』は少女から離れて頭を抱えた。顔の泥が見る見る剥がれ落ち、口が現れる。

「どうしてお前の記憶が読めるんだ! まだ喰ってもいないのに!」


「……クロ?」


 これだけ酷い目に遭わせたにもかかわらず、頭から血を流した少女が歩み寄ってきた。

 血――

 そうだ、クモの毒にやられたとき、少女の血を飲んでいる。

 あれだけで少女の記憶が読めてしまうのか。

 あれだけで『彼』の記憶は消え去ってしまうのか。

 自分が幸福だと思っていた光景なんて、その程度だったのだろうか。


「分からないんだ」

 少女の視線から顔を背ける。

 数多の獣が混ざりながらもヒトとしての意識を保てるのは、少女から分け与えられた〈エッセンス〉のおかげだ。

 なのに、彼女を殺そうとした自分が理解できない。

「俺が『誰』なのか……何も思い出せないんだよ!」


 それでも救いはある。

 最後の最後で、少女の来世を奪わずに済んだ。

 彼女はずっとあの光景を大事にしている。決して完璧な幸せでなかったとしても、あれが彼女の芯になっているのだろう。

 それを自分のものにしなくてよかった。

 本当に。


「〈閃耀〉」

 少女の頭の上にぽんと手を乗せ、髪の感触を確かめる。彼女は肩を強張らせ、人形のようになすがままだ。

「お前の忠告を聞くべきだった。結局、俺は好き放題に暴れただけで、何もかもを失ったワケだ。踏んだり蹴ったりだよ」


「じ、時間をかけたら思い出せるかもしれんゾ?」


「いいや、時間はもうないんだ」

 汚泥が形作る手から銀時計を出す。針はちょうど一周を迎え、アラームが空に鳴り響いていた。

「協力関係はここでおしまいだ。俺は先に行くからな」


 少女はその知らせが意味することに気づき、慌てて『彼』の手を掴もうとする。

「失うばかりではない! ワシは――」

 その細い指が『彼』にふれることは、もう二度となかった。



 彼女の泣き顔と荒地が残像となり、石室の冷たい空気に身震いする。

 今までの戦いが夢のようだ。

 だが、今まで喰らってきた〈エッセンス〉は『彼』の内に渦巻いている。


「さて、どうしたものかな」


 案内人は来ていないが、エレベーターの扉は開いている。

 たとえ『彼』の魂がとっくに燃え尽きていたとしても、上に行くしかなさそうだ。

 狭い箱が『彼』の重みで僅かに沈む。

 竜のような巨体はどうやって入るのだろう、などと思いながら、乱暴にボタンを叩いた。

 その雑な扱いに、パネルはあっさりと壊れてしまった。


「……あ?」


 しかめ面の『彼』を、エレベーターが〈奈落〉から連れ出す。

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