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[15] 求めとるのは

 荒地には岩と『彼』ら二人の影が揺らめいている。


「まったく、これならまだ森のほうが快適じゃったゾ」

 太陽に炙られた土が、彷徨う者の〈エッセンス〉を消耗させるのである。

 何か言いたげな『彼』の顔に、憔悴した少女は軽く手を振った。

「分かっとるワ。追跡者を撒くためと、ワシが言い出したことじゃ」


「いや、あのときは俺も賛成した。大体の魂は消耗を嫌う。問題は、だ」


 二人は同時に背後を振り返った。

 視界には、やはり岩しか映っていない。


「……クロ?」


「だめだ、分からない」

『彼』は大剣を構えながらも、苦々しげに呟く。相手が間抜けなら返り討ちにするところだが、二人とも未だに追跡者の姿を捉えていなかった。

 それどころか、

「気配は強くなっているんだ。はっきりすぎるくらいにな」

 いくつかの歯車が組み合わさってできたノコギリ刃の、パーツ一つ一つがかたかたと振動している。

 もしや、と『彼』は頭上を仰いだ。しかし、雲一つない赤い空に影はない。

「いつだったか、竜に出くわしたときもこうだったな」


「……竜じゃと!?」

 ただでさえ落ち着きのなかった少女が動揺を露わにした。

「まずいゾ! あやつと出くわしたらおしまいじゃ!」


「おしまいになっていないヤツが、ここに一人いる」


「おヌシは例外じゃ! 二度目だってどうかは分からんゾ!」


「まあ、落ち着け」

 大剣の震えを意識的に止め、視線を大地に走らせる。

「別の魂って可能性もある。第一、竜がこうもこそこそ尾行するような生物だとは思えない。向こうがその気なら、もう襲われているだろ」


「どっちみち、竜と同等の敵がワシらを狙っとるんじゃろ? 勝ち目はあるのかネ」


「さあ――」

〈奈落〉に君臨する王を思い出し、表情を歪める。貧弱だった頃に刻みつけられた恐怖を顔に出すまいと無理に笑みを作ったのだ。

 どちらにしても、前に立ち塞がる者は誰だろうと叩き斬って喰らうのみ、だ。

 岩の上に跳び乗った『彼』は大剣で張り詰めた空気を薙いだ。

「出てこいよ!」


「の、のう。向こうにその気がないのであれば、逃げんかネ?」


「他の連中と戦っている隙に襲われたら面倒だろ」


「それもそうなんじゃが……」

 少女も短剣を構えたものの、弱腰だ。

「こういう魂とは遭遇したくなかったんじゃ。リスクがあって、しかも、逃げられないときた」

 ぼやきつつも、少女の反応は『彼』よりも速かった。岩陰から現れた者の正体を見極める前に短剣を放つ。


 そこにいたのは二足歩行するトカゲだ。

 頭の高さは『彼』と同じだが、尻尾まで含めると人間を遥かに上回る大きさとなるだろう。

 トゲのついた鱗はまるで鎧だ。砂色の体が荒地に溶け込んでいる。


 しかし、『彼』らが姿を見落としたのは決して保護色のせいではない。

 一流の捕食者だからだ。

 飛来する白刃を指と指の間に挟んで受け止めたトカゲは、手首をしならせて投げ返した。


「おわっ!?」

 咄嗟に背中から倒れたおかげで、前髪の一、二本が巻き込まれるのみに済んだ。後一瞬でも棒立ちだったなら、彼女の額には自らの得物が刺さっていただろう。

 青ざめた顔で空を仰いでいた少女だったが、

「うわちち……」

 熱を帯びた砂から慌てて立ち上がる。

「あやつめ、一歩も動かずにアレじゃと? 洒落にならんゾ!」


「なら、力で押し込んでみたらどうだろう、なッ!」

『彼』は犬歯を剥き出しにして、トカゲへと飛びかかった。少女が名づけた通り、その一撃は〈暴風〉を纏う。大抵の敵はこれで細切れに刻んできた。

 それすらも、尻尾で防がれてしまう。


 なら、これでどうだ!?

 声には出さず、歯車を回転させる。ただ硬いだけの鱗なら、容易に切断できるはずだ。

 赤い火花が両者の間で散り、眼球を焼く。

 閃光の中で、トカゲは身動き一つせずにこちらを観察している。どこの部位がうまいかと考えているのだろうか。


 突如、刃が押し戻される感覚が『彼』の手に伝わった。

 本能的に飛び退った彼は再び大剣を構えようとして、

「あれ」

 得物の異様な軽さに体勢を崩す。

 刃の半分が真っ二つに切断されていたのだ。上半分はトカゲの足元に落ちている。


 どうなってんだ?

 新たな大剣を生成しようと虚空に伸ばした手が、胴体から離れて地面を叩く。

 肉体が玩具のように解体された現実を、『彼』は認識できていなかった。胸がぱっくりと割れ、おびただしい量の血飛沫が上がっても、だ。


「あ、……あ?」

 地面に落ちた血液が蒸発する臭いに、傷口を押さえようとする。


 そして、自分の手が失われたことに初めて気がつくのだ。

 斬られた!

 何に?


 我に返ったときにはもう、トカゲが音もなく距離を詰めていた。人間のように伸びた腕を構え、鋭い爪で首を狙う。

 と、同時に、短剣が『彼』の周りをブーメランのように飛び回る。柄に結ばれた糸が胴に巻きつき、『彼』は後方へ引き寄せられる。

 おかげで爪は空を裂き、衝撃波によって首半分を斬られるに留まった。


 頸動脈の傷口を押さえるため、少女が後ろから抱き締めるように手を回した。

「頭を冷やせ、クロ! 最近のおヌシはちょいと血気が盛んすぎるゾ!」


 即座に喉を再生し、少女の手が汚れるのもお構いなしに血の塊を吐き出す。

「ヤツのおかげで血気が抜けたよ」

 新たに生やした手で、彼女の小さな手をタップする。その柔らかな感触が『彼』に多少の理性を取り戻させた。

「何をされたのか全く見えなかった。あいつは手を動かさなかったはずだ。武器でも隠し持っているのか?」


「……尻尾を一気に振り抜いたんじゃヨ」

 体を離した少女は彫像のように動かないトカゲを見つめ、ごくりと喉を鳴らした。

「ワシとしたことが失念しとったワ。随分と昔に電波を受信したのを忘れるとはナ」


「『電波』だ?」

 思わず訊き返しながらも、『彼』は再び剣を生成した。戦意喪失は魂の死を意味する。たとえこちらの攻撃が一切通じなかったとしても。

 刃をトカゲに向け、背中越しに告げる。

「さっきは助かった」


「ん? まあ、おヌシには借りが多い。迎えが来るまでにちょいとは返しとかんとナ」

 少女は『彼』に巻きつけた糸を手も触れずに緩め、両手に短剣を構えた。

「あやつはアルマジロトカゲじゃ。二つ名はない」


「あれだけ強いのにか」


「トカゲというたら竜。あやつは影が薄いんじゃヨ」


 アルマジロとつくように、鱗は岩のように頑丈そうだ。実際、ノコギリ刃でも切断するには至らなかった。

 弱点があるとしたら鱗に守られていない腹だ。

 尻尾の盾をすり抜け、大剣を叩き込めば――そんな簡単に接近できる相手なら苦労はしない。


 摺り足で距離を詰めようとした『彼』を、トカゲの双眸が射竦めた。

「〈竜の対話者〉だな」


 嗄れ声で懐かしい名を呼ばれ、肩を震わせる。その線で狙われたのか。

「勘違いしているかもしれないが、竜との話なんて大層なものじゃないぞ。お前はまずそうだから喰うのをやめた、って言われただけだ」


「では、今のそちはどうであろうか」

 にい、と横に広げた口から鋭い歯を覗かせたトカゲは予備動作もなしに後方宙返りを披露した。

 空中で体を丸め、尻尾を口に咥える。地面に降り立ったときには車輪と化していた。

 完全防御態勢に入ったのではない。バーンアウトを始め、砂煙を猛烈な勢いで巻き上げ始めたのだ。


「なんじゃ?」


 トカゲの意図を理解できていない少女に、『彼』は背中越しに怒鳴った。

「離れていろ! できるだけ遠くに!」

 それ以上、少女に意識を割く余裕はなかった。


 激しい回転速度でトカゲが飛び出す。音速の壁を突き破り、〈奈落〉の果てまで大気を震わせた。

 地面に突き刺した刃で攻撃を受け止めることができたのは、全くの幸運だった。少女からアルマジロと聞いていなければ、剣を上段に構えたままミンチにされていただろう。

 しかし、回転は止まらない。

『彼』も負けじと歯車を動かすが、トカゲのほうが遥かに速かった。

 脂汗が顔に浮かび上がり、滴となって灼熱の大地に落ちる。

 先に限界を迎えたのは大剣のほうだった。歯車が欠け、ひびが入り、しまいには粉々に砕かれてしまう。


「く、そッ!」

 無用の長物を手放し、自らの腕でスパイクボールを受け止める。


「無茶じゃ!」


 遠くから聞こえた少女の悲鳴に、分かっているさ、と心の中で答えた。

 だが、他にどうしようもない。

 再生したばかりの手がトゲに切り刻まれ、周囲に肉片と骨片を撒き散らす。


「がああァッ!」


 激痛から腕を広げようとする無意識を抑圧し、絶叫を噛み殺してトカゲに立ち向かう。

 再生と破壊、無限に続く苦しみに耐えるしかない。

 いや、無限ではない。

 このままでは〈エッセンス〉が尽きてしまう。


「やらせんゾ!」

 先ほどよりもずっと近くから少女の声がした。

 突進してきた彼女が車輪の中心に短剣を突き出したのである。

 切っ先が触れたのは折り畳んだ腕だったが、鱗に覆われているのは四肢も同じだ。彼女の武器はあっという間に削られ、柄のみになってしまう。

「まだまだあ!」

 外套の内側から次々と短剣を取り出し、停止を試みたところで何も起きない。次第に少女の顔が絶望に染まりつつあった。


 離れろと言ったのに――

 トカゲはかつて遭遇した竜の力と大差ない。そして、自分は今まで大勢の魂を喰らってきた。

 それでも敵わないのか。

 いいや、万が一のために温存している〈エッセンス〉がある。

 この状況こそが『万が一』ではなかろうか。

 後先考えずに肉体の変異を起こそうとして――


 その気配を悟ったか、トカゲは急に後方宙返りで元の姿に戻った。

「そち、何をするつもりだった」


「ああ?」

『彼』は自らの両腕を見下ろした。今まで素手だった左手も、肘まで甲冑を装着していた。トカゲの攻撃が続いていたなら、強固な装甲で対抗しようと考えていたのだ。


 トカゲはふっと息を吐き出した。笑ったのだろう。しかし、決して嘲笑ではなかった。

「竜と呼ばれる者も、所詮は巨大化したトビトカゲに過ぎぬ。この肉体はどうだ? 生前からほとんど何も変わらん姿だ。だが、そちはどうだ」


「……俺だって人間のままだ」


「表面はそうだろうとも」


 トカゲの指摘に、『彼』は呻き声を上げた。


「どういうことじゃ?」

 両者を互いに見ながら、純粋無垢なヒトである少女が戸惑う。


 筋繊維はクモの糸を元にして生成したものだ。骨格さえ別の生き物をイメージしたかもしれない。両腕を侵食しつつある甲冑は――あの石室の男からか。

『彼』の肉体は別の魂から受け継いだパーツで構成されているのだ。


 少女に答えることは何一つない。これは自分とトカゲの話だ。

「何が言いたい」


 トカゲは手のひらをこちらに突きつけ、話を続けた。

「多くの魂が生前の肉体に縛られているということだ。だが、そちは肉体に縛られていない。実に素晴らしいではないか」

 追い詰めた相手を称賛するのは勝者の余裕だろうか。訝しむ『彼』らの前で、トカゲは指を立てて「ちっちっ」と振った。

「竜や余を超えた才能だと考えたことはないかね」


「……お前らを超えようとはいつも考えているさ」


「だが、力が足りない」

 トカゲが不気味に笑う。

「ならば、余を喰らえばどうかな」


「は、はあ!?」

 思わず叫んだ『彼』は胸の鼓動を相手に悟られまいと懸命に堪える。魅力的な誘いだと頷きかけたのだ。

 少女のときは躊躇ったのに、何故。

「お、お前だって、来世に望みをかけているんだろ?」


「余の願いは――」

 立てた指で空を示し、空を裂くように地面へと腕を下ろした。

「竜の首を取る! だが、余の肉体では限界があるのだ! 手段は選ばん! ヤツだけは縊り殺す!」


 何かしらの因縁は窺える。〈奈落〉を彷徨う魂にとって、竜は特別な存在だ。

 トカゲは目を血走らせ、それまでの理知的な口調を一転させた。


「余に与えられた名は何一つない。ただの、一つも! 竜を殺さねば何も得られんのだ!」


 狂っている。

 竜を殺せたとしても、何かを得るのはトカゲではない。『彼』だ。

 どこかで道を踏み外したのだろう。魂に味覚を見出したウシのように。

 そして――


「誘いに乗るでないゾ、クロ!」

 少女が二人の間に割って入った。

「そやつがおヌシに求めとるのは、つまり、人間をやめろ、ということじゃろ!?」


 トカゲが舌打ちと共に爪を光らせる。


『彼』は咄嗟に少女の肩を掴んで引き寄せ、小声で囁いた。

「俺があいつを喰ってしまえば、この場は助かる。あいつの頼みを聞く必要はない」


「おヌシは歯止めが効かぬ。ワシには分かる」


「……お前に俺の何が分かるんだ!?」


「ずっと見てきとるんじゃ! クロがどんどん変わっていく様をナ!」


 議論は無駄だ。少女は蜃気楼のような二択を『彼』に選ばせようとしている。実際に選択肢はない。たった一つの行動を実行するだけだ。


「俺は生き残るための力が欲しいんだ。お前だって同じだろ。だがな、アレは俺のモノだ」


 少女を後方に突き飛ばし、三度生成した大剣をトカゲの腹に突き刺す。

 大きく開いた口から溢れたのは断末魔ではなく、歓喜の笑い声だった。

 次第に哄笑が『彼』にも伝染する。

 一心不乱に肉を貪る魂を目にした少女は、凄惨な光景から顔を背けた。



〈奈落〉において、肉体は魂の形だ。

 その肉体が変異し続ける『彼』は、とっくに――

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