[10] 繊細
話題を提供するのは、もっぱら少女の役目だった。
切り抜けてきた死線の数々、〈奈落〉で一度は訪れるべき観光名所、来世は深窓の令嬢として生まれ変わりたいという願望、などなど。
その他に、『巷で聞いた情報』を口にすることがある。
かねてからの疑問を晴らそうと、『彼』は話の途切れ目に尋ねてみるのだ。
「なあ、その情報ってのは、いつの間に仕入れるものなんだ?」
「んあ?」
少女は眉をひそめて、
「おかしなことを聞くのう。そんなもん、心を澄ませて、聞き耳を立てるんじゃヨ。すると、大気中の〈エッセンス〉が囁き合っとるのが分かるじゃろ?」
「空気にも含まれてるのか?」
「みたいじゃナ。酸素や二酸化炭素と思えばよかろ。森羅万象が〈エッセンス〉でできとるというワケじゃ」
「ふうん……」
『彼』はふと閃いて、おもむろに深呼吸してみる。〈エッセンス〉を取り込めるか、試してみたのだった。
その様子を見て、少女がにっこりと笑う。
「含有量は微々たるもんじゃヨ。〈奈落〉を砂漠に変えるまで植物と水を口にしても、魂一人分にも満たんじゃろナ」
当たり前か、と『彼』は肩を落とす。
こんな簡単な方法で力が手に入るなら、他の誰かが先回りしているだろう。
かねてから戦って魂を喰らう以外の方法を模索しているのだが、抜け道はなかなか見つけられない。
戦い抜いて生まれ変わるにしても、不安が一つ。
自分たちには、どんな来世を選べるようになっているのかが分からないのだ。ミジンコからは脱出していると信じたい。それでも、一夏の命はごめんだ。
せめて人間に。欲を出せば、幸せな一生を過ごしたい。
幸せとはどんな?
もう一度、記憶の中で彼女と笑い合う、そんな光景を――
……という望みを満たすならば、やはり誰かを喰い物にしなければならない。
さすがに死体を漁る行為にも抵抗を覚えなくなってきたものの、心のどこかには人間としてこれでいいのかと疑問も残したままだ。
『彼』は頭をわしわしと掻き撫でて、迷いを思考の彼方へ追いやった。
自然も〈エッセンス〉を持っているなら、だ。
「この世界全体が一つの魂なのかね」
「……ふむ。そういうことは考えてもみんかったナ」
じっと地面を見つめて考え込む少女だったが、当然、答えなど出しようがない。すぐに顔を上げた。
「ま、ワシらには関係あるまい。そんなことより、折角教えたんじゃ。試してみんか」
「ああ、そうだったな」
心を澄ませて、聞き耳を立てる。
少女のレクチャー通りに実践してみる――聞こえてくるのは風が荒野を吹き抜ける音、砂の舞い上がる音、雲の動く音、獣の足踏みで軋む大地の音。
それだけで、声はしない。
『彼』はぼんやりと首を傾げた。
「何も聞こえないぞ?」
「クロが鈍いだけじゃろ。ワシなんて、ほれ、繊細な乙女じゃからナ。感性豊かなんじゃヨ」
「お前のどの辺が繊細なのか、さっぱり分からんが」
「それ見ろ、鈍い」
「…………」
よく言うよ、と『彼』は苦い顔で少女を睨みつける。しかし、確かに言うとおりではあった。こうも少女の言いたい放題にさせているのは、『彼』の反応が鈍いからだ。
「いいさ。別に声が聞こえなくたって、困らないしな」
「何を言うか。情報戦こそ肝心要じゃゾ。敵のことを知らねば、対策が立てられないではないか」
「そういうのは、お前に任せるよ」
「む。ようやくワシの灰色の脳細胞を称える気になりおったかネ?」
偉そうに胸を張るのは結構だが、今まで情報とやらが戦いに活用されたことなんて一度もなかった。
情報といっても、どんな通り名が広まっているか程度しか知られていない。
『お前に任せる』とは、即ち、そんなにアテにはしていないという意味だった。
敵はさておきとして、その他の知識については有益かもしれない。
そんな期待があった。
「……じゃ、灰色の脳細胞とやら質問がある」
「うむ! なんでも答えてみせようゾ!」
「過去に喰らった魂の記憶を読めるか?」
「ふふん。過去に喰らった――なんじゃって?」
急に目を丸くして、
「記憶を読むじゃと? そんなことできるのかネ?」
「ああ。俺自身が見てもいないのに、はっきりと思い出せる記憶――多分、他の魂の記憶なんだろうが、そういう話をお前から聞かないからさ」
「話すも何も、ワシには経験のない感覚じゃナ」
こうなると、少女は興味津々の表情で、こちらへ身を乗り出すのだ。
「さあ、どうやって記憶を読むか、教えるがよい!」
「なんでも答えてくれるんじゃなかったのか?」
「ワシにだって知らないことの一つや二つはある」
「一つや二つで済めばいいけどな」
「……ええい、小言の多いヤツじゃナ。秘密にしようたって、そうはいかんゾ。武器の生成を教えてやったのはどこの誰じゃ? ささ、その恩を、今返すんじゃ」
「館の主から救ってやっただろ!」
「あ、あれは……そうじゃ、あのとき、おヌシは主のいる部屋を言い当ておったナ。そういうことじゃったか!」
「ああ」
手札として隠し持っているつもりなら、尋ねたりはしない。『彼』は素直に頷いた。
「あれだけじゃない。それで戦い方を知ったり、今もたまに、見たこともない場所が頭に思い浮かぶんだ。ジャングルや雲を見下ろせる山……〈奈落〉のどこかか、あるいは魂が持っていた生前の記憶か」
「便利そうな能力じゃが、ちょいと不気味じゃのう。ようし、ワシも試してみるか!」
少女は腕組みして「うぬぬ」と唸ってみるも、すぐに諦めてしまうのである。
「ダメじゃ。ぜーんぜん、イメージが湧かん」
「ほら、繊細じゃないだろ」
ちょっとしたお返しに笑ってやると、少女はむっと口をへの字にした。
「そもそも、人の記憶を読むなんて聞いたこともないゾ。おヌシ、神に愛されし魂、とかではあるまいナ?」
「だったら、〈奈落〉になんて来ていないさ。それに、できるのは俺だけじゃない。心当たりがあるんだ」
「ほう! では、そやつから話を聞き出して――」
「無理だ」
『彼』はきっぱりと断言する。
「そいつはもう死んだし、喰っている。何も引き出せなかったよ」
「……何者なんじゃネ?」
「館の主だよ。肥えた魂は色んなものが混じっている、と言っていたな。だから、〈奈落〉に来たばかりの魂を選んで喰っていたんだとさ」
「ふうむ」
少女はいつになく真剣な面持ちで考え込み、ぽつりと呟いた。
「いつまで経っても選ばれなかったのはそういう理由じゃったか。ワシの力を恐れとったんじゃナ」
「……多分、あいつも記憶を読めたんじゃないか?」
無視、である。
「お前にとっては何も味がしないソーセージでも、あいつにとっては記憶を味わう感覚があったんじゃないか――と、思うんだ」
「クロもそうなのか?」
「え?」
はっとして振り向くと、少女はやや不安そうにこちらを見上げていた。
自分は、他者の記憶を集めること、力を求めることに喜びを感じているのだろうか。あのウシに抱いた感情は同属嫌悪なのか。
「いい気分じゃないな。『俺』よりもその他大勢の記憶が魂の大部分を占めたらどうなるのか――全然、分からないし」
もしかしたら、今感じている迷いや恐れの全てがくだらなくなって、ただ力の溢れるままに剣を振るうようになるかもしれない。
『彼』の懸念を感じ取ってか、少女は明るく言ってのけた。
「月並じゃが、おヌシが根っこにしてる部分を大切にすれば、おヌシのままでいられるんじゃないかの」
『彼』はゆっくりと目を瞬かせ、その言葉を噛み締める。
まさか、少女からアドバイスを受けるとは思ってもみなかった。
が、出てきたのは曖昧な笑みである。
「……ほんっとうに月並だな」
「ええい、やかましいワ! 励ましてやっとるんじゃから、感謝せい!」
「はいはい、サンキュー」
「……ふん!」
顔を赤らめてそっぽを向いたところを察するに、少女もガラではないセリフを言ってしまった自覚があるのだろう。
笑ったり、怒ったり、恥ずかしがったり、確かに感性豊かな魂である。
そんな少女も『根っこの部分』を持っているのか。
誰も触れることのできない、繊細な――
「しかし、くく……ぷはっ」
「何がおかしいんだ?」
「クロの人格がカエルと入れ替わって、ぴょんぴょん跳ねている姿を想像したら、ワハハ! 笑いが止まらん!」
「……まったく」
前言撤回だ。
『彼』は呆れ返って、歩調を速めた。
後ろから、少女が「すまんすまん!」と慌てて追いかけてくる。
そして二人は肩を並べ、再び他愛のない会話に戻った。