エピローグⅠ
夜陰の厳威を笠に着て、走獣の影を追う者がいる。
魑魅を露命に糾われ、混迷の街路をくたばり損ない共が疾駆する。
不撓の呪詛を糾われ、非業の慟哭が閑寂を掻っ捌いて沈殿する。
どす黒い怨嗟の唸りは憂色の群像を躙って夜気の腹中に霞と消えた。
我が身の後塵を拝するは血臭い凶徒か、はたまた高潔なる脱俗の士か。知る術はなく、計る術はなく、故に互いを結ぶのは敵愾なる一条の糸筋のみであった。
コンクリートの密林が獣共の舞踏に震撼する。アスファルトを踏破る音が背部の皮膚を掻き毟る。背後で響く哄笑が幾度となく耳を劈き、世人の肝胆を寒からしめる。踵が追跡者の吐息を蹴っている。我らを隔てる壁はなく、距離にも最早猶予はない。
膝を折る。狂犬の威迫に竦む稚児のように、臓物までもが萎縮する。喧しい足音が、呼気が、吸気が、獣の殺意の在処を語る。不祥の爪先はただ獲物の首筋を掴もうと翳されている。
そして、彼の凶手は虚を攫った。
間欠泉の吹き出すが如く、我が身は中空へと躍り出た。熱気と寒気の同居する大気はすこぶる気味悪く、地上のものとは信じ難く、何より忌まわしい己の肌によく馴染んだ。
諸手を上げて謳歌する。ああ、何たる汚行であろうか。御空は射干玉の黒色に塗り込められ、月明すらも叢雲に潜み、地に縫われた者の愚挙から目を逸らす。
それで良い。この闇は、正邪の坩堝から放逐された者が跋扈するに申し分ない闇である。
天球の摂理に従い、我が身は硬質なアスファルトへと吸い寄せられる。
数瞬の後、獣の頭蓋は足底に圧砕される運びと相成った。
――かつて、烈々たる思念を魂に結わえた者共がいた。
或いは正道を歩まんとし、或いは大望の赴くがまま彷徨い、或いは己の行方すら覚束ないまま、惨禍の残痕に卑しくも儚い慰撫を求めた。誰しもが、生に全霊を賭していた。
果たして、彼らに清濁の区別はあったであろうか。
この世は座礁した船舶に似ている。
退っ引きならぬ局面にも関わらず、停滞した甲板は凪ぎ、光陰は静々と過ぎて行く。
人は惑い、されど早晩憂いを掃き捨て、実態のない何者かにあらぬ正義の如何を問う。
海蝕に滅び行く船底など気にも掛けず、人は生の終局において尚、正義に縋り続ける。
その行為に、罪は非ず。人は正義に縋らねば、人の形を保てぬのだから。
然らば、人は終に究極の問を自らに課さねばならぬ。
正義とは、何者であるか?




