凶剣の紋
「楽しい、楽しすぎる、狂いそうに楽しいッ!」
爛々と輝く瞳を持つ男が無人の城内を走り回る。今朝まで絶えず欲していた高価な調度品の数々をすれ違い様に破壊しながら、理不尽と不合理を体現する嵐のように無人の廊下を駆け回っていた。
遡って一時間前、男はその高価な服を血に染めて、粘ついた笑みで城門を守る近衛兵に近付いた。
主君と仰ぐ王の子である男の異様な姿に肝を潰した近衛兵が衛生兵を呼ぼうとするのを制す。
「大丈夫だ。俺の血じゃないから。それに──」
すぐ汚れる。
弾む声で嬉しそうに男が笑い声を挙げると同時、近衛兵が血液を周囲にまき散らして倒れ伏す。
男が鞘から剣を抜きざまに近衛兵を叩き切ったのだ。
驚愕と恐怖を悲鳴に込めようとする目撃者を狂った剣筋で肉塊へと変える。
振るう度に瞳は狂喜の輝きを増す。
「この感触だ。たまんねぇ! 筋の感触、脂の感触、臓腑の感触。我慢できねぇ!!」
散らばった腸を踏みつけにして男は城へと駆け入っていった。
更に二時間前、豪華な刺繍が施された衣を纏った男は最後の護衛兵を切り伏せた。
手にした長剣は刀身の半ばから黒く塗られ、獅子の首を絞める蛇の紋が刻んである。
街中での惨劇に民は逃げ出した後だ。
「なんで、こんな事……?」
男は足下で絶命している自らの護衛を呆然と見下ろしていた。
後悔の念とともに歓喜が湧き上がる。
この上ない万能感と絶対的な自信に体が悲鳴を上げる。
力を見せつけたい、全てに。
男が視線を上げると腰を抜かしたために逃げ遅れたらしい若い娘がこの場を逃れようと無様に這っていた。
後悔は消し飛んだ。
長剣を握りしめて男は娘を焦らすようにゆっくりと歩み寄るのだった。
更に遡ること一時間前、男は武具店にいた。
注文した長剣が男に渡される。
店主はもちろん周囲の客に至るまで皆が男に侮蔑の視線を向けていた。
才の全てを兄に取られた第二王位継承者。愚鈍にして価値のない第二王子。
その長剣でアレを切り落として他国に嫁ぐかと陰口すら叩かれる。
卑屈な男は文句も言えずに長剣を受け取り武具店を後にした。
護衛と共に街を歩いても誰一人敬意を払わない。視線は絶えず下を向いたまま男は歩き、人の気配を避けるように路地へと入っていった。
そこから更に二時間前、男は護衛と共に裏路地を歩いていた。
「──力が欲しいかい?」
しわがれ声に問われて男は思わず足を止める。
まるで歓喜の叫びで潰れたようなしわがれ声は男の足を止めるのに十分な重みを有していた。
しわがれ声の主は近くの壁に立てかけてある斧を指差した。
「この斧を見ておくれ。刀身の紋が魔法であんたに自信をくれる」
──騙されたと思ってやってみな。
時を進めて三日後、とある街の裏路地で男は難民の女を呼び止める。
「──力が欲しいかい?」