サミュエル
サミュエルの母は、彼が6つの時に出て行った。父の暴力と無能さに耐えかねたんだ、とサミュエルは言っていた。
じゃあ、どうしてそんなヒドイ所にサミュエルを置いていったんだ? ということは口が裂けてもいえなかった。それは彼のアイデンティティを根本から揺るがすセリフだからだ。
いま彼はダウンタウンで臨時雇いの仕事をしている父とふたりで生活をしていた。酒を飲んでは、時折、彼はサミュエルに暴力を振うらしかったが、柔道を始めたサミュエルは少しづつ抵抗をしはじめていた。
「送っていくよ」
ポーチを出た僕たちは、隣が引越し中であることに気づいた。そういえば今日は新しいお隣がくると聞いていたっけ。
じっとこっちを見ている少女がいた。肩下のブルネットの髪を無造作くくり、長袖のTシャツにジーンズ。
それがローラだった。
ローラと僕は同じ世界の住人だった。父親はある財団の重役、母親は弁護士、3つ年上の姉は有名・私立女子高校に通っているという。ローラのほうは僕と同じ共学のプレップスクールに転校してきた。
行動範囲がよく似ているので、よく話をする機会があったが、独立心が強く正義感に燃える少女だった。僕の母はそんなローラを気に入ったようで、近所で会った時などは積極的に声をかけていた。ローラの方も母に憧れをもっていたようだ。
「ハンサムでセクシーだね。タクミのお母さんは」
オープンスペースのカフェでローラが言った。今日はチャリティ・バザー実行委員としての話しあいだった。
「そうかなぁ」
「かっこいいよ〜 憧れちゃう!」
…かっこイイかもしれないが、物心ついた時から不在の母に不満を持っていた僕はローラに微妙な怒りを感じた。
「ローラのお母さんだって弁護士だしカッコいいじゃない?」
「だめよ、マミーは。依頼がくれば悪い人だって弁護しちゃうんだもん」
「それは仕方ないよ。弁護士だもん」
「普通の人みたいな事言うのね、タクミも。がっかり!」
自分の不満は、ハッキリ言うなぁ…
「あたし、最近、あの子―サミュエルによく会うのよ」
思い余ったようにローラは唐突に言った。
「え?サミュエル?」
「そう‥‥ ピアノ教室の帰り、とか学校の帰りとか、、、あたしの行動範囲を知っているみたい。なんだか怖いわ。タクミはサミュエルとどういう友達なの?」
びっくりした。
「えっと、柔道仲間…? ときどき彼の家に集まって皆とマンガ読んだりゲームしたり、楽器の演奏したり…」
「?」
合点がいかないようだ。早くいえば悪友なのかもしれない。僕以外の3人はダウンタウンの幼馴染だが、僕はサミュエルを通じて彼らとつるんでいたのだ。彼らといると、子どもらしくいてもバカにされる事もないし、楽しくて面白いことがいっぱいあったのだ。
「最近は忙しくって、サミュエルとは会ってないんだ。‥‥今の話は知らなかった。驚いたよ」
「こんど会ったら、止めるように言っておいて」
「うん…」
理由が知りたかった。
…でも、何となく理由は分かっていた。きっとサミュエルはローラが好きなのだ。だけどどうやってアプローチしていいか分からなくてって、ストーカーまがいのことをしているのだろう。