第七章:虚無の監視者
「緑の境界」で見つけた少女の紙片と、習得した「囁きの技法」を手に、私はさらに深く、この街の地下に眠る旧時代の遺構へと足を進めた 。
そこは、かつて「自由詩人」たちが連邦の検閲から逃れ、物語を物理的な石板や未編集のチップに刻み込んだとされる、伝説的な「記憶の貯蔵庫」の入り口だった。
地下へ続く階段を降りるにつれ、湿った空気と共に、電子的な「静寂」が重くのしかかってくる。そう、あの首都の図書館で感じた、「制度に見張られている感触」が、ここでは数倍の濃度で私を包み込んでいた。呼吸がだんだんと重くなる。
私は小型端末を起動し、習得したばかりの「空白を配置する」技法を用いて、遺構のセキュリティ・ゲートにアクセスを試みた。物語を語るのではなく、物語の「不在」をシミュレートすることで、検閲AIの目を欺く。私の指先は、恐怖どころか、かつてない気づきの興奮でわずかに震えていた。
ゲートが音もなく開いた瞬間、目の前の大型スクリーンが突如として青白く発光した。そこに映し出されたのは、これまでの監視局のエージェントのような無機質なロゴではない。一人の男の肖像と、その背後に広がる終わりのない書架の影だった。
「……また一人、物語の亡霊に憑かれた学者が現れたか」
合成された、だが極めて知的な声が空間に響く。それは、連邦の記録管理を統括する最高責任者、あるいは『連邦記録監視局』の意志そのものであるかのような重圧を持っていた。
「君が探しているものは、ここにはない。あるのは、管理され、漂白された、正しい『事実』だけだ。新連邦憲章第7条は、人々の精神を守るための盾なのだよ」
画面の中の男——私は彼を、心の中で「大検閲官」と呼んだ——の眼差しは、冷酷なまでに透き通っていた。彼は、私がノモスで愛猫を撫でながら夢想していたような、人間的な「物語」の温もりを一切認めない、制度の化身だった 。
彼の背後には、初代議長が遺したあの言葉が、巨大な碑銘のように刻まれている。 「物語は統治の敵」。
私は確信した。彼こそが、私が対峙すべき「最大の壁」であり、この世界の物語を奪い去った張本人なのだ。
「制度は、君のような者が生み出す『再起動トリガー』を許さない。物語という名のウイルスを、我々は根絶する」 。
スクリーンの光が消え、周囲は再び完全な暗闇に包まれた。しかし、暗闇の中には、先ほどよりもさらに冷たい、何千もの「レンズの視線」が私を射抜いているのを感じた。
私はポケットの中で、ノモスから持ってきた愛猫との写真にそっと触れた。その小さな安息だけが、今の私をこの「虚無の監視者」の圧力から繋ぎ止めていた 。そう、あの愛くるしい猫とのぬくもりがなければとても耐えられそうになかった。
物語の核心、その「最も危険な場所」は、もう目の前にある。そこには、制度がひた隠しにする「最初の国物語」が眠っているはずだ。




