第六章:沈黙の街と、囁きの技法
列車が「緑の境界」と呼ばれる地方都市に到着したとき、空気の密度が変わったのを感じた。首都の無機質な清潔感とは異なり、ここには古い石造りの建物と、管理しきれない雑草の匂いが混じっている。
私はまず、駅近くの古びたダイナーに入った。ノモス国の自室で丁寧に淹れていたあのブラックコーヒーが恋しいが、出てきたのは煮詰まって酸味の強い、安価な液体だった。だが、この「生活の質の低下」こそが、連邦の中央から離れ、検閲の目が物理的なものから心理的なものへと変質している証拠のように思えた。
ここでの最初の「試練」は、人々の口の重さだった。
私は地元の古本屋や、かつての詩人たちが集ったという広場を巡った。しかし、私が「歴史」や「物語」という言葉を口にするたび、人々は一様に視線を逸らし、足早に去っていく。新連邦憲章違反の恐怖は、この地方都市の隅々にまで浸透していた。
「そんなもの、ここにはないよ。あんた、監視局の回し者か?」
ある古本屋の主人が吐き捨てた言葉に、私は自分の「目立たない外見」が、ここでは逆に「潜入捜査官」のような不気味さを醸し出していることに気づき、苦笑した。本当にままならないものだ。
その時、一人の少女が私のコートの裾を引いた。彼女は何も言わず、一枚の汚れた紙片を差し出してきた。そこには地図とも、ただの幾何学模様ともつかない図形が描かれていた。これが、私の探求における最初の「仲間」(あるいはその手がかり)との接触だった。
「……ありがとう。お礼に、これを、、、」
私はノモスから持ってきた、猫の形をした小さなクッキーを彼女に渡した。故郷に残してきた愛猫のことを思い出し、胸の奥が少しだけ痛む。彼女はそれを珍しそうに眺め、雑踏の中に消えていった。しかし、同時に「敵」の影も色濃くなった。
広場の隅で、灰色のコートを着た男が、動かずにこちらを見ていることに気づいた。彼は端末を操作するふりをしているが、その視線は私の動きを完全に追っている。『連邦記録監視局』。首都の図書館で私を拒絶したあの冷たい意志が、今や具体的な形を持って私を追い始めているのだ。だが私は逃げるのではなく、「成長」することを選んだ。そう比較歴史学者として。
私は宿に戻り、少女から受け取った紙片を、ノモスで見つけた「奇妙な断片」と重ね合わせた 。そこで気づいたのは、彼らが物語を語るために用いた「非言語的な技法」だった。
憲章第7条は「物語の構築」を禁じているが、単なる事象の配置(例えば、地図の上の点の並び)として偽装された物語までは、今のAI検閲では完全に見抜けない。私は、かつての「自由詩人」たちが、検閲を逃れるために物語を「断片的な事実の配置」として隠蔽した方法を、数時間かけて解読した。
私は、ノモスのコーヒーとはまるで違う苦い液体を噛み締めながら、新しい検索クエリを生成した。それは、物語を語るのではなく、「空白を配置する」ことで、読み手の脳内に自然と因果関係を浮かび上がらせる、高度に知的な叙述トリックだった。
私は一歩、成長したのだ。制度が禁じる「語り」を、制度が許容する「事実」の皮を被せて再構築する。この「囁きの技法」こそが、連邦の境界線を突破する武器になると確信した。




