第二章:ノモスに残された奇妙な断片
ノモス国を離れ、アナ共和国へ旅立つ数ヶ月前、私は連邦の歴史構造調査のための準備として、母国の古い記録を漁っていた。ノモスは、歴史研究に対して比較的開かれており、学術的な探求心が尊重される環境が整っている。
ある日、アナ共和国に関する資料を整理していると、埃をかぶった紙束の中から、違和感のある古い資料を見つけた。それは、ノモス国の正規の記録台帳には登録されていない、紛失扱いとなっていたはずのデータの一部だった。
その中に、私の旅立ちを決定づけるものがあった。
それは、アナ共和国の歴史が曖昧にされる以前の未編集の共和国史の痕跡が記された、「奇妙な断片」だった。誰かが連邦の検閲から守るため、国外であるノモスへ秘密裏に持ち込み、隠していたのだろう。私は、その断片が、エトス共和国連邦が中央政府に権限を集中させる新連邦憲章が成立する直前に「消された記憶」として扱われているものだとすぐに理解した。
その紙束を抱え、椅子に座り直した瞬間、足元で愛猫が軽く鳴いた。私が普段と違う資料を広げていることに気づいたのかもしれない。私は資料から目を離さずに、片手で猫の頭を撫でた。その柔らかな感触は、今手にしている資料の持つ世界の重さとは対照的だった。
この断片を分析するうちに、私の学術的な好奇心は、確信へと変わっていった。記録は、単なる出来事の羅列ではなかった。それは、共和国の建国をめぐる歴史に、因果や、国民の感情的なつながりを生み出す「語りの構造」が確かに存在していたことを示していた。
私は、連邦の初代議長がかつて残したという言葉を思い出した。「物語は統治の敵」と。
なぜ、彼らはそこまで物語を恐れるのか。
連邦は、歴史を語ること、すなわち「物語の構造」を構築する行為が、人々の意識を再編し、忘れ去られた歴史を呼び覚ます力、つまり制度の自己語りを誘発し、再構築を促す力を持っていることを知っているのだと、私は直感した。国物語は、暴力ではなく、連邦の支配構造を崩壊させる「制度の再起動トリガー」として恐れられている。
このノモスに残された断片は、その失われたトリガーの設計図の一部だった。
私はこの「消された記憶」の全容を解明し、連邦が隠蔽した「物語りの構造」を探し出すことこそが、比較歴史叙述学者としての自分の使命だと認識した 。アナ共和国は、ノモス国から地理的に最も近いエトス共和国連邦の構成国であり、この記憶の断片を追うための最初にして唯一の場所だった。
私は、この奇妙な断片を携えて、連邦のタブーである「物語の構造」への探究心を胸に、静かなノモス国を後にした 。




