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The Narrative Faultline ──歴史を語ることができない国  作者: 深井零子


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第一章:比較歴史学者の静かな日常

 ノモス国での朝はいつも静かだ。比較歴史叙述学者として、私は研究室の窓辺に座り、丁寧に淹れたブラックコーヒーの香りを楽しんでいた 。窓の外の風景を背に、私はふと、壁に立てかけてある姿見に映る自分自身に目を向けた。


 鏡の中の私は相変わらず細い、もう少し筋肉をつけろと同僚に言われるがこればかりはどうにもならない。そして、研究の時間を確保するためセットに手間のかからないショートカット 。つくづく、自分で言うのもなんだがわりと整った顔立ちだと思う。だが、良くも悪くも強い個性を主張しない。この無個性の外見は思春期の時にはちょっとしたコンプレックスだったが、エトス共和国連邦のような厳格な監視体制下での調査には都合が良いと自覚していた 。


深い琥珀色の液体を口元に運び、苦味とほのかな酸味が混ざり合う味わいを味わうその瞬間、私は今日の旅立ちを前に、静けさの中に心を鎮めた。


 隣では愛猫が丸くなって眠っている 。柔らかな毛並みが朝の光に照らされ、時折小さく喉を鳴らす音が穏やかなリズムを刻む。私はそっと手を伸ばし、猫の頭を撫でる。この温もりだけが、これから私が挑む、連邦のタブーに触れる孤独な探求に安息を与えてくれる。


 ノモス国は、歴史叙述に対する学術的な探究心が比較的尊重される、静謐な場所だ 。私はこの自由な環境で、研究対象であるエトス共和国連邦の歴史構造という、重いテーマに向き合っている。エトス連邦は近年、世界の覇権国に上り詰めた強大な国家集合体であり、中央集権的な統治体制のもと、歴史の検閲と管理が徹底されている。


 特に、私が手始めに選んだ構成国であるアナ共和国は、ノモス国から地理的に最も近いにもかかわらず、その歴史管理は極端だ。新連邦憲章によって、建国史や国物語の構築が制度的に明確に禁じられていることが、私の主要な関心事だった。


 だが、私のアナ共和国訪問には、単なる学術的な好奇心を超えた、もう一つの理由があった。


 それは、母国ノモスの古い記録の中に、アナ共和国に関する「奇妙な断片」が残されていたからだ。それは、アナ共和国の歴史が曖昧にされる以前の、だった。連邦が中央政府に権限を集中させる新連邦憲章が成立する直前に「消された記憶」として扱われているものだ。


 私は、連邦の強大な権力をもってしても、完全に消し去ることができなかった物語の断片の存在を確信している。コーヒーの香りを深く吸い込み、鏡の中の自分——目立たないが、内に怒りと好奇心を抱えた比較歴史叙述学者——に別れを告げ、その「消された記憶」を追うために、アナ共和国へ旅立つ決意を新たにするのだった。



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