真昼の格闘ごっこ
プロローグと同じ日、木曜日に時間が戻りました。中休みの時間。エリオもすっかり学園に馴染んでいます。
岬の先端に向かって、ボクは少し早歩きで歩いていた。行き先が岬だとわかっている。深い霧に覆われた森の一本道を、迷いなく夢中で歩き続けた。
体力はからっきしダメで、いつもならヘトヘトなんだけど、歩調は全く落ちない。それどころか、どんどん速くなっていく。顔に霧が当たって冷たいのが心地いい。この辺りで霧が少しずつ晴れ始める。それはいつも同じだ。
ほら―
視界がクリアになって、ボクは走り出した。そこに唐突に岬が現れる。弧を描いた三日月のような岬が現れた。目の前に広がる碧い海―
岬の先端には女の子がいる。遠くてぼんやりしてるけど、淡い色のワンピースを着た少女だとなぜか知っている。その子の周りだけキラキラと輝き始める。ああ……朝日がちょうど海から顔を出した。
僕の胸は高鳴る。海の方を向いてるから、その顔は見えない。ボクは少女に向かって歩いていく。
彼女は今にも振り向きそうで、でもなかなか振り向かない。声をかけられるくらい近くまで行く。声をかけたい。でもできない。もどかしい時間が過ぎる。
すると、彼女が振り向きそうになった。やっと……。心臓がドキドキしてる。でもあと少しのところで朝日が昇って、眩しくてボクは目を閉じてしまう。少女の顔は見えない--
彼女は偶然ここにいるわけじゃない。ボクに会うためにここにいる。それをボクは知ってるんだ。
◇ ◇ ◇ ◇
二時間目が終わった中休み。温かい日差しを求めて、何組かの男子たちが庭に集まっている。
「なあ、アマンド。その子は、お姫様みたいな子なのかな?」
エリオが夢見る乙女……もとい、夢見る15歳男子のように言った。
「お、お姫様……いまどき?」
僕は黒縁眼鏡を指で軽く押さえた。お姫様って……。
「図書室にあった小説に出てくる、あの岬かな?なんとか岬ってやつ。好きな人と行くと結ばれるって場所……アマンドは本好きでしょ、知らない? 確か……名前忘れたけど。なんとか岬……誰か知ってる?」
「ジャンミン、なんとか岬じゃわからないだろう?」
ジャンミンは学級代表だけど、厳しいことは言わないし、偉そうにもしないから、みんなに好かれてる。
エリオもくせっ毛を指でくるくる巻きながら指摘する。髪を触るのはどうやら癖らしい。
「行ってみたいなぁ……なんとか岬」
「ははっ、エリオってそういうの信じるタイプか?」
ステファンに髪をくるくると触られて、エリオは嬉しそうに何度もうなずく。でも一人で行くのは嫌だからな、って付け加えてる。ステファンと二人で行きたいのか。わかりやすい奴だ。
休み時間、ボクがよく見る不思議な夢の話で盛り上がってた。いつものぐだぐだの雑談や、ボール遊びにも飽きてたんだ。だから繰り返し見る夢の話を、クラスメイトに相談してみようと思った。
ほんの気まぐれだった。
本当にただの思いつきだったんだよ……。
ボクたちは庭にある木のベンチに座っていた。周りにはジャンミン、ステファン、エリオ、あと数人の男子がいた。
「あれ? ルシアンいないね」
ジャンミンは周りを見渡す。そういえば、いつも話の中心にいるルシアンがいない。女の子みたいに美しいけど、口が誰よりも達者なルシアン。
「ルシアン、またなんかやらかして職員室に呼ばれてるよ」
ステファンの穏やかな笑顔。なるほど静かなわけだ……と、思ったらステファンは急に僕の肩を掴んだ。
「おお、宿敵アマンド王子! 岬にいるお姫様を俺から奪い返してみたらどうだ? 俺と一対一で勝負しようじゃないか!」
はい?
ステファンは格闘家みたいにボクの前に構えてみせた。そして首をゴキゴキと鳴らした。背も高く、体格のいいステファン。
普段は優しいけど…………怖い。
だけどボクは咳払いして立ち上がった。もちろん冗談だった。だから周りの男子たちは驚いた。
「すげえ、珍しいな!」って声が聞こえた。ボクは背筋をピンと伸ばして、もさっとした髪から黒縁眼鏡を外してジャンミンに渡した。
「アマンド、本気?」
「…………」
(本気じゃないです。冗談です)
「おっ、眼鏡を外しましたー」
「アマンド、マジでやる気かよ?」
「ステファン、やっていいってさ!」
他の奴らも盛り上げてくる。普段のボクはそんな目立つタイプじゃないから余計に盛り上がってる。
(やばいやばい。さぁて、ベンチに座ろっかな……)
「…………」
なぜだろう? このときは違った。ほんとにボクは退屈してたんだろうな。ステファンもきっと退屈してたんだ。
いや全員が退屈していたんだ。
これは後には引けないって感じもあって……ボクとステファンは無言で向き合った。おおぉ、って声が聞こえた。
そして中庭の芝生の上で柔道みたいな構えをとった。じりじりと僕らは距離を詰めた。ステファンが僕のシャツを強く掴んだ--
アマンド大丈夫そ?




