磨いた成果を試すとき 2
ティーチャー・パンジーが靴音を響かせて入ってきた。踵には金属のタップスでも仕込んでいるのか?
目つきは鋭く、ねっとりとしていて、常に生徒たちのあら探しをしている女教師。化粧もたぶんしていない。髪を一つに束ね、黒のワンピースを毎日着ている。
話も脱線しないし、冗談も言わない。授業は全く面白くないので、皆に嫌われているティーチャー・パンジー。
歳は知りたくもないけど、自分の母親よりは少し年下くらいかなと思う。
彼女の授業は、自分の好きなことを話してノートに取らせているだけ。
最初は政治経済など、現代の授業だった。それなのに三回目には、なぜか寺院のことをひたすら書かせられ、気づいたら歴史学のようになっている。
今も太い辞典をティーチャー・パンジーがずっと朗読している。さっぱり意味がわからない。 生徒たちのことなんて本当にどうでもよさそうだ。
「ペンを持ちなさい」
ティーチャー・パンジーが読むのをやめ、唐突に言った。先生本人の口からその台詞を聞いて、ステファンが吹き出した。
「誰ですか?」
ティーチャー・パンジーは素早く生徒の方を見た。 生徒たちを無言でじっと見つめるティーチャー・パンジー。
「何かおかしいですか?」
誰もいない放課後の教室のように静まり返っている。
ティーチャー・パンジーは少年たちをぐるっと見渡した。その目からは憎悪が滲み出ている。エリオに視線を定めた。
「エリオ、なぜにやにやしているのですか?」
「え? ……いいえ」
生徒の名前覚えている! あのティーチャー・パンジーが!
「今、笑いましたね」
「いいえ」
エリオの声は震えている。エリオは素直で感情が外に出やすい。普段はそれでもいいけど、今はまずい。
「笑っていましたよ」
「……そんなこと」
首を横に振るエリオ。彼は笑ったのではなく、不安だったのかもしれない。
「さっきの笑い声はあなたですね」
「いえ、違います。 笑ってなどいません!」
彼女のしつこい尋問に、エリオは唇を噛みしめた。他の生徒たちは教科書を見たり、下を向いて目を合わせないようにしている。
プライドの高い先生に目をつけられたら、とても面倒だ。ああ、この攻防戦、早く終わってくれよ。
「ルシアン……なにかご存知?」
本当にわからなくて、彼女はルシアンに話しかけたようだ。彼がクラスのムードメーカーなのを知っていたのが意外だった。
だけど誓ってもいいけど、僕の名前がマリオンだとは知らないだろうね。
「はい。クロノス祭が近いので、みんな浮かれているんです。隣の女子寮と合流もできるし。さっきも女の子とダンスが踊れるって、休み時間にはしゃいでました。それを思い出したのかもしれません」
ルシアンが穏やかな口調で言った。
ザ・優等生。さっきモノマネを披露したのは別人か?
「そう。確かに近いですね。それで愚かで幼稚な生徒が増えたのね」
「…………」
澱んだ空気が教室を支配し始めていた。ルシアンは声を低くした。
「女子寮も浮かれていると聞きました」
「誰から?」
「……他の先生たちからです」
「くだらない。昔はダンスも踊りましたが……まるで役に立たないですよ。お祭りなんて必要ですかね?」
「みんな楽しみにしています」
「……そう。学園中が浮き足立ってきましたね。困ったものです。でも授業中なので切り替えてください。ノートを開きなさい!」
全員がノートを開いた。
「教えてくれてありがとう。ルシアン」
ティーチャー・パンジーも機嫌を直したようだ。
僕はルシアンのことは特に好きではないけど(むしろ取り巻きの子たちも含めて苦手だけど)今の機転には感謝したい。
ありがとうルシアン--
……って、待てよ。
もともと君のせいだった。ルシアンがモノマネなんか披露して、休み時間にみんなを笑わせるから……。
授業はその後、なにもなかったかのように進んだ。
やっと落ち着いて物語の構成を考えられるな。
(主人公が味方に裏切られることにしようか……)
あと少しで授業も終わる。安堵のため息がでた。ティーチャー・パンジーは本当に無理だな。体調が悪くなる。
「この寺院が掲げている教えが……資料集32ページ、後ろから3行目」
ティーチャー・パンジーが黒板に向かって文字を書き始める。先生が生徒に背を向けると、ルシアンがエリオの方を向き、片目をつぶって胸をなでおろす仕草をした。
エリオは顔を赤らめ、ステファンを指差して口をパクパクし訴えている。
ステファンは両手を合わせて謝るポーズ。でも口元はにやにやと緩んでいる。
『ふぅ、危なかったなぁ。吹き出すなんてさ。僕の機転どうだい?』
『ステファンってば、なに笑ってるんだよ! 僕が疑われたじゃないか』
『ごめんごめん、エリオ、本当に許して』
といったところか。ベタなパントマイム。 ルシアンが舌を出して、こっそり先生の真似をする。懲りないなこいつら。半数の生徒が口を押さえ笑いを堪えている。
その直後のことだった。パンジー先生の大げさな咳払い。
「成功に警戒し失敗に感謝……これは! テストに! 出しますよ!」
鞭で机を三回叩いてティーチャー・パンジーがよく通る声で言った。そして生徒の顔をくまなく見渡し、腰を低くした。
あ、くるくる-
「アンダーライン!」
一瞬の沈黙。目が合う生徒たち。同時に大爆笑。僕も思わず吹き出した。もう誰が笑ったとかはわからないくらい。
ほぼ全員が大笑い。エリオは休み時間のように足をばたばたさせているし、ステファンもお腹を抱えている。ジャンミンも机に突っ伏している。
ルシアンのモノマネを上回るティーチャー・パンジーの絶妙なアンダーライン。本当に溜めてから言うんだな。
ルシアンのモノマネ通りで、久しぶりに心の底から笑ってしまった。
ふと、僕は我に返って、ティーチャー・パンジーを見た。彼女は無言で教壇に立っていた。




