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偶然と希望の間(はざま)で  作者: ジン・ケンジ


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6/7

宗教のない世界

 図書館の建物、地面、植栽、様々なものを叩く雨音が、書架に囲まれた小さな一室を満たしていた。

 議論の熱を受け、テーブルに置かれた科学雑誌と聖書はまるで対峙たいじしているかのような雰囲気をかもす。物部と塩地の視線が沈黙の中で交錯し、やがて塩地が口を開いた。

「物部さん、宗教が対立を生んできた歴史があるのは事実ですし、我々は目をらさずに向き合わなくてはなりません。でも私はこうも思うんです。この世から宗教がなくなれば、本当に人は争わなくなるのでしょうか?」

 彼女の声は穏やかだが、その底には毅然きぜんとしたものがあった。

「第一次世界大戦も、第二次世界大戦も、冷戦も、宗教以外の理由で起きたものです。ロシアによるウクライナ侵略も、主な動機は政権の維持、NATOの拡大阻止、ナショナリズム、穀物や資源やパイプラインなどによる経済的利益であり、宗教のイデオロギーの影響は補助的なものでしかありません。もし宗教がなくなったとしても、別の理由で人は対立するでしょう」

 塩地が言葉を切ると、すぐさま物部が反論した。

「ですが、さっき挙げた十字軍による蛮行ばんこうも、パレスチナ問題も、北アイルランド問題も、インドとパキスタンの対立も、ロヒンギャ問題も現に宗教が理由で起こっている。それに二〇〇〇年代以降に宗教的動機によるテロが急増しているのも厳然げんぜんたる事実だ。しかも宗教が動機のテロはその他の動機のテロに比べて一件ごとの死者数が多い。9.11やパリ同時多発テロはその最たるものだ。宗教がなくなれば、これらの問題やテロによる死者は減少するのではないですか?」

 塩地はじっと物部の言葉に耳を傾けたあと、静かに口を開いた。

「たしかに、宗教を名目に掲げて行われる戦争やテロは数多くあります。大勢のかけがえのない命が奪われていくのは本当に心の痛む出来事です。でも、私はそれを『宗教そのもの』のせいにするのは早計だと思います。人は自分の欲望や憎悪、恐怖を正当化するために都合の良い旗印を探します。かつては王権、そして王権がなくなってからは、しばしば宗教や民族、政治的なイデオロギーなどがその旗印に選ばれてきました。もし宗教が消えても、他の理念や思想が次の旗印になるだけです」

 物部は眼鏡を押し上げ、軽く笑った。

「塩地さん、それは仮定に過ぎない。対して、宗教の『聖戦』がなければ、少なくとも一つの対立の火種が消えることは間違いない。宗教は信者に強いアイデンティティや正義の感覚を提供し、過激派が『神の意志』や『聖なる目的』によって暴力を行使する引き金を引く」

 塩地は首を振って応じた。彼女の瞳には、静かな炎が宿っていた。

「宗教自体が暴力の原因というよりも、解釈や政治的利用が問題なのです。物部さんは宗教が暴力を引き起こすとおっしゃいますが、私はまず暴力を振るいたいという欲望が先にあって、その欲望を満たす口実に宗教を使う人々がいるのだと思っています」

 塩地は物部の目を真っ直ぐに見据え、続ける。

「信仰の本質は、愛とつながりなんです。カトリックの最も重要な教えは『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして神を愛しなさい』『自分を愛するように隣人を愛しなさい』というイエス様の説かれた二つのいましめです。ここで説かれているカトリックの隣人愛には、マタイによる福音書にある『敵を愛し、迫害する者のために祈れ』『だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい』という言葉が示す通り、敵を愛し暴力を否定することも含まれています。それにカトリックだけではなく、イスラム教も本来、暴力を肯定しているわけではありません。コーランの第5章32節には『もし誰かが人を殺すなら、それは全人類を殺すに等しい。もし誰かを救うなら、それは全人類を救うに等しい』と明記されています。これはユダヤ教やキリスト教と同じアブラハムの系譜に属する宗教の普遍的な倫理なんです」

 彼女は一拍置いて続ける。

「たしかに『ジハード』という言葉がありますが、本来この言葉は内なる努力──つまり自らの欲望や怠惰、悪徳に打ち勝つための闘いを意味します。武力行使を認める場合も自衛に限定されており、無差別の殺戮さつりくは明確に禁じられています。にもかかわらず、暴力を望む者が教義を都合よく切り取り『神の名のもとに』と装う。だからこそイスラム教徒の多くは、過激派の行為をイスラムの名を汚す冒涜と断じているのです」

 塩地は熱を込めて語り終えると、物部をじっと見据えて彼の言葉を待った。物部は腕を組み、椅子の背もたれに背を預けていたが、やがて腕組みをやめてテーブルへと両肘をついた。

「なるほど、塩地さんのおっしゃることはよく理解できました。宗教は決して暴力を直接肯定するものではない。たとえ宗教を名目とした暴力であっても、それが本当に宗教を原因としているのか、宗教を単なる口実にしているだけなのかは、つまるところ暴力を行使した本人にしかわからない」

 物部はテーブルの上の科学雑誌をもてあそびながら続ける。

「戦争の原因が宗教だけではないのもその通りです。政治イデオロギー、経済的要因、ナショナリズム、国際的な力学、地政学的要因、国家間の怨恨、偶発的な事件や衝突など、様々な要素が複雑に絡み合った結果として戦争は発生します。そして、テロの根本原因は疎外感や抑圧、不平等感、アイデンティティの危機であり、それらを取り除かない限り、宗教がなくなってもテロはなくならない」

 物部はここで一呼吸置くと、どこか挑戦的な色を含んだ目つきで塩地を見やり、さらに投げかけた。

「ですがあえて言わせていただきましょう。宗教──特に一神教は、今挙げたこれらの要因による憎しみや対立を増幅する」

 塩地と物部の視線が真っ直ぐにぶつかり合い、鋭い緊張が走る。

「一神教の教義は必ず他の宗教や宗派を見下したり、敵視したりする意識を育てます。実際、日本の神道は欧米では原始的な劣った宗教と見なされていますしね。歴史を見てもその敵対的な傾向は明らかです。十字軍、宗教戦争、異端審問──キリスト教の過去は対立に満ちている。日蓮宗が他宗派に攻撃的だったのも、一神教的な性質によるものであることはいなめない。塩地さん自身、他の宗教やキリスト教の他宗派についてどう思っていらっしゃるんですか?」

 物部の問いかけが終わると、部屋にしばらくの間重苦しい沈黙が流れた。塩地はテーブルの聖書に視線を落としていたが、やがて視線を上げ口を開いた。

「たしかに、キリスト教の歴史には十字軍や宗教戦争、異端審問のような、信仰を口実にした暴力の時代がありました。それを否定することはできません。でも、それらの暴力はもちろんイエス様が説いた教えそのものではなく、人間の弱さや誤解の結果であったり、当時の為政者や教会権力が、自らの支配や利害のために宗教を利用した結果だと考えています。マタイによる福音書の第26章52節にも『剣を取る者は皆、剣で滅びる』とあります」

 彼女は一拍置いて続ける。

「一神教が他を排斥するとおっしゃいますが、同時に『全ての人間は神に似せて造られた尊い存在だ』という普遍的な人間観を生み出したのも一神教です。現代のカトリック教会は第二バチカン公会議以降、他宗教に対しても尊重と対話を重視しています。ユダヤ教やイスラム教を『兄弟宗教』と呼び、カトリックとプロテスタントの和解や、仏教や神道との対話も進んでいるんです。私の信仰は、キリスト教の愛の戒め──『心を尽くして神を愛し、隣人を自分自身のように愛しなさい』という教えから来ています。この教えは、日本の仏教や神道、それに儒教の価値観にも通じるものがあると信じています。たとえば、仏教の慈悲や神道の自然への敬意、儒教の家族や社会への責任──これらは、形は違っても、人の心に敬意や優しさを育むんです」

 塩地はここで一呼吸置いて、静かに続けた。

「数年前、私が人生に絶望していたとき、教会の祈りと仲間たちが私を支えてくれました。仏教のお寺で静かに手を合わせる人、神社で祈る人、彼らの心にも同じような希望があるはずです。私はキリスト教徒ですが、仏教や神道、キリスト教の他宗派を敵視するなんて考えられません。むしろ、それらの伝統が人々に与える意味やつながりに敬意を持っています」

 塩地はテーブルの聖書にそっと手を添える。

「教会には、絶望の中で祈りに希望を見出した人々が大勢います。宗教がなくなれば、そうした命が失われてしまうかもしれません。道徳心や優しさが弱まってしまうかもしれません。宗教が暴力の原因になることがあるとしても、宗教のおかげで暴力を踏みとどまれる人がいるのもまた事実です。世界から宗教がなくなれば、逆に争いが増える可能性だってあるのではないでしょうか」

 彼女はここで言葉を切り、物部の返答を待った。物部は腕を組み、じっと黙り込んでいる。彼は窓の外の雨に目をやり、静かにこぼした。

「塩地さん、科学者として正直なところを言ってしまうと、宗教をなくすことで世界から争いが減るのか、逆に増えるのか、あるいはあまり変わらないのかは、誰にもはっきりと検証できません。宗教のない世界と宗教のある世界──しかも宗教の有無以外の条件は全く同じもの──を二つ作り、両方を比べでもしない限りは。いわゆる対照実験というやつです。だが無論、そんなことは現実には不可能だ」

 物部はゆっくりと、窓の外へ向けていた視線を塩地に向け、続ける。

「塩地さん、たしかにあなたがおっしゃる通り宗教が人を救うことはあるかもしれない。でも、それは科学や芸術でも同じです。科学は医療や技術で命を救い、芸術は心を癒す。芸術が暴力の御旗みはたになることは宗教より圧倒的に少ないし、科学なら宗教と違い、効果をデータで示せます」

 物部は再び窓の外へと視線を移す。彼の言葉を受け、塩地が口を開く。

「物部さんのおっしゃる通り、科学にも芸術にも人々を苦しみから救う素晴らしい力があり、私はそれを尊敬しています。でも、科学や芸術が人々の苦しみを和らげてくれる一方で、『なぜそれをするのか』という問いには、信仰が答えをくれることがあります。例えば、キリスト教の『愛』の教えは、知らない誰かのために行動する理由を私に与えてくれます」

 塩地は穏やかな声で続ける。

「科学も芸術も、『なぜ生きるのか』という根本的な問いへの答えを、私たちに直接は与えてくれないのではないでしょうか。芸術は問題をわかりやすく提示することはあっても、その答えをはっきりと出すことはありません。科学は心臓を動かす仕組みを説明できても、『なぜその命を大切にしなければならないのか』という問いには沈黙せざるを得ません。宗教はそこに意味を与えます。愛し、ゆるし、共に生きるという意味を──。この『意味』がときに独善を生み、異端を排斥する口実になることはあるかもしれませんが、だからこそ私は、信仰の根本にある『愛』を伝えたいのです。神の愛にならって、隣人を愛する心を忘れなければ、宗教も、科学も、民族主義も、政治的なイデオロギーも、人を滅ぼすものにはならないはずです」

 塩地が言葉を終えると、再び雨音が強まり窓ガラスを叩いた。図書館の一室は二人の議論と雨の響きに包まれ、まるで一つの小宇宙のようだった。

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