第1話
やれやれ、またこの季節か。
教室の空気は、妙な熱気と冷ややかな視線で満ちている。
今日、アスフォード魔法学園では、忌々しい魔力測定の結果発表が行われるのだ。
俺、レオン・アークライトは、最後列の窓際の指定席から、憎々しげに黒板を睨みつける。
翡翠色の瞳に映るのは、どうせ分かりきった結果だ。
「――以上が今期の魔力測定結果だ。各自、自分の順位をよく確認し、今後の精進の糧とするように」
魔法実技担当のアルバトロス教授が、わざとらしく咳払いをして言う。
その視線が、ちらりとこちらを向いた気がする。
いや、気のせいじゃない。
確実に俺を見てやがる。
案の定、黒板に張り出されたランキングの最下位、ぶっちぎりのビリッケツには、見慣れた名前が刻まれていた。
『レオン・アークライト:測定値 0』
ゼロ。見事なまでに、ゼロ。
清々しいほどのゼロだ。
クラスメイトたちの、抑えきれない失笑と憐憫の視線が背中に突き刺さる。
針千本飲んでる気分だぜ、まったく。
「アークライト、またゼロか。歴代最低記録更新おめでとう」
ほら来た。アルバトロス教授の、ねっとりとした皮肉。
毎年毎年、飽きないのかね、この男は。
「どうも」
俺は表情一つ変えず、短く返す。
内心じゃ舌打ちの一つや二つしてるが、ここで騒いだところで何になる?
諦めと、ほんの少しの怒りが腹の中で渦巻くだけだ。
「本来なら魔法学園にいる資格すらないんだぞ。感謝しろ」
追い打ちをかける教師の言葉に、クラス全体がどっと笑う。
知ってるよ、そんなこと。
没落貴族アークライト家の生き残り、魔力ゼロの落ちこぼれ。
それが俺の、この学園での立ち位置だ。
ふと、窓の外に目をやる。
石造りの校舎が並ぶ向こう、ひときわ高い上級クラスの塔が見える。
そのテラスで、銀色の髪を風になびかせる少女の姿が一瞬、目に映った。
リリス・フォン・シュタイン。
学園首席にして、名門貴族の令嬢。
そして――俺の、忌々しい幼なじみ。
今や、住む世界が違いすぎる。
(こんなクソみたいな階級社会、いつか絶対、ぶっ壊してやる)
心の中で毒づいた瞬間、左手の甲に、ピリッとした微かな痛みが走った。
見ると、淡い光の筋が一瞬だけ浮かび上がり、すぐに消える。
最近時々起こる、この奇妙な現象は一体なんなんだ?
授業終了の鐘が鳴る。
俺は誰よりも早く席を立ち、教室を飛び出す。
この動きだけは、学園の誰にも負けない自信がある。
俺は廊下を疾走する。
目指すは、人のいない中庭の木陰だ。
◇
昼休み。
喧騒を離れ、俺は中庭の古びたベンチで、分厚い魔法史の教科書を広げていた。
どうせ実技はゼロなんだ、座学くらいはマシにしておかないとな。
汗ばむ額を手の甲で拭う。
陽射しがやけに眩しい。
「キャッ!」
突然、近くで短い悲鳴と、何かが割れるような音がした。
面倒事はごめんだが、無視するには声が近すぎる。
やれやれ、と溜息をつきながら音のした方へ向かうと、オレンジ色の髪をした小柄な少女が、数人の上級生に囲まれていた。
制服は中級クラスのものだが、胸元には誇らしげに「特待生」のバッジが輝いている。
「平民のくせに、上級魔法の練習なんて百年早いのよ!」
リーダー格らしい、意地の悪そうな顔をした女子生徒が、少女の足元に転がった魔法薬の瓶を蹴り飛ばす。
高価そうな瓶は、音を立てて砕け散った。
「そんなことない! 才能があれば、誰だって上級魔法を学べるって、学園の規則に書いてあるもん!」
少女は怯むことなく、大きな琥珀色の瞳で毅然と言い返す。
なかなか根性あるじゃないか。
「ふん、下賤な血筋が。シュタイン様のような高貴な方々と同じ魔法に触れるなんて、身の程を知りなさい!」
別の女子生徒が、少女の教科書を地面に叩きつける。
教科書は無残にページを散らした。
(見て見ぬふり、見て見ぬふり……)
俺は自分に言い聞かせる。
ここで首を突っ込んだところで、魔力ゼロの俺に何ができる?
それに、こいつらは上級生だ。
下手に逆らえば、停学じゃ済まないかもしれない。
だが、少女の真っ直ぐな瞳が、俺の心の奥底にある何かを刺激する。
そうだ、俺だって、ずっとこんな理不尽に耐えてきたじゃないか。
「……ちっ、面倒くせぇ」
俺は無意識のうちに立ち上がっていた。
そして、何食わぬ顔で上級生たちのグループに近づき、リーダー格の女子生徒の真横を通り過ぎる瞬間――わざとらしく足を引っ掛けた。
「おっと、すまない」
派手にすっ転んだ女子生徒が、顔を真っ赤にして俺を睨みつける。
「あんた! 魔力ゼロのレオン・アークライトね! ただでさえ目障りなのに、何するのよ!」
「いやぁ、わざとじゃないって。不可抗力、不可抗力」
俺がヘラヘラと謝るフリをしている間に、他の上級生たちが怒りに燃えて魔法を構え始めた。
まずい。これは予想以上にヤバい状況だ。
「逃げるぞ!」
俺は咄嗟に、呆然としているオレンジ髪の少女の手を掴み、全速力で走り出した。
背後から何やら魔法が飛んでくる気配がするが、振り返る余裕はない。
俺の取り柄は、この脚だけなんだからな!
「ちょ、ちょっと! 速いって!」
少女は驚きながらも、必死に俺についてくる。
入り組んだ学園の裏路地を抜け、ようやく追手を振り切った。
二人して壁に背をもたれ、ぜぇぜぇと肩で息をする。
「……ぷっ、あはは! なにあれ! 面白すぎ!」
先に息を整えた少女が、突然笑い出した。
「は? 何がおかしいんだよ」
「だって、魔力ゼロなのに、あの上級生相手にあんなことするなんて! あなた、最高!」
底抜けに明るい笑顔だ。
俺は毒気を抜かれ、思わず苦笑する。
「フィオナ・グレイウィンド。見ての通り、特待生コースよ。あなたはレオン・アークライトよね?」
差し出された小さな手を、俺は少し戸惑いながら握り返す。
「そう、学園最弱の男だ」
「知ってる! 有名だもんね!」
フィオナは悪びれもせず、あっけらかんと言う。
こいつ、もしかして相当な天然か?
「助けてくれてありがとう! レオンって、噂と全然違うんだね!」
噂ねぇ。どうせロクなもんじゃないだろうが。
「……別に、お前のためじゃない。あいつらがムカついただけだ」
俺はぶっきらぼうに答えるが、フィオナは気にした様子もなく、「それでも、嬉しかったよ!」と満面の笑みを向けてくる。
なんだか調子が狂う。
だが、学園に来て初めて、まともに会話できる相手ができたような気がした。