64 走りたくないんだが
「え…速い…」
「ああ…これは思ったよりも…」
リレーの練習中、優と七海はつい言葉を漏らしてしまう。
それはなぜかというと、ある生徒の走りが衝撃的だったからだ。
「あの人は確か…」
「甲斐田翔也。聞いた話だと、1年生の陸上部の中で1番速いらしい」
優の発言に七海は目を見開いてしまう。
「そう、なんだ…。あれ、一条くんより速いんじゃない?」
「ああ、多分な」
周りから向けられる驚きの視線を気にすることなく翔也は冷静な表情でいる。
普段はクールで不気味な印象だったが、ここまで運動神経がいいとは。
これならアンカーは決まったも同然と、この場にいるほぼ全員がそう思っていた。
だが、七海は違った。
「でもやっぱり優くんの方が速いかな」
隣で呟く七海に優は戸惑いながら返答する。
「いや、流石にあれよりは速くないって」
「嘘つかなくていいんだよ?」
「嘘って…なんか期待しすぎじゃない?」
「そう?私は冷静に分析した上でそう思ってるんだよ?」
どうやって優のことを分析したのかは謎だが、それには触れないでおく。
とにかく今はこの状況をどうするべきかを考える。
(さて、どうすっかなぁ…。流石に本気で走るわけにはなぁ…かといって遅すぎてもなぁ…ま、男子の中で4番目ぐらいに速かったらいいか)
そんな結論に至り、優は女子が走り終えるのを待つ。
5分後、女子の2ペアが走り終わり、とうとう優と七海がスタートラインに立つ。
その瞬間、2人は周りのクラスメイトから鋭い視線を受ける。
(うわぁ…なんかみんな対抗心ヤバくね?)
「ねぇ優くん」
周りからの視線に圧倒されそうになるが、七海から声をかけられる事でそんな事は忘れてしまう。
「ん?どした?」
すると七海は真剣な表情をする。
「本気で、やろうね」
七海の心がどれだけ燃えているのか、優には分かった。
それに影響されて優の心にも少し火がつき、七海の言葉を首を縦に振って承諾する。
その後、柊太が大声で掛け声をかける。
「それじゃあ準備はいい?位置についてよーいどん!」
その瞬間、七海は全速力で走り出す。
少し出遅れた優はそれについて行くように走り出す。
(そんな序盤から飛ばして大丈夫なのか?)
優の目には最初から全力のように見えて、体力切れを心配する。
だが、それは杞憂だった。
七海のペースは一向に落ちない。
むしろ加速しているまである。
(こいつ…速いな…)
優は七海の後ろからスピードに驚く。
(ふふん、私も成長してるんだよ?)
優の表情が見えたようで、七海が心の中で滅茶苦茶ドヤる。
七海が優の表情を見れるなら、当然逆も見える。
優には七海のドヤ顔が見え、心の火が大きくなる。
(ドヤりやがって…絶対負かしてやる…)
半分を通過した頃に優は加速する。
瞬く間に七海の横に並んだ。
(っ⁉︎やっと少し本気を出したね…でも、私もまだ!)
優に影響され、七海も加速する。
その風景を見ているクラスメイトは、七海の走りに圧倒されている。
男子のリレー選手相手に互角以上に渡り合えているという事実が、この場にいる全員を唖然とさせる。
その時、優は影だった。
光り輝く太陽の反対側にある、何の変哲もない影。
その事実を知り、優は劣等感を抱くと同時に、闘志に火がつく。
(やっぱりすげぇよ七海。昔はあんなにちっこくて弱かったのに。俺も、負けてられないな)
最後の直線、優は最大出力で加速する。




