131 絶望なんだが
ある日の休み時間、優は急ぎ足で保健室に向かっていた。
焦りからか汗がダラダラ出ているが、そんな事を気にする余裕はなく、そのまま中に入っていく。
「失礼します」
「あ、きたきた。こっちだ」
保健の先生に案内され、ベッドのカーテンを開く。
「お兄…さん…?」
「有咲っ!大丈夫か⁉︎」
ベッドに横たわっている有咲に声をかける。
「はい、大丈夫です」
いや、大丈夫な時の声ではない。
細くて小さい、まるで病弱だった昔のような声だった。
優の心配は加速し、自分に何ができるか必死に考える。
(とりあえず母さんに連絡してそれから薬を飲ませてそれからえっと…)
「落ち着け如月。君が慌ててると妹も不安になるだろう?」
「…そう、ですね」
先生に肩を叩かれた瞬間に目が覚め、落ち着きを取り戻す。
冷静に、先生に何があったのかを訊く。
「朝から体調が悪かったようだが、先程の体育の授業に参加した時に悪化したようだ」
「朝から…ですか」
なぜ気づかなかったのだろうか。
確かに顔が赤い気がしたが、それはいつもの照れ顔なのだと思っていた。
でも、実際は違った。
その事実が、優の首を絞めていく。
「ただの風邪っぽいし、薬は飲ませてあるから寝たら治るだろうが…どうする?帰らせるか?」
「はい、お願いします」
優が即答すると、先生は早速電話するために少し離れて行った。
その時に、有咲が苦しそうに声を絞り出して話してくる。
「私は…大丈夫です…。きっと寝たら治ります…から…ゲホッゲホッ…」
「何が大丈夫なもんか。こんなにしんどそうにしてるのに…」
額を触ってみると、やはり熱い。
その瞬間、優はあの頃を思い出す。
よく熱を出して、よく泣いていた、昔の事を。
最近はそういう素振りを見せなかったので、余計に心配になってくる。
(また、あの頃みたいに…)
そんな最悪の想定を、頭の中で浮かべていた。
「ふふふ…お兄さんの手、あったかいです」
有咲は目を瞑っているので、こちらの表情は分からないのだろう。
こちらはこんなにも心配しているというのに、当の本人は呑気なことを言っている。
いや、これは平気なフリをしているだけだろう。
長年そばにいたからこそ、今無理をして平静を取り繕っているのが分かる。
「有咲…。無理しなくていいんだぞ。しんどいならしんどいって言え」
「いえ、そんなことは…」
「嘘はダメだぞ。もう一度訊く。しんどいか?」
いつもより強い口調で、有咲に正直な気持ちを吐かせようとする。
有咲もいつもと違う兄の雰囲気に驚いている。
そして少しの沈黙の後、有咲は涙を流しながら口を開いた。
「しんどい、です…。お兄さん…私、しんどいですぅぅぅ!!」
正直な気持ちを言ってくれた有咲を、精一杯抱きしめる。
「いやですこんなのぉ…辛いです…痛いですぅ…」
「そうだよな。しんどいよな。ごめんな、何もしてやれなくて」
有咲は優の胸に顔を埋めてしばらく泣いた。
優はただ慰めながら頭を撫でることしかできなかった。
そんな無力な自分を呪いながら、母の到着を待っていた。
それからどれだけの時が経っただろうか。
絶望に打ちひしがれている優は、時間の感覚は愚か、自分の身体の感覚さえ無くなっていた。
今にも止まってしまいたい。
今にも倒れてしまいたい。
もう呼吸さえしたくない。
現実に絶望し、意識が朦朧としていた頃に、肩から熱が伝わってくる。
「如月…大丈夫か…?」
先生から話しかけられ、何とか意識を引き戻した。
「ええ、大丈夫です」
「いやどこが大丈夫なもんか。汗がダラダラじゃないか。顔色も悪いぞ」
「……」
先生に指摘されてから、自分がいつもとは似ても似つかないような状態である事に気づく。
「大丈夫…ですよ。多分」
「いや、よく見せてみろ。君も何かあるかもしれないから」
「いや何もないで__」
「有咲っ__!有咲はどこですか⁉︎」
ここでようやく母の奈々が到着した。
奈々は慌てて来たのか汗をかいているし、今もとても焦っているように声を荒げている。
奈々が部屋の中を見渡すと、途中で優の姿を発見し、そちらに有咲がいるのだと察してやってくる。
「優…?あなたも体調が悪いの?」
「ん?いや別に…」
すぐに有咲のもとへ行くかと思えば、途中で足を止めてこちらにやってきて額に手を当ててきた。
「少し熱い…顔色も悪いし…先生っ」
「ええ、息子さんも帰宅された方が良いかと」
「え?いや俺は何も…」
「君、本当に体調が悪そうだぞ?丁度いいし、連れて帰ってもらった方がいい」
「いや本当に大丈夫なんで」
「ほら優、帰るわよ。有咲は?」
「………こっち」
優はベッドの方を指差す。
「有咲…大丈夫…?」
「はい…なんとか…」
「いやそんなわけないだろ。滅茶苦茶しんどいだろ?」
「……」
「と、とにかく、家に帰りましょうか。先生、ありがとうございました」
奈々が有咲の身体を支えながら車に向かう。
「えっと…ありがとうございました」
「いいや、礼には及ばないよ。それより、君も安静にするんだぞ?」
「はい、わかっています。それでは、さようなら」
優は頭を下げた後、保健室を後にした。




