92 王宮の庭
ベ太郎を担いで、道案内をさせながらお城に向かって走る。時間は夜明け前、空はだいぶ白んできたけれども、停車場を過ぎれば人影はほとんどない。さすがに、そうじゃなかったらここまで強引なことはできないよ。
担ぐ、といっても、あいかわらずわたしには腕力があるわけじゃぁない。勢いとか空気の流れに乗せて、一度放り投げて、その高さで滑空させながら、向きと速さを下から調整してあげる感じ。
だから、足を止めたり、のんびりとしてはいられない。これに関しては自分で理屈がわかってるわけじゃないから、どうしても曖昧な説明になります。
このべ太郎、こんな感じで運ばれているというのに、ちょっと曲がる道を間違えたりするとそれはもう烈火のごとく怒る。次の角で曲がれば済むのに、思わず身がすくんで落としそうになるくらいキレる。
これはたぶん、思う通りに物事が進まないのが許せないタイプだ。面倒くさい男! 今からでも、別のひとに担当を替えてくれないかな。
そうして15分くらい走ると、お城の裏口通用門に到着。思いっきり走ると早いねぇ。
で、ここからどうしようか、べ太郎。あれ、死相が浮かんでるよ、どしたの? 運ばれて、しんどい。大の男がだらしない。
少し休んだ後、門番さんに、瀕死のべ太郎が掛け合って、わたしはサッちゃんの手紙のハンコだけ見せて、驚愕の表情の門番さんの敬礼を受けながら城内へ入る。妙に、門番さんの視線が熱い。ひょっとしてサッちゃん派?ファン?の門番さんなのかな。
城壁の高さ、厚みに比べて狭い狭い通用門を通る。王宮の城壁は王都の街に入るときの大城壁と同じように頑丈で重苦しい壁で、その先も道は狭く、グネグネ曲がっていて、さっそくひとりで帰れる自信がない。
先導されるままについていくと、やがて庭園に出てきた。壁が高いのでわからなかったけれど、広い空間に出ると、昇ってきた朝日がまぶしい。
空は朝焼けの赤い光と濃い紫のきれいなグラデーション。それを受けた、さまざまの花が日向は赤、日陰は青に染まって咲き乱れている。わあ、この風景を見れただけで幸せ、生まれてきてよかった。思わず、くるくる回っちゃう。
「そこの東屋で待っていろ。まだ朝早すぎるから時間がかかるだろうが、誰か連れてきてやる。ここでお前が暴れたりしたら、サディク殿下の責任問題になるんだぞ、大人しくしていろよ、絶対だぞ!」
「えぇー、東屋?」
「何が不満だ。宮殿に入るには高い格式か山ほどの手続きが必要なんだ。そのルールを破ったら、当然、逮捕・投獄だ。庭なら、散歩中の王族が庭師とかの庶民へ気さくに声をかけることもある、という体裁なんだ。頼むからじっとしていてくれ。」
彼らにとってはどうだか知らないけれども、わたしにとっては東屋といえば六人衆が裁きを待って畏まっていたスペースだ。験が悪い。そう言って嫌がったのに、べ太郎は聞きもせずに行っちゃった。アッちゃんが来たら、本当に担当を替えてもらおう。
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草木に宿った朝露の玉が白くまばゆく輝く。小鳥のさえずりに続いて、人々の動き始める音がそこかしこから響く。
庭園を夢中で見て回っていたアイシャも、そのうちに疲れて東屋の椅子に腰掛け、退屈そうにただ、ぼんやりしている。きれいに咲いていた花を一本手折って髪に挿して、シーリンにもらっていた手鏡で良い感じをチェックして、ひとり悦に入る。それにも飽きて、小さくあくびをひとつ。今朝は特別早起きだったことを思い出して、椅子を並べてきて横になる。
気がつくと、すこし眠っていたらしい。東屋のテーブルの上にはお茶が出てきていて、うっすら湯気を放っているが、ちょうどいい温さだ。
あわてて髪を直していると、ようやく近づいてくる気配がひとつ。その周りに、存在感の弱いのが5つ。そちらを向いて、見知った顔を確認して、「こっち、こっちー!」と大きく手を振る。
「来ちゃった♡ こんな寒いところまでお呼び立てしちゃってごめんね、アッちゃん。」
「お呼び立ても、寒い所も、僕の家なんだがね。遊びに来てもらうにはずいぶん早い時間だが、どうしたのかな?」
登場したのは、王太子アスラン。アイシャとは一回、短時間会ったきりだが、特別にアッちゃん呼びを許された仲だ。王太子の後ろに並ぶお付きの5人は驚いたような、呆れたような、立腹しているようなさまざまの顔をしているが、口出ししてくる様子はない。
「あ、そうだ、めっちゃ朝早くでした。本当ゴメン。あのべ?…べ太郎が性懲りもなく監視に来たのを捕まえて案内させたものだから。お願いしたいこともあったし。アッちゃん、朝ごはんは?」
「朝食は今、こちらに運ばせているよ。アイシャも、まだだったら一緒にどうだい?」
「ありがとうございます! 催促しちゃったみたいで、悪いねぇ☆」
王太子の朝餐はアイシャの期待ほど豪華なものではなかったが、大きなオムレツにはベーコンが入っていて、スープの具の正体がアイシャにはわからなかったが目が覚めるほど美味で、昨日の朝食とは比べられない素晴らしさ。アイシャは早くもここに来た目的の半分が達成されたと錯覚するほどの満足度だ。
「で? お願いしたいことって何かな? 朝食?」
ニコニコしながら、また眠そうな顔になっているアイシャに王太子が念を押す。お付きの人たちは別に朝食を済ませていて、ずっと待っているのでかなりのイライラが見て取れる。
「そうでした、それ! お願いですけど、例のハーフェイズさんを数日か、もう少し貸してもらえないでしょうか!
というのも、あの結婚話ですよ! ひどくないですか? シーリンちゃん、泣いて嫌がって、家出しちゃってるんですよ。
だからせめて、ハーフェイズさんに女心がわかるように強化合宿してあげて、シーリンちゃんが喜んで結婚を承諾してくれる男にしてあげようというのです!」
アイシャには、その場しのぎの小狡い嘘に対する忌避感があまり無い。今までの人生、それで割とうまくやって行けているからだ。むしろ、正直に、素直にやっても失敗したことばかり記憶に残っている。
だが、今回の相手は王家だ。それがどういうことか。これからわかるのか。案外、わからないままでも平和な人生を送れるのか。結論は、遠からず出るだろう。




