90 巡礼宿にて
散々な目にあったが、日が暮れて真っ暗になる前にはシーリンちゃんセレクトの巡礼者用の宿に泊まることができた。
いやまったく大変だった。結局もみくちゃになったところでヤクタの懐から抜け出て、オーク族の陣に潜入したときも使った“気配を消す技”をつかって3人バラバラに人混みを抜けたまでは良かった。
でも合流地点は決めていたのに、当然のようにわたしが迷子になって、一時は本当にどうなることかと。ヤクタは悪目立ちしすぎたので先に宿をとって籠もって、シーリンちゃんが私を探してくれていたらしい。
けれども、2人で合流してからまた迷子になって、わたしも気力が尽きて人の気配が掴めなくなったところで、勝手にぶらついていたヤクタに奇跡的な流れで拾ってもらえた、という状況。
界隈では「消えた新聖女を探せ」ムーブメントが巻き起こっていて、「新聖女はスカートが短い」を合言葉に、手がかりとして大女と覆面女も追われている。ので、シーリンちゃんは覆面を外し、ヤクタは薄汚れた男装をすれば、ほぼ周囲に紛れてしまう。わたしはシーリンちゃんの着替えのふつう丈スカートに物陰で履き替えて、ひとまず安心できていた。
そうして、巡礼者のお宿に1泊で3人同室の1部屋をとって、夕食をいただきながら明日からの作戦会議。
朝食の量が多すぎて、まだ空腹ではないけれど温かいものを口にすると心が休まるのよね。ちなみに夕食は硬いパン、肉の切れ端が入ったヨーグルトのスープ、煮豆。巡礼者価格・銅貨3枚はお値打ちだけれど、別に美味しいものではない。
「シーリンちゃんは、家出をやめる気は? 「ない。」…あ、そう。
うーん、これからやっていきたいことは、まずべ太郎に無理やり、アッちゃんと会うアポを取らせて、問題の“天剣”ハーフェイズさんと直談判することが、ひとつ。
それから、道場のゲンコツちゃんの様子をうかがって、手を貸して、計画をうまく進めてもらうこと。
最後に、わたし自身も根城を定めて、自分がやりたい仕事に出会って、楽しく生きていくこと。そんな感じなら、王都のどの辺に住むのがいいのかなぁ。」
とりあえず、わたしが言いたいことを言っているあいた首をひねっていたヤクタが、硬いままのパンをゴリゴリバリバリ音を立てて咀嚼してから発言する。
「最後のは急ぐことじゃねぇから、まずベフラン探しと道場通いだろうな。何なら道場に住み着いて、乗っ取ってやってもいいんじゃねェ?」
「私が迷惑かけてる自覚はあるんだけどぉ。アイちゃん、王太子さん方面に関わったら“超聖女”を知らぬ存ぜぬで押し切るのは無理だと思うよ。アレも悪い進路じゃないと思うけど、やっぱりイヤ?」
「“スカートが短いのが新聖女”ってか。笑ッちまうな。」
「…あの塔の中で、一生、あの武神様のお話相手して生きるの? あと80年以上、恋も知らずに。超・却下だよ。」
「…ねぇヤクタさん、ねぇねぇ、アイちゃんって恋愛に向いてると思う? 私は恋愛のこと分からなんだけど。」
「無いだろ。アタシも知らんけど。」
頼りない仲間たちがボソボソ耳打ちしている。とにかく、明日は早朝から帰りの二等馬車に乗って、昼下がりにゲンコツちゃん道場に挨拶に行く、ついでにべ太郎を見かけたら捕まえておく。それだけ決めて、早めに寝ることにした。
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その日の夜中。
ランプ一灯を灯した真っ暗な部屋で、頭を抱えて声にならない叫びを上げる人影がひとつ。
密偵のべ太郎こと、ベフランである。
昨日、アイシャの見張り中に発見され、問答無用で拉致され、脅迫され、陰謀未満の猿芝居に無理やりつきあわされ、その顛末を這々の体で宰相閣下へ報告に上がったところ、幼い頃からその善性、穏当、高徳に定評がある、“傑物”こと宰相閣下から罵倒に次ぐ罵倒、怒声、叱声、グラスなどを投げつけられ、眉間の傷が開いて宰相の裏執務室を血だらけにしてさらなる不興を買ったベフランである。
本日は体力的に瀕死だったので、部下にアイシャの監視を任せ、自身は書類仕事をしていたところ、夕刻になってアイシャ係からの報告が上がってきて、アッと咆哮をあげ、3時間気絶していたベフランである。
あのアホ娘が、聖女! どころか、大聖女、超聖女? 聞いた瞬間、塞がりかけた傷口からいきよいよく血が吹き出したほどの怒り。
やはり、面が割れていないとはいえ、部下に任せたのはまずかった。伝え聞きでは実際に何があったのか、意味がわからない。上に報告するために部下を問い糾してもまるで要領を得ない。ただ、スカートが短い娘、極端な大女、覆面の巨乳女の3人組となれば、あの3人組であることに疑いはない。
部下も無能ではなく、奴らの宿までは突き止めていた。彼の推測するところでは、気配遮断の魔術を使ったのではないか、とか、その上で執拗に追跡を撒こうと不自然な経路を辿っていた、とのことだが、あの女のやることは考えすぎても空回りさせられるだろう。直に聞いたほうが早い。
アイシャたちを朝から監視すべく外出しようとしたベフランに、宰相府からの急な呼び出しが入る。
全然別件だったらいいのに。見込みの薄い希望を抱きつつ包帯を巻き直して、最低限、偉い人の前に出られる格好を整える密偵であった。




