77 観光
王太子一行が帰っていった後も、邸内では混乱が続いていた。男爵家に入ってきた情報によれば、どうやら近辺の外郭都市までも“声”は響いていたらしい。
既に王都じゅうで“神の子シーリン”探しが始まっている。しかし、“豊穣”を意味するシーリンの名はこの国でそこまで珍しくはないうえに、当のシーリンの生存・帰還の情報はまだ広まっていないため、騒ぎの渦は本人にはまだ遠い盛り上がりだ。
今朝の一件は口止めされていて、カーレン家としては身動きがとれない。とはいえアクが強いタイプではなくても商売人。緘口令が解かれた瞬間の商機を逃すくらいなら地獄に落ちる方を選ぶ。すでに“使徒シーたんグッズ”企画制作チームが32人で組織されて、試作品の開発に勤しんでいる。
シーリンは本気泣きで父に取りすがって企画の中断を願ったが、こんな時こそ未婚の娘の立場の身軽さが祟って、もはや個人の希望でどうにかなる段階ではなくなっていた。
せめてもの救いは、パパにも最低限の意地として「神の子じゃなくて俺の子だ」という気持ちがあって“神の子シーリン”は邸内で禁止用語とされている。それを喜べと言われても無理な話ではあるが。
アイシャは、アッちゃんから帰り際に「ベフランの余計な挑発にどう責任を取らせるか」と聞かれて、それまでは舌を抜こうか、口を裂こうかと思っていたものの、王子様から謝られた上にひと運動して気が晴れてしまうと恨みも持続せず、「次はない」の一言で結論とせざるを得なかった。
だが、そのことはもう終わったことだ。今の問題は、邸内の人々にとってアイシャが畏怖の対象になってしまったということ。
神がかった力もさることながら、当主である男爵にとっても、なお雲の上の人である王太子殿下からあだ名呼びを許され、ボディタッチ込みで親しく会話したことは、ある種のとてつもない力を持っていると証明したことになっている。
昨日、あんなに親しかったメイドさんが、今、アイシャが呼び止めた瞬間に土下座するまでに。身分の差とはそこまで残酷な力を持つのだ。
「しょうがないよ、当主様が60度に腰を折る人を昨夜きせかえ人形にして遊んで、今日、その人物は恥をかかせた人を許さないって明言したんだから、どう対応したらいいかわからないんだよ。」
棘を感じるシーリンの物言いに返す言葉もなく、居心地が悪い思いのアイシャ。宿をとって移り住んだほうがいいか、豪華で快適な無料の部屋と食事のために多少のいたたまれなさは我慢するか、悩むうちにその日は暮れた。
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「ハラ痛ぇ。あー、アタシは今日・明日は雲隠れするから。あ、雲隠れする必要はないんだった。とにかく明後日まで引きこもって何もしないからな。」
明くる朝、ヤクタが相変わらずのだらしない薄着でお腹をさすりながら起きてきた。王都は今までの街よりすこし標高がある所にあるから、ちょっと涼しい。その格好なら寝冷えもするだろう、案外デリケートだね。腹巻き、いる?
「悪いな、ちょっとはマシになるか。
森にいた頃は隠れ家を10箇所くらいつくって月に数日は行方を晦ましていたもんだが、カタギ生活は楽だな。これだけでも賊を辞めた甲斐があるってもんだぜ。」
「ん? そんな毎月、お腹壊してたの? 変なもの拾って食べちゃダメよ。」
「アホか。あるいは、オマエまだなのか。」
「……! マダジャナイヨ!私のはそれ用の装備にするだけで特に響かないからちょっと他人のは気づきにくいだけだよ!」
「マジか。いいなそれ。」
「うん。」
オトナの知恵で詳細は伏せるけれども、ヤクタは今日、わたしの相手をしてくれないらしい。シーリンちゃんも外出禁止令を親御さんに出されたんだって。仕方ない。今日はひとりで王都観光だ。
「待て。オマエは1人で出歩くんじゃない。そうだ、六人衆が暇してただろう。チャリパでも連れていけ。大勢になるとまた別の騒動になりそうだからな。あー腹痛え。」
*
この信用の無さは、一体なんだろう。わたしがヤクタに迷惑をかけたことなんて、彼女の盗賊団を滅ぼしたことくらい。んー。十分だったか。
信頼されることは難しい。って、お父ちゃんも手習いの先生も言っていたし、何度かは言うことを聞いてみて、それで信頼してもらえるか試してみよう。まずは、チャリパおっ母さんを探す。どうせ六人衆は朝から裏庭でお稽古だろう。
「姫様の、お供! ハッ、光栄です!喜んで!」
「責任重大だぞ! 粗相のないよう、しっかりご案内いたせ!」
これだ。こう畏まれると「実はわたしバカなんです」とは言い出しにくくなって困る。ヤクタはそういうところ変わらないから貴重な友人だ。でも、肝心な時にいなかったりサラッと逃げていたりするので困る。まあここは、精一杯賢いふりをしなきゃ。できる範囲で。
「昨日の神託とかの後の街の様子を見に行くよ。ついでにアクセ屋さんとかお菓子屋さんも見に行きたい。案内よろしく。」
「アタシは姫様に似合うような可愛らしいものはどうも不案内で……野郎どもよりはマシか……。街の様子なら、まず冒険者ギルドに出掛けましょう。そこの女どもならお望みのものがある店も知っているでしょうし、役に立たなきゃあ戦争だ。」
冒険者ギルド! 全然知らないけれど、何故かときめくものがある響きの言葉だ。ぜひ、行ってみたい。何やら物騒な論理の飛躍が引っ付いていた? たぶん気のせい。大丈夫さ。
*
朝食をゆっくりすませて、世間的にはお昼といってもいい時間に、昨日は不発に終わったお洒落ルックで街に出ます。考えてみれば領都でもろくに観光できなかったから、超ウキウキ気分。おっ母さんと並んで歩くと、さながら美女と女獣か。何だっけそれ。
男爵邸の門を開けて出ると、いきなり周囲から視線が刺さります。なに、どこか変?スカート短いから?
「男爵邸、注目されてますね。」
あ、そっち? 話が漏れるのも時間の問題なのかも。




