75 シーリンの剣
人生のなかで、“神の声を聞く”という経験を、どれほどの人がしたことがあるだろうか。
何をどう語りかけられたにせよ、それ相応の名のある宗教家か、名うての奇人でもなければ、他人に話して益のある体験だとはなかなか言えないことだ。
「あ、試合開始!って、わたしが言ってもいいですか!」
「ちょ、ちょっと、待ちたまえアイシャ! さっきのは、真に神の声か!? 我々には、少々理解する時間が必要だ!」
王太子が前に出て中断を命じる。シーリンのパパも姉も、声に驚いて立ち上がり、そのまま腰を抜かしている。六人衆は黙って座っているが、動揺を押し隠している雰囲気が強く漂っている。ヤクタさえ、難しい顔をして腕組みの姿勢だ。
シーリンは、バツが悪そうにモジモジしている。対する“天剣”ハーフェイズは、名指しで神託を受けた興奮甚だしく、鼻息を荒くして素振り稽古など始め、今にも光るオーラでも発しそうな勢いだ。武力は4000にも迫ろうかとアイシャには見える。最初に見たときの10倍だ。この数字、いまいち当てにできないかもしれない。
「私が祭壇で聞いたカムラン様の声と同じなので、確かに今のはその神様の声です。アイちゃんのエ…神様の声はどんなだったの?」
「うちの武神様はもっと気軽な感じで、他の人にまで声は聞かせられないみたい。あ、怒らせたらスゴイ雷の音がしたよ。」
アイシャと武神は半月に一度だけ会話できるが、前回、川船での会話からまだそれほど経っていないので、今はまだどうにもならない。不便だ。アイシャは日頃から可愛さを心がけているので舌打ちなどはしないが、怨めしげに空を見上げて溜め息をつくくらいは許されるだろうと思っている。
王太子はなおも首をひねりつつ、何か考えている様子だ。しかし考えて良い結論が出る種類の事態でもあるまい。わりとアドリブに弱いタイプだな。すこし弱味が見えた気がしてニヤリとするアイシャを他所に、ヤクタが発言する。
「なぁ、あんなお告げがあったことだし。こんな小さなところじゃなくて、でっかい所で大々的に人を集めて、イベントにしようぜ。」
「武闘会か…」
「そう。せっかくだから世界一を決めよう。オーク族にもツテがあるんだよな、その小者。」
「いやムリ!無理!」(ベフラン)
「何を言っておるのだ女…。」(天剣)
「ヤクタの儲けにはならないと思うよ。」(アイシャ)
「勘弁して……」(シーリン)
「悪くないとは思うが、そのためにも使徒殿2人の実力を見させてもらう必要がある。少なくともハーフェイズと良い勝負をしてもらわねば。」
面白がりの提案は勢いよく却下されてしまい、「ちぇー、アイシャ、名前を売るんじゃなかったのかよ」と唇を尖らすヤクタ。いや、売り方というものがね? それじゃ、ヒーローじゃなくてラスボスになるから。口ぶりの割に尻が重いアイシャとしてはどうしても、反論の歯切れが悪い。
*
「ならばシーリン嬢、いつなりとも、かかってきなされ!」
“天剣”ハーフェイズが広場中央で堂々と剣を構える。その一瞬で場の空気を支配する、圧倒的な強者の威圧感が風として叩きつけてくるようだ。シーリンちゃんは腰を抜かしていないだろうか、アイシャの心配は半ば当たって、シーリンの顔色は青い。
「ちょっと相談タイム!」
叫んで駆け出したアイシャはシーリンの肩を叩いて、その耳元へアドバイス。
「わたしの経験でいえば、体は勝手に動くから、まずは足を前に出して。その後は、なりゆきで上手くいくよ。怖かったら、目はつぶったままで大丈夫!」
無言でうなずいたシーリンはゴクリとつばを飲んで、目を固くつぶり、思い切った大声を出す。
「行きます!」
アイシャもその場から離れつつ、言ってみたかったひとことを放つ。
「はじめ!」
*
合図の後も、両者、動きがない。
ただハーフェイズには、目覚めたライオンがゆっくり目を開くようにシーリンの気が充実していく気配が感じられている。
勝つためには、充実しきらせてはならない、今すぐ斬れ。湧いてくるその本能をねじ伏せる。神力の一撃、受け止めてやろう。そうでなければ、今までの修練は何のためのものだったのか。
足元をジリジリと固め、わずかに腰を落とし、瞬間を待つ。
駆け引きという発想はシーリンには無い。シーリンが手本としているアイシャにも、無い。
大きく、大きく息を吸って、ムン!と力を力を丁寧に込めて、おもむろに足を踏み出す。
おもむろに、は主観であり、客観的には、ムン!の同じ瞬間にハーフェイズの身体は宙に跳ね飛ばされ、その後方にシーリンの姿が移っている。まるで瞬間移動に跳ね飛ばされたかのような、理屈を感じられない動きだ。
だが、ハーフェイズは吹き飛ばされた空中で体をひねり、着地しながら地を蹴って、“気”が発散されて抜けている神の使徒に斬撃を加える!
「きゃあ!」
間の抜けた叫びが響くなか、“天剣”の一撃は剣で受け止める、のではなく、素手の左手でいなされ、地面に深く突き刺さる。が、それも見越していたかのように、いなされた体の動きをも利用した巨漢の胴回し回転蹴りがシーリンに浴びせかけられる。両者の態勢、タイミング、体のサイズなどから見て避けられない攻撃だ!
尻を蹴られて吹っ飛び、キャンと叫んでゴロゴロ転がるシーリン。勝負あったか? 一同が思わず立ち上がるなか、よろっと起き上がるシーリンと、ガクリと膝をつくハーフェイズ。“天剣”の衣服の襟を横から後ろへ、シーリンの剣が貫いていた。




