65 密偵のお仕事
「面白そうな話、してるじゃねぇか!」
「ヤクタさん、いま、散らかった話をなんとかしようとしてるところだから、ちょっとだけ待ってくれないかな。」
騒ぎを聞きつけ、動いている馬車の戸を開けて無作法に首を突っ込んできたのは、それまで外で六人衆とたわむれていて、悪人云々の話のときには都合よく姿を消していた、ヤクタだ。
「誰かと思えば、3馬鹿スパイのひとりじゃん。元気してた?」
「お前は、カディンの森盗賊団の首領・ヤクタだな。調べはついているぞ。しょっぴかれたくなければ、大人しくしておけ。」
スパイ・ベフランの脅しに対してそっぽを向き口笛を吹いてやり過ごしつつも、失せる気はなさそうな大女をひとまず無視して、必要な話を再開する。
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王都まで残り1日と少しの旅程の足を止めたのは、マイ婦人の“夫と子を救ってくれ”という願いだった。厄介な悪人たちが手を組んで厄介な悪事を堂々行っているのを止めようとした、婦人の夫が悪人たちの悪だくみにより捕らわれたという。
救う必要があるのか、救えるものなのか、そこから話し合おうとしたところで、闖入者が登場。ベフランと名乗る、宰相の部下、和平派のスパイの男性だ。
彼とアイシャは、アイシャがオーク族の陣地を尋ねる際に偶然、和平派とオーク族のスパイ同士の打ち合わせの場に出くわし、言葉を交わした縁がある。
あの後、アイシャはオーク族の陣を焼き払い、囚われの王子を救い出し、和平派の仕事を白紙に戻す以上の灰燼に帰した。ベフランからすれば、どんなに罵っても決して心が癒えることがない悪夢の象徴。それがアイシャであった。
さらにその後、ベフランはその場で得られるだけ情報を集め、アイシャに関しても家族構成、前歴から恥ずかしい思い出まで調べ上げ、宰相のもとに報告を上げるために王都まで戻ってきた。その王都の入口で、思わぬことにアイシャとの再会となったので、「もう二度と余計なことをするな」と釘を差すために馬車に割り込み、ピーピー騒がれながら今に至っている。
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スパイ・べフランが吐き捨てるように話を続ける。
「そちらの御婦人は剣術サウレ流道場主の奥方だろう。調べはついていないが、大凡のことは予想がつく。民間の揉め事は我らの管轄ではないが、そこの“死天使”、いまでは“悪鬼の赤ちゃん”と呼ばれているその娘に余計なことをさせないためなら、特別に解決してやろう。」
“オーガの赤ちゃん”。ヤクタもシーリンも、耳を疑って、ベフランの顔が真面目なのを見て、アイシャの顔を見て、肚からこみ上げる笑いを押し留めようと必死の努力を払って、しかし震えているのは自分の腹筋ではなく、アイシャが怒りにワナワナ震えて馬車を揺らしているのだと知って恐怖する。
「そ、それは、いったい、何の呼び名かしら?」
「むろん、オーク族の兵が自然に呼び始めた、お前の新しい二つ名だ。いわく、口から火を吐き、悪風を吹かせて城門を吹き飛ばし、悪風を浴びたものは気がおかしくなって同士討ちを始めると。身に覚えはないか。」
「アイちゃんアイちゃん、あなたはカワイイわ。目が顔の横に付いてるような蛮族の言うことを真に受けてはダメよ。」
話の脇道は何処を進んでも底なし沼への一本道だが、本筋自体はサラリと終わっている。国の力で解決してやろうと、宰相の名を出せるレベルの部下が言い放ったのだ。いち庶民にこれほどの幸運が降ってくることは、まずもって期待できることではない。
だが、ほとんど一方的にやりこめられる形になったアイシャにとってはどうだろうか。
「なにか言い返さないと、言い返さないと……」
口の中で呟く声を聞きつけたのか、有能スパイがとどめを刺しにかかる。
「もう普通の生活に戻ったらどうだ。隣家のおばさんも心配していたぞ。何やら声真似付きで言っていたな。つい2、3ヶ月前、相談を持ちかけていたんだって? “お乳が「あぁーー!!ファーーーー!!!」じゃないか”とか。他にも3つ4つ……」
「ベフランさんストップ。有罪。今のはただのセクハラ、許されません。…アイちゃぁん、このあいだ言ってた、夕方に持ちかけた秘密の相談が翌朝の町中の挨拶になってたのって、それ?」
「アイシャ、こいつ殺すか? アタシが殺していいか?」
気死している“オーガの赤ちゃん”に替わって敵を裁こうという気のいい仲間たち。しかしセクハラ悪人にも言い分があるらしい、嗜虐的な笑みを強めて。
「数年掛かりで国の中枢数百人が練りに練った策をフニャフニャの1日の思いつきで潰された恨みと屈辱、この程度で晴れるものか。
これはどうだ、夕日が差す手習い塾の…
「☆ねっ、し▓ぇっ!」
話の途中で言葉にならない絶叫とともに投げ放たれた短剣は、スパイの眉間に3センチまで刺さったところでカムラーン兵術の妙技、シーリンの手で止められた。
「ごめんアイちゃん、この人いちおう実家の関係者だから。…ベフランさん、さっさと失せて、仕事して! 今すぐ!」
男は笑みの張り付いた顔を青ざめさせつつ、流血に顔を赤く染めてそそくさと去っていく。「3日は待たないわ!」と追い打ちをかけるのは、もう少し軽傷にとどめるはずが予想外に深く刺さってしまったことに少し焦っているシーリン。
去っていく背中を眺めながら、後で絞り上げて彼が掴んだ秘密を吐かせねばと、三者三様で決意する女たちだった。
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「あのぅ、私は……」
「マイさん。事件は、国が3日のうちに解決してくださるんですって。よかったですね。
でも物騒だから、その間ウチで匿わせてもらっても構わないかしら?」




