64 頼まれごとのお仕事
「いや、我々は仕事中ですので……」
アイシャから見れば雲を衝くような巨漢のアーラーマン師範も、小さな婦人に足元へ縋られては身動きが取れない。ほかの六人衆も、勇気を振り絞りすぎて錯乱状態になった女性が、ほとんど聞き取れない勢いで窮状を叫び続けるのを持て余すしかない。
愉快そうに見ているアイシャに弟子たちが視線で助けを求めるので、仕方ない、と、この場で一番の小娘がゆらりと立ち上がる。
武神流は人を傷つけずに取り押さえる技、気絶させる技なども数多く備えている。剣術、棒術、拳に限らず、小石、靴、相手の衣服など何でも利用して何でもできてしまう。
ただ、素手の腕力に自身がないアイシャは短剣ミラード号の抜き身をギラつかせて、ニコリ無邪気に微笑む。
気づいた女性がギョッと息を呑んだ瞬間、白刃が縦まっぷたつに一閃!
その場にいた全員が驚愕に棒立ちとなるが、振られた刃と女性には30センチ以上の距離がある。「落ち着きました?」 にこやかな口元には何の変化もないが、目が笑っていない少女は、かなり草臥れてきている模造剣を懐にしまいながら軽く問う。
いまの今までわめきたてていた中年女性は、目をパチクリさせてから「は、はいぃ」と毒気を抜かれた様子になり、冷静に問題を話し始めた。
“魔を斬る”あるいは“間を斬る”技は、特別な、高度なものではない。身も蓋もなく言えば“ねこだまし”だ。理屈の上では六人衆の皆、とっくの昔に修めている。しかしこれほど無造作に、完璧に、実地の場で決まるところを見て、今度は逆に彼らの興奮が収まるところを知らない。
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面倒くさい武神流は放置して、とにかくマイさんと名乗る中年婦人の話を聞きましょう。
どうやら、盗賊と、自警団を名乗る愚連隊と、悪徳商人と不良貴族が全部絡んだ欲張りセットの悪事を旦那さんが訴え出ようとしていたところ、息子さんが人質に捕らわれて、仕方なく悪人たちのもとに出向いているらしい。
そんなのと1人で対決しようなんて蛮勇にも度が過ぎるし、武神流道場でも解決できるわけがないじゃない。なに言ってるんだ。
六人衆は義憤に燃えているけれども、万が一、悪徳方面がシーリンちゃん実家だったらいけないので、そちらに判断を仰ぎましょう。
「いくら何でも、そんな悪事にウチが絡んでることは……無いよね? 無いはず! 絶対! ね??」
「旦那様は慎重な方です。先代は博打的な投機を好まれたと聞き及んでいますが、いまリスクを冒されているとは思えません。」
シーリンちゃんとその使用人さん判断では、シロとの予想。なら、とりあえずマイ奥さんはそっちに匿ってもらいましょうか。そのまま家に帰らすのは物騒だからね。
話を聞く前は、もうここから六人衆には盗賊なり愚連隊なりを退治に行かせようとも思っていたけれども、問題が重すぎる。このおばちゃん、何者?
*
まずは、手を貸すにせよ、お断りして放り出すにせよ、作戦会議だ。七人衆には外で黙っておいてもらって、馬車に乗り込む。シーリンちゃんと、わたしと、マイさんと、謎の男性。誰!!?
当然のような顔をしてススっと潜り込んできた男。あ、実は見覚えがあるぞ。あれだ、雨宿り小屋の三馬鹿スパイの旅人さん。国の和平派のスパイで、オークのスパイと情報をやり取りしていたひとだ。えーっと、どうも、その節は。
「いやァ、こちらこそ、その節はどうも、してやられたよ。」
苦み走った顔のオジサンが、今回は素顔を晒して平然と、女ばかりの馬車の中に座を占めている。
「私の方は、兎にも角にも情報を整理して、報告に戻ってきたばかりで偶然顔を見れたから、声をかけさせてもらったよ。今度は誰を暗殺しに来たのかな、もう甘く見て取り逃がすことはないよ、“日傘の姫君”さん。」
ゲっ、町で私のこと調べられたの? そんなの、忘れてもらわないと困る!
「ね、アイちゃん、お知り合いの方?」
「これは申し遅れました、カーレン男爵令嬢様。私は宰相閣下の手の者、ベフランと申します。ご父君にはひとかたならず、お世話になっております…。」
「あ、お父様関係の。あらそう、おほほ。(え、アイちゃん、それ本当? どう扱えばいいのかしら、この人。)」
意地悪げに含みを持たせつつ、お父さんの名を出して、要は「黙ってろ」と言うスパイさん。シーリンちゃんも扱いに困って後半はひそひそ話になっているけれど、わたしにも言いたいことがある。
「どうしてシーリンにだけそんなに丁寧な態度なのっ、差別よ!」
「身分が違うからに決まってるだろう。あんたの“姫”は自他ともに認めていようが、一般市民なんだ。なぜ差別されないと思った。」
「くっ…! 身分差別…やはり革命しかないの? ケイヴァーン叔父さんの出番?」
「なにッ、何故その名前が、まさかお前…」
「何いってんのアイちゃん。サディク殿下に求婚されたのだから、すぐ彼より私より偉くなるわよ。今だけ我慢しなさいな。」
「なにッ、殿下が…? なにッ?」「いや、それはちょっと、えーっと、」
「あのぅ……私の話を…聞いていただいても…」
あっ、マイ奥さん。ごめんなさいね。でも、もうちょっとだけ待っててね。




