48 糸屋
その日の、日も高いうちにヤーンスの船着き場にたどり着いた。船は、楽でいいね。シーリンちゃんは船酔いがキツかったらしく、船の後ろを泳ぐプーヤーくんに吐瀉物、いや、なんでもないです。
「助かりました。これ、船賃。わたしたちもあとからイルビースに行く予定だから、また会うかもしれないね。」
「それはもうゴメンだぜ。ま、船賃は助かるよ。えっ、銀貨?3枚!マジかよ!田舎町でも、町の人は違うなぁ。もう返せったって返さねぇからな!あばよ!」
名残惜しいくらい良い悪ガキ成分をいただけました。じつは同世代男子ってわりと遠巻きにされてて、いまいち縁がなかったんだ。
銀貨はやりすぎだ、もったいないとヤクタもシーリンも目で咎めだててきますが、このメレイさんを死なせてもらったお金、なんだか持ち心地が良くないから早めに使っちゃいたい。
あ、ところでヤクタはサッちゃん様助けた後に報酬もらってる? もらってないの!ゴメン、忘れてた!この銀貨、使っちゃったけど97枚あるから、これもらっちゃって!
「アタシの欲の皮も、そんなもんじゃ済まないからそれはアイシャが持ってろ。もっとでっかい仕事のときにでっかく貰うさ。」
そう言って、わたしの右の肩を軽く叩いて先に行ってしまう。どこに行くつもりだろう、ひょっとして照れてるのかな。などと思っていると、左の肩にシーリンがあごを乗っけてきて、
「アイちゃぁん、さっきのプーヤー少年みたいのが好みなの? 相談に乗ってあげるよ、キリキリ吐きなさぁい!」
違うよ、そんなんじゃないから。違う? どうなんだろう。誰のことが好きとか、次々変わるタイプの恋愛好きの子の感覚でいえば、これも十分“好き”の内に入ったりするんだろうか。
でも、武神様の予言の4人目なのが本当だとしたら、彼、全然どうにも出世できなくて、40過ぎまで放浪して病死するのよね。それは論外だわ。でもでも、それを知った上でなんとかしてあげられれば、彼の運命も変わるのかしら。
4人目の男、ねぇ。“ネズミ婆”の1人目・ミラード叔父さんはひどい暴力男で、それをどうにかして助けてくれた冴えない衛兵のおっちゃん・ジュードさんが2人目になってくれて、しばらく幸せに暮らすけれども死別。3人目さんはもっと冴えない男だったそうで、わたし、じゃなくてネズミ婆が30歳になる前に、あの4人目・プーヤーくんの大人になったのと出会って不倫の末の駆け落ちを果たして、そこから20年ほど放浪して、結局プーヤーくんは病死。婆はあの村の、あのあばら家に入り込んで地鼠のような余生を送る、そんな運命の予言。
うーん、うーん。いまのわたしにとって、プーヤーくんは10段階でいえば6か7くらいに好感があるけれど、彼からわたしにはそんなに数字がないみたいだし、6.5くらいのために人生を大きく変える判断は付きかねる。それなら皇妃を目指す方が夢がある。
「……彼は…縁があったらまた会うこともあるでしょう。それよりお父ちゃん探すし。行くよ、シーリンちゃん。ヤクタぁ、どこ行ったのー? お家帰るよー!」
*
そうだろうという気はしていたが、やはり家に父や兄の姿はない。隣のイーナスおばちゃんに預かってもらっている鍵を開けてもらって、今宵はお家で宿泊。
「ここがアイちゃんのお家なのねー、味わい深いわぁ。」
汚いとかショボいとか思うならそう言ってね。あなた、かなりいいお家のお子でしょうよ。知らないけど。などブーたれる気持ちはありましたが、
「あ! この刺繍糸、知ってる、使ったことあるわ! アイちゃんパパの作品? お世話になってまぁす! こっちは仕事道具? ああー、いい職人が目に浮かぶようだわ。」
と、テンションが高まってらっしゃるので面目を施した次第。許してあげよう。
それはそうと、在庫とか道具類をこんなに置きっぱなしにしてたんだ、お父ちゃん。よほど慌ててたのか、存外、早く帰ってくるつもりだったのか。何回か持ち運びに往復するのは既定路線だったのかな。
いま、どこでどうしてるんだろう。
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ところで、ヤクタという元盗賊の女、善人か悪人かでいえば、間違いなく悪人である。悪人であることと情が深く細やかに世話を焼いてくれることは矛盾しない。むしろ大きな悪事をなすためには必須スキルのひとつだともいえる。そして最後の最後でちょっぴり自分の都合を優先させて最大の利益を得る、それが大悪党。
ヤクタという悪党に大が付くかどうかはいまだわからないが、小悪党の枠に収まらない優秀さを備えていることは、十代半ばから4年も、ずっと年上の盗賊共を率いてこれたことで明らかだ。その時の心労ゆえ、いまは呑気なアホちゃんの気楽な手下の立場を楽しんでいる。
だが、遠からずアイシャを巻き込んで乾坤一擲の大勝負に出る。このことを忘れたことはない。
そんなヤクタにとって、一番の障害になるのが実は問題のアイシャの父、ユースフだった。
アイシャが実直な父の堅実な娘として、手堅い人生を歩む決意をしてしまえば、この悪党の野望は台無しだ。
もちろん、あのアイシャに普通の人生を送れようとも思えない。しかし数年でも数ヶ月でも、この社会がゴタついている肝心な勝負どきにそんな空隙は大儲けの大勝負にとって致命傷になりかねない。
先日、一度2人でヤーンスに来たとき、ヤクタは1人、森にユースフを探しに出かけた。結局出会えはしなかったが、もし出会えてしまったなら、こっそり始末して永遠の行方不明にしてしまう選択肢を持っての探索行であった。
必殺の決意というほどではない、なりゆき任せの方針ではあったが、一度ひらめいた思いはその後も無かったことにはならない。
このまま、しれっとした幸運は続くのか、どこかで不運と破綻が吹き出るのか。1人、屋根の上で油断なく森の方角を見つめるヤクタは不敵な笑みを浮かべている。




