05 アイシャ
ヤーンスの町から領都へ向けての道行の途中、盗賊に襲われて森に逃げ込んだわたしは、諸々の問題を片付けてもとの街道筋まで戻ろうと、「この森はアタシの庭だからな!」と胸を張る同行人に案内されながら、しかし、またもや道に迷っていた。
「なんだこれ、こんな場所、見たことないぞ。アンタ、一緒にいると磁石が狂うとか、そんなこと言われたことないか?」
「どうしてわたしのせいになるんですか。まっすぐ歩けば街道に出るんだったら、まっすぐ歩いてくださいよ。」
「オマエだってまっすぐ歩いてるか、途中でグネグネ曲がって歩いてるかくらいはわかるだろ。その神様とやらにでも聞いてくれ。」
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歩きだしてから、どのへんで迷ったのか見当はついている。
「鹿がいる。獲ったら、肉、喰い放題だぜ。」
朝方に例の一悶着があって、昼前に歩き始めて、ほどなく。わたしもお腹が減っていたし、ちょっと頑張って走りました。
「そんなフィジカルごり押しの狩りがあるか」と睨まれはしたものの、驚くべき手際の良さで鹿をお肉にしていくヤクタ。森で生きる野生の人間って感じだ。
お腹がはち切れそうなほどに、干してない生のお肉を焼いて食べることは、町ではめったにないことだった。堪能! 再出発は遅めの時間になったが、それから日が傾くまで歩いて、今に至る。
道がわからなくなったとしたら、わたしが鹿を追っかけたときだろう。あらヤダ、わたしのせいだわ。
「武神さま、街道はどっち方向ですか。……南?って、どっち? …ヤクタに聞け?ですって、ヤクタ。」
「もう、明日にしようぜ。今日はこの辺で野営だ。日が西だから、この季節なら、あっちの方だ。」
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今日もまた日は暮れ、夜の帳が下りる。
空には星がまたたき始めるが、森の下は闇に包まれ、焚き火の明かりだけがアイシャとヤクタを照らしている。
話しているのは、アイシャが森のことや鹿肉の味など、どうでもいいことを一方的に思いつくままに。聞いているヤクタも、退屈つぶしにはちょうどいい、奇妙に快いリズムでつむがれる言葉に上の空で相槌を打ちつつ。
そのうち、話すこともなくなってきたアイシャの話題は、自分の身の上のことになっていった。このときは何の気無しの話だったが、後から思い出せば、不思議なことになった自分のことを誰かに聞いてもらいたかったのだろう。
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アイシャが生まれたヤーンスの町は、服飾産業の盛んな領都イルビースに布や糸を卸すことを主産業にしているこぢんまりした町だ。近隣の村から運ばれた原料を、自慢の名水と豊かな森の資源で染色、加工する職人と卸問屋に関わる者が町民の大半で、アイシャの父・ユースフもそこそこ評価された染糸職人の1人だ。
アイシャは産まれるときに母を亡くし、ユースフと兄・ライの男手で育てられた。とはいえ、ガサツな質にはならず、男たちの夢を叶えるように一見は大人しく、争うことのない性格に自然に成長した。
この時代のこの地域では、大人しい小柄な美人は決して評価されない。もっともっと都会では知らず、まだまだ、丈夫で頑丈な子供を産みそうな、自身も労働力として期待できるマッチョ女子こそがモテ女だ。線の細い系女子は、貴族や商人の後妻として人気がある、言っては何だが変態チックで日陰者的な印象を持たれがちだった。
アイシャと父親も、強靭に育っていく周りの女子を気にせずマイペースでやっているのを、特に周辺のマダム方からはいかがわしいものででもあるかのように思われていたのかもしれない、本人が気にしていたとおり少し浮いた家族として見られていた。
そんなだったので、アイシャの将来としてはもっと都会で結婚相手を見つけるべく、領都で行儀見習いの仕事をさせようと父はあれこれ手を回していた。が、今ひとつ要領が足りなく、ツテもないまま、アイシャは今から働きに出るには若干トウの立った年齢になってしまっている。父も兄も、アイシャは好きにしたらいいと言っているので、本人ものんびりしたものだ。
この辺の雰囲気を、別にバカではないアイシャは正確につかんでいる。だが、妙に図太いのか、今が快適ならそれでいいや、と、気ままに人生を過ごしていた。世が世ならニート体質。それがこの女だ。
そんな町から離れ、昨日、謎の武神に剣技を押し付けられた。
武神が語った、もしここで武神が手を出さなかった場合の「どう捻じ曲げても心が傷まないような運命」は怖気をふるわずにいられないキツイものだった。
その場合、父と一瞬はぐれるが、すぐに再会し、予定通り領都に到着。父の弟、アイシャにとっては叔父の家にひとまず厄介になり、領都での生活を始める。
その後、侵略者の行軍が思っていたより遅いことがわかり、父と兄は、持ちきれず元の町に置いてきた、いくらかの財産を回収しに帰った。
それが父と兄を見た最後になる。事故か、盗賊か侵略者あるいは野獣に襲われたか、原因が判明することはなかった。
叔父の家に預けられていたアイシャだが、1人で生きていく能力を持ち合わせなかったため、独り身だった叔父の妻になるしか生活していく道がなかった。ところがこの男、見た目が優男だったので油断していたが暴力癖がひどく、数年後、見かねた衛兵に救出されるまで大変な目にあわされる。
結局、その救出してくれた衛兵氏と2度めの結婚をして、自慢の美貌は殴られすぎて台無しになっていたが、数年は幸せな日々が続く。だが、衛兵氏は街を守る戦いで戦死。
3度めの結婚は、地味で穏やかな男の後妻として収まった。そのまま10年ほど過ごすも、結局ソリが合わず、別に男を作って逃げることになる。
そのまま流浪の生活を続け、4人目の夫が病死した後は、もはや人と関わる気をなくして、ある農村の村外れに朽ちていたあばら家に住み着き、放浪生活の経験を活かして山菜やどんぐりを拾ってひっそり生きていく。
村外れに住み着き始めたのが40代の後半あたりだったが、村人と交流を持とうとしないまま数十年過ぎた。この女を気にかける者がいないこともなく、たまに話し相手を買って出た村の子供からは“はずれのネズミ婆”などと呼ばれ、まぁ、親しまれていたのかもしれない。
今までに4人の旦那と産んだ8男7女は誰一人探しに来るでもない、ハズレくじのような奴ばかりだと村はずれの洞穴のように朽ち果てたあばら家でしじゅうボヤいている、ネズミのような小さな老婆。
武神から、あらかじめ定められたアイシャの運命はそんなだったと聞かされて笑ってしまったが、同時に薄ら寒いものも感じた。
そうは、なりたくない。それなら、どうすればいいのだろうか。