43 婚活
背後に、オーク族の陣地が燃え盛っている。阿鼻叫喚の音が夜風に乗って飛んでくる。が、ここはかつて戦場だった、いまは静かな平原だ。
アイシャは、サディク王子と近い距離で向き合って、先ほど言われた「欲を持て」との言葉にキョトンとした顔を無防備にさらしている。ヤクタは、少し離れて所在なさげに、周囲を警戒しているポーズだ。
王子が、続けて言う。
「欲がないやつはものの役に立たん。言葉こそキレイだが、それは他人に期待していないということでもあり、他人を評価していないということでもある。ひととの関係を繋ごうという感情が少ないんだ。そのかわり、欲じゃない変な理屈で動こうとする。
わかりやすい欲得ずくの関係なら、他人同士でも長期的な計算で利用しあって仕事を共に出来るが、余人の理解できない勝手な尺度でしか動かない連中には大きな仕事を任せられない。」
ほへーっ、と素直に感心するアイシャに、教師がそう言っていたんだ、と妙なことを得意げに語ったことを照れるサディク。
「欲、かぁ。いざ考えてみると、難しいもんだねぇ。」
「アイシャ、オマエ、偉くなりたいとかこの前言ってたろ!」
たまらずヤクタが口出しするも、「今日明日偉くなっても困るしぃー」とズレた答え。
「そんなの当然、戦が終わってからの話さ。」「うそっ、そうなの?」
サディクも困り顔で様子を見るしかない状況だが、アイシャがニコリとして向き合い、挙手して元気よく発言する。
「決めました! でも、わたしの欲はとっても大きいので、今の王子様では叶えられないと思います。だから、王子様が王様になったときに叶えてもらいます! なのですこし待ってください!」
ヤクタが楽しげに口笛を吹く。が、王子は軽く咳き込んで、相変わらずの困り顔。
「余は第3王子ゆえ、王位を継ぐのは兄だ。余は王様にはなれんぞ。」
「なんですか、欲のない。自分で言ったんですから、もっと欲を見せてくださいよ。」
この娘の言葉はまっすぐに謀反をけしかけているだけなのだが、わかって言っているのか? 訝しんで目を覗き込んでみるも、“上手いこと言い返してやった”とばかりにニヤニヤしているだけで心の底などわからない。
そのとき、アイシャの背後、敵本陣に新たな火柱が上がり、風になびく細い髪がキラキラと逆光で照らされた。むぅ、目茶苦茶だ。なんだかバカに楽しくなってきて、久しぶりに腹の底から笑いが吹き出る。
サディクの軍の本隊が、彼を迎えに、そしてさらに混乱する敵陣へ襲いかかるべく迫っている。王子は上機嫌で恩人に声をかけ、振り向いて彼の軍に合流するべく足を踏み出した。
「そうだな、ならば余は、この余勢を駆ってオーク族を征服し、ファールサ=モンホルース二重帝国の初代皇帝にでもなろうか。王座は兄上に任せてな。そうしたら、アイシャを皇妃に迎え、最上の身分を贈ることもできよう。これは、大変なことになったな!」
*
「はへっ?」
不思議なことを言われた顔で立ち尽くすアイシャの背をヤクタがどやしつける。
「やるじゃん。感心した、いやむしろ尊敬するぜ。“第3王子じゃ王妃にゃあなれねぇから王様になってみせろ!”って、いやァ、アタシも言ってみてぇもんだ、うん。」
「うそっ、とりあえず保留のつもりで適当なこと言ってごまかそうとしただけなんだけど、そうなっちゃうの?」
「照れなくていいから。あの熱量はただごとじゃねぇ。」
「いや、そんな、困る……でも、まぁ、サッちゃんにはたぶん無理だから、大丈夫かな。もし本当になっちゃっても、それはそれでいいかもだ。」
「無敵のアイシャが手伝ってやったら何も無理じゃねェじゃん。」
「わたしはこれから、お父ちゃんを探すの。」
“欲”の話はアイシャにとって実感が湧くものではなかったが、他人に期待しない、欲しがらない、ものの役に立たない人間という評価にはひとり心当たりがある。神様に聞かされた、かの“ネズミ婆”。
これは、どうにもひどい呪いだ。と、大きくため息をつく。おぉ、ふるふるゴメンだ。
「おなかが減ったよ。晩ごはん食べそびれちゃった。」
「アタシもだ。ひとまず今夜は王子様にメシせびろうぜ。」
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あの日、オーク軍は司令官を失った上に本陣が大火災、そこに敵軍が押し寄せたので主力の中央軍が壊乱、撤退。左右に長く伸びていた支隊にまでは我が軍の手は届かなかったので、そちらは秩序を保ったまま我が軍を牽制しつつ撤退していったらしい。
そのまま、占領中の隣領の領都に籠もっちゃって、痛恨の“振り出しに戻って一回休み”。
さて我が軍こと王子様とゆかいな仲間たちは、敵をある程度追い払い、なんとヤザン爺やも仲間を連れて生還する、ここ十数年この国になかった英雄的ファインプレイ。
でも実質は九死に一生を拾ったにすぎない状態、敵に比べていかんとも数が少ない。そこで、戻って兵隊を集めるか、進んでアピールして兵隊を呼び集めるか。で、揉めているらしい。王子様からの情報なので間違いないだろう。こういう情報って、情報屋さんに売れたりするのだろうか。
わたしたちのことは王子様から“丁重にもてなすように”との通達があったらしく、ご厚意でずいぶんちゃんとしたご飯・甘いもの付きをいただいて、数少ない女性陣用の天幕で一晩を過ごした。
わたしとヤクタの存在に関してはすれ違う誰もが頭の上にハテナマークを浮かべていたけれど、よくよく考えればわたしにも自分の立場がわからない。皆で仲良くハテナを浮かべていれば平和だと思う。
そんな戦陣にも朝がくる。
さて、後顧の憂いを晴らしたので、お父ちゃん探しを再開せねば。
「ところで王子様、王侯貴族の人の血は青いって本当ですか?」
「そんなバカな。あれはただの比喩だ! ほれ、この擦り傷、赤いだろう。打ち身は青あざになってるが、それだって誰もがそうだろう。」
「えぇー。嘘はいけないと思うなぁ。」
「何だか知らんが、スマン。」




