40 暗殺者
「…そういうことがあったんですよ。どう思います? あれ。」
王子の居室に今度は正面から押しかけ、部屋の前の見張り2人と内部の見張り2人のオーク兵を瞬く間に眠らせたアイシャは、来るのが自分の予定より少し遅くなったことを詫びてから、空気を読んでいない態度で先程の出来事を話している。
室内には、ほかにヤザンも待機していた。食事や、その他の身の回りの世話のために朝夕はヤザンも同室を認められていた。
あまりにもむさ苦しい世話役に笑いを堪えるのに一苦労し、指さしかけた人差し指をピコピコさせながら、アイシャは見張り兵の身ぐるみを剥ごうとしたのを1秒で断念して、ヤザン爺やに一任する。
「そうか、彼は死んだか。恐るべき敵だったが、理知的でありながら情の深い、一角の人物であった。冥福を祈る。
……味方は勿論そうだが、敵だって一枚岩ではないし、一本の理屈に沿って動くわけでもない、か。政治に関わるとはこういうことだ。どんな小さな問題でも何かしら大きな利害が衝突して、弱みを見せた瞬間に昨日の友が刺しにくる。全体の利益を台無しにしても一部所の利益のために動く輩は多い。」
サディクは瞑目し、深い一呼吸の間、天を仰ぐ。
「彼であればあるいは、この国の民たちを任せても良いかと思ったが、天が選んだのは彼ではなく余だったようだな。
その天の御使いたるアイシャどの、よろしく導いてくれ。」
皮肉な笑みを浮かべた王子は、その場で深々と頭を下げる。
どの付きで呼ばれて思わずぽかんと口を開けたアイシャの横から、手早い有能な爺やがひと揃いの剣と衣類を差し出す。
「殿下、恐れ多きことながら御衣の上にこれをお召しに。
やつがれめは、もう一体を剥いでから他に捕らわれた者どもを探し、後から参ります。急ぎ、アイシャ様とともに脱出を。」
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「王子様、王子様。言葉が難しくてよくわからなかったけど、爺やはさっき何て言ったんですか?」
「アイシャ様 バカ! じゃなくて、お言葉を。
王子様、ではなく殿下、とお呼びなさい。で、わからなければ、僕に聞きなされ。」
ヤザン爺やが聞き捨てならないことを言った気がしたので、ツッコミ半分に王子様に聞き直したら、結構な勢いで爺やに叱られました。はじめからわかる言葉で言ってよね。
「何をふくれておるのですか。ゾロゾロみんなして歩いていくより、さっさと2人で早く逃げろと言っておるのです。こちらはこちらで、騒いで敵の目を引いておきますから。さぁ! 殿下も早く着替えて! お、失礼。」
「ククク、ヤザン、窮地で地が出たか。……その忠義、決して忘れぬ。案内してくれ、アイシャ。」
だから、2人で納得して、感動してないで! どういうことだってば! 言っている間に、爺やはオーク兵の兜をかぶってマントを雑に羽織り、出て行ってしまう。
「彼は、捨て駒を買って出たのだ。もはや1秒も無駄にしてはならぬ。」
最初からそう言え! 引き止めたいのに、もう行っちゃってるし。王子様、じゃない殿下もちょっと涙目になってるのに。べつに3人でもよかったと思うのに。なんで?
アレか。わたしに信用がないのか。無いだろうなぁ。メレイさんが結局殺しにかかってきたのも、信用されなかったからかもしれない。でも、だからって、どうしたらいいの? 難しい顔して難しい言葉を喋ればいいの? でも、でも、だって、だってなんだか、だって、だってなんですもの。
*
仕方ない。しびれを切らした殿下さんも立ち上がって、歩き始めたのでわたしが先に立って先導します。あ、そうだ。ヤクタに合図。殺気を1回、正門の向こうに長く飛ばす。ヤクタは、待っててよね。
お外に出ると、すごい喧騒。そして、夜空があかあかと染まっている。息が詰まる熱気と煙のにおい。天幕が燃えたらいいとは思ったけれど、そこまでやってないし!
疑問は、漂ってきた焔硝のにおいで晴れた。イルヴィース下街の火事のにおいと一緒だ。火薬庫があったんだ。バカだねぇ。いや、引っ越しの準備でまとめていたのに火がついたのかな。
イヤだなぁ、もしあの時みたいに何十人も人死にが出たら、わたしのせいなわけ?
「戦争だぞ。つまり、これひとつでも金貨何枚分もの大手柄だ。」
「殿下さん。わたしは敵司令官から金貨100万枚でスカウトされた女ですよ☆ 安く見てもらっては困ります。」
「正気か。エグい口約束だ。うーむ、メレイ総司令か。彼なら、やるか?」
感想が口に出ていたようで、殿下さんから突っ込まれています。もうお友達ですよね。殿下さんってアダ名とかあるんだろうか。
「じゃあ、浮足立った感じで小走りに参りましょう。わたしは気配を消していくので、たぶん大丈夫です。」
「そうか。頼むぞ。」
「急ぎましょう。殿下さん…サディク、王子様…サッちゃんとお呼びしても?」
「もう10回以上急ぐって言ってるんだから本当に急げ。」
「急ぎますから、もう。サッちゃんをヤクタに預けて、爺やを見つけに行かなきゃなんないんですから。」
この辺、主人公に入る情報が少ないままバタバタ走り回っています。後々まで尾を引くようなことをやっているので、ぼちぼち、このときのアレはこういうことだったのかとアイシャが気づく展開もあろうと思います。ぼちぼち先までお付き合いください。




